帰ってきたイスラム青年をどうするか

G. Kobayashi

G. Kobayashi

小林恭子(在英ジャーナリスト)

 昨年11月のパリの同時多発テロ、そして今年3月のベルギー・テロがいまだ記憶に新しい欧州。次はロンドンか、あるいはほかの都市か、懸念は消えていない。

 これまでに分かったところによると、イラクとシリアを中心に、イスラム国家の樹立を目指す組織「イスラム国」(IS,ISIS,ISILなど)からの直接の指令を受けたと見られる、あるいはISにシンパを感じた青年たちが、一連のテロの実行部隊となっていた。欧州内で生まれ育ったこうした青年たちの何人もがシリアで戦闘に参加しており、中には、シリアに行ったあと、難民と称して欧州に戻った青年たちもいた。

 

シリア⇔欧州を自由往来

 

 欧州内からシリア、シリアから欧州内へと自由に行き来するテロ容疑者たちの姿が見えてくる。

 近年、パリやブリュッセルの例に限らず、ISに共鳴し、シリアに渡る青年たちがあとを絶たない。筆者が住む英国では若い男性ばかりか、母親、子供、若い女性にまでその輪は広がっている。

 ISに憧れてシリアに渡ったものの、何らかの理由で帰国し、現在は表面的には何事もなかったように欧州内で暮らす人々もいる。いつかは自爆テロなどで攻撃を仕掛ける意図を持っているのか、つまりはテロリスト予備集団なのか、それともシリアでの体験を過去のものとして、暴力行為に走るつもりは全くない「安全な」人物なのか?その見極めは微妙だ。

 シリアから欧州内の自国に戻ってきた「帰国者たち」に焦点を当ててみたい。

 

4000人がシリアに向かった

 

 青年たちが外国の紛争に参加する行為は以前から続いてきた。例えば、1930年代にスペインの内戦に参加するために世界中から約3万人が駆け付けたと言われる。19世紀初頭には英詩人バイロンがオスマン帝国からのギリシャの独立戦争に参加した。

 その後もアフガニスタン、パキスタン、イラク、イエメン、ソマリアなどの戦争に参加するために世界各国から若者がやってきた。

 シンクタンク「ノルウェー国防調査エスタブリッシュメント」のテロ部門のディレクター、トーマス・ヘグハンマー氏によると、「イスラム戦士の歴史の中で、シリアほど多くの外国人兵士を動員した例はない」という(BBCニュース、2015年8月2日付)。

 その理由の一つは「現地までの交通が容易であること」(注:報道時の情報による)。トルコまでたどり着くことができれば、国境を越えてシリアに入ることは難しくない。いったんシリアに入れば、ISの支配下の領域は広大で外国人戦士は前線以外の場所にいることが可能になるという。

 ヘグハンマー氏によると、当初の外国戦士の渡航目的は「アサド政権と戦い、シリアの(イスラム教)スンニ派を助ける」ことだった(注:アサド大統領はシリアの中では、少数派のアラウィ派で、スンニ派と敵対するシーア派に近いグループとされる)。その後は「ISの中で生活したい。イスラム国家=カリフ=の中で住みたい」に変わったとい
う。

 昨年1月末、独立調査機関「過激化と政治暴力の国際研究センター」(ICSR)が発表したところによると、ISが本拠地を置くシリア・イラクの紛争に参加した外国人戦士の数は約2万人。このうちの約4000人が西欧からの参加者だ。(Foreign fighter total in Syria/Iraq now exceeds 20,000; surpasses Afghanistan conflict in the 1980s

 数が多い順から見ると、フランス(1200人)、ドイツ(500-600人)、英国(500-600人)、オランダ(200-250人)、スウェーデン(15-180人)、デンマーク(100-150人)、オーストリア(100-150人)の順となる、

 人口100万人当たりの数字では、ベルギーの突出が目立つ。ベルギーはパリテロとブリュッセルテロの実行犯らが潜伏していた国である。数の多い順から、ベルギー(100万人あたり40人)、デンマーク(同27人)、スウェーデン(19人)、フランス(18人)、オーストリア(17人)、オランダ(14・5人)、フィンランド(13人)、ノルウェー(12人)、英国(9.5人)など。北欧出身者が割と多いことにも気づく。

 しかし、正確な人数の判定は難しい。ICSRはメディア報道などネット上の情報に専門家の分析を入れて推察した。ちなみに、英国人の数字はICSRによると「500-600人」だが、英政府は現在、「約800人」としている。

 西欧以外の国では、中東諸国とロシアが突出している。例えば、ヨルダン(1500人)、モロッコ(1500人)、ロシア(800-1500人)、サウジアラビア(1500-2500人)、チュニジア(1500-3000人)など。

 

「帰国を知られれば禁固刑」

 

 英国からISシンパとしてシリアに渡った約800人の中で、その半分が英国に戻ったと言われている。彼らの例を見てみよう。

 帰国者が置かれている状況についてBBCラジオが3月22日、「帰国者」と題した番組を放送した。番組で紹介された発言を拾ってみたい。

小林(イスラム帰還)

BBCラジオ「帰国者」

 「シャム」という偽名で番組に登場した元IS戦士(ラジオでは声優が話した)が、現場の様子を語る。毎日が前線にいて命の危険に晒されているというよりも、待機をしているか、戦略を練るために集まるなど、淡々とした日々を送ったという。

 シャムはある光景に大きな衝撃を感じた。ISがすでに支配下に置いたある村で指揮官が村人の首を斬り、広場の中央部にさらした。「もうこの村はISのものなのに、いったいどんな意味があるのか」とシャムは思ったという。

 現在は英国に戻ったシャム。家庭を持ち、仕事もある。シリアに行って戦っていたことを公にはしていない。「誰にも言ってはいけない秘密だ。もし公言したら、逮捕されて、12年間の禁固刑を言い渡されるかもしれないから」「それにしても不思議だと思う。英国内の誰をも傷つけるつもりは全くない。自分は脅威でも何でもないのに。英国は自分の母国なのだから」。

 

イスラム同士の殺し合いに失望

 

 ICSRの上級研究員シャラズ・メイヤー氏は、シリアに向かう若者たちの足跡をソーシャルメディアなどから追っている。

 内戦が続くシリアに英国の若者たちが入っていったのは2012年末ごろ。2011年のいわゆる「アラブの春」の波を受けて、アサド政権と反政府勢力とが戦闘を開始するようになる。

小林(イスラム帰還)

ICSRホームページ

 シリアに渡った青年たちには紛争の犠牲者となるシリアの人々を助けたいという思いがあったという。米英からすればアサド大統領はそこにいるべきではない存在だった。このため、青年たちにとって「反アサドとしてシリアに入るのは、シリアの人々を解放する、一種の英雄としてだった」(メイヤー氏)。

 しかし、対立が深まり、いつしか、アサド政権と反政府軍の戦いの上に聖戦戦士同士の争いが加わり、混沌状態となってゆく。

 英国出身の聖戦戦士がISに対して失望感を持ち始めたのは2014年頃だという。「アサド政権を倒すという運動の本質が変わっていった。のべつ幕なしに殺害することが日常茶飯事になり、イスラム教徒がほかのイスラム教徒を殺していることへの大きな失望感を持った」。

 英国から行った青年たちは神学上の信念があってシリアに行ったわけではなく、イスラム教徒同士の宗派の違いなどを理由に殺し合いが行われるようになると、ついていけないと思う青年たちが出てきた。

 「ここから出たい」

 14年8月、メイヤー氏はシリアの聖戦戦士からテキストメッセージを受け取った。「ここから出たい。どうすればいいか」。

 メイヤー氏は戦士たちの帰国を助けようとしているが、英政府の高官と話し、対策を聞いてみたところ、「どの政治家も、官僚も、リスクを取りたがらなかった」。シリアから戻ってきた若者が絶対にテロ行為に走らないと言えるのかというと、誰も保証はできなかった。

 昨年11月のパリテロの首謀陣がシリアで戦闘経験を積んでいたことが判明すると、帰国者は、以前にもまして英社会に大きな脅威をもたらす人物として見なされるようになった。

 「すべての疑わしい人を常に監視することはできない。しかし、注意深すぎて悪いことはない」とロンドン警視庁のテロ対策幹部ヘレン・ボール氏はいう。

 しかし、帰国者をすべてテロ容疑者とみてよいのだろうか?先のヘグハンマー氏がアフガニスタン、ボスニアなどでかつて聖戦戦士であった945人を対象に調べたところ、テロ行為に走る、あるいは計画を立てたのは9人に1人だった。

 紛争の初期に人道的な支援やシリア人を助けたいという思いで渡航した人たちをどう扱えばいいのか、そして攻撃の脅威をなくするにはどうすればいいか。どこの国も手を焼いている。

 

デンマーク「アーフス方式」、英「プリベント」

 

 デンマークでは若者の過激化を解消するため「アーフス方式」というプログラムが行われている。

 2005年のロンドン・テロは自国で生まれ育ったイスラム教徒の青年たちが中心となって発生した。テロ犯は外国からやってくるのではなく、自国にいる、という認識の下、2007年から実行されているプログラムで、デンマークの第2の都市アーフスで行われていることからこの名前が付いた。

 聖戦戦士たちが青年たちの心の隙間に入り込んでシリアに向かわせる手を逆手にとって、テロ行為を行わないように心理学を応用したカウンセリングを行う。同時に社会の中に居場所を見つけられるように支援もする。

 心理学者と協力しながら、面接を重ね、どのような状況にいるかを見極める。国を離れる前の生活に戻れるように教育、住宅、雇用までの面倒を見てゆく。

 帰国者のケアも重要だが、もちろんシリアに戦士になるために出かけないようにする点も重要だ。デンマークも、英国もこの点に力を入れている。

 ラジオ番組「帰国者」に出演したボール氏は、過去6か月で50人の青年たちのシリア行きを説得して止めさせ、400人の過激主義への心酔を転換させたと語る。

 成功の鍵は「地域のコミュニティが過激主義の傾向にある人物の存在をこちらに知らせてくれることだ」(ボール氏)。

 英国では「プリベント」(妨げる)という名前のテロ対策プログラムが実行されてきた。これはテロにつながるような過激主義を察知した場合に、当局に届け出る制度だが、「イスラム教徒を監視しているようだ」として、かえって市民に不信感を抱かせるという負の評価が出るようになった。昨年12月、ロンドンのウォルサム・フォレストにあるモスク組織がプリベントには協力しないと宣言し、1月には英中部バーミンガムのセントラル・モスクもボイコットを表明している。

小林(イスラム帰還)

英国政府の非過激化プログラム「チャンネル」

 昨年1年間でプリベントによって危険とされた人物は3955人。政府の非過激化プログラム「チャンネル」を受けたという。チャンネルの詳しい内容は明らかにされていないが、政府資料によると、「危険な状態にいる個人を識別する」、「危険度を判定する」、「本人に最適な支援を提供する」ことを柱としている。

 シリアに行き、幻滅感を持って帰国した後、先のシャムのように、シリアに行ったこと自体を話さない人も少なくない。例え戦闘に参加していなかったとしても、イスラム教徒でシリアに行ったということだけで投獄される可能性が高いと考えるからだ。

 「リスクを正確に判断するのは難しい」と若者を暴力行為や過激化から救うための非営利組織「アクティブ・チャンジ財団」のハニフ・カディル氏はいう。「もし間違えた場合、何百人規模の命が失われるかも知れない。同時に無実の人を何年も投獄する可能性もある」。

 帰国後、英国ではどれぐらいの人が逮捕されたのか?実情は混沌としている。

 政府当局側は「テロに厳しく当たる」姿勢を表に出すため、逮捕・投獄の影をちらつかせる。しかし、非営利組織「戦略対話インスティチュート」のラシャド・アリ氏によると、実際に逮捕される帰国者は「非常に少ない。大部分は取り調べを受けるところまでもいかない」。

 投獄を恐れる帰国者は多いが、「なぜ行ったのかをきちんと説明し、今は反省していることがわかれば、起訴はされないし、投獄される可能性は低い」(ボール氏)。

 当局が知らない間に帰国している元戦士もいるのではないか?「あり得る。ただし、私たちは監視を厳しく行っているし、地元コミュニティとの連携も強い」とボール氏は述べる。

 しかしメイハー氏は「コミュニティとの強い連携」に疑問を投げかける。逮捕後、テロ関連罪で量刑が下される時、人によって重さが不当に異なるため、帰国者の家族が裏切られた思いをする場合があるからだ。

 例えば、IS戦士として戦った人物が数年の禁固刑を下されたのに対し、ISについての本を買い、シリアに向かった二人はIS戦士であったことがないにもかかわらず、それぞれ12年の刑を言い渡された。そのうちの一人の母は「私は警察に協力してきたのに、こんなことになった。裏切られた」と語る。

 戻ってきた元IS戦士たちは、なぜ青年たちがシリアに向かうのか、なぜ戻ったのか、そこで何を見たのかを解き明かすための大きな鍵になりうる。投獄の影をちらつかせるだけでは、口を閉じてしまうだろう。やり方次第で理想化されたISの姿を崩すきっかけをつかむことができるかもしれない。

 シャムは番組の結論部分でこんなメッセージを発している。「シリアに行って戦おうとしている人にこう言いたい。行くな、と。状況がどうだったからとか、ISがこんな(ひどい)ことまでやってるからとか、そういうことではない。君自身の(命の)安全のためだ」。

 シリアにいるとみられる外国人戦士は2万人。欧州から行った人は約4000人という推測を先に紹介した。

 帰って来た戦士たちをどうするのか。これからさらに大きな問題となりそうだ。