改憲、日本会議、参院選

Kazu Shimura

Kazu Shimura

志村一隆

 千葉で自民党から立候補している新人、元栄太一郎氏の演説会に行ってみた。50人くらいが集まっている。応援弁士は、河野太郎大臣。彼が「今回の選挙の争点は、経済だ」と言うと、みんなが頷く。「野党はアベノミクスは失敗だ、と言うけど、対案は示さない。いま漸く雇用が改善された。その次の収入増加への対策を打っているところ。企業に配偶者控除をやめてほしいと頼んでいる」と言うと、また頷いている。

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 改憲の話は出なかった。支持者相手にはそれでいいのだろう。世論調査でも改憲への関心度は低いし。しかし、それでも改憲論議がテレビ討論のたびに遡上に載るのは、メディアが社会のカナリアとして、なにか危険な匂いを嗅ぎ取っているからである。

 

自民党改憲草案と日本会議のチラシ

 

 憲法学者谷口真由美氏(大阪国際大学准教授)の「憲法って、どこにあるの?」によれば、憲法学には改正して良い箇所や考え方に限界がある「憲法改正の限界」というテーマがあるという。谷口氏は、日本国憲法の「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」は改正は認められない、という立場だそうだが、自分も賛成だ。

 ところが、自民党の改憲草案は、権力を縛るために作られた憲法の生い立ちを180度転換する項目が加えられている。たとえば第102条には「全ての国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書かれている。現憲法は第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」となっている。主従が逆転している。

他にも「表現の自由」を保障する第21条には新たに「前項の規定に関わらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という項目が追加されている。君和田正夫塾長は、「むし返される放送法の議論(2016年3月号)」でこう語っている。

“この一文で政治家や官僚が得意とする「解釈の余地」が大幅に生まれるのです。「公益及び公」とは何か、ということは古くからある議論です。その「秩序を害する」とは何か、「害することを目的とした活動」とはどのような活動を指すのか。文筆活動も対象になるのか。「結社」とはどのような状態を指すのか。”

 「公益と公の秩序」は現憲法の「公共の福祉」という言葉をもっと権力寄りにした概念だろう。また、一番危ないのは、第98-99条の「緊急事態条項」である。権力側の「解釈の余地」によって緊急事態が宣言されたらどうなるのか。スグ頭に浮かぶのは、ファシズムの道である。

 自分が読んでも、なんだか権力が自分たちの生活に土足で入り込んでくるイヤな感じがする。最近SNSで拡散されている動画でも自民党の方々が「基本的人権などはない方がよろしい」と発言している。「えぇぇ」と目と耳を疑ってしまう。普通に考えれば、トンデモ本レベルである。日本の第一党がこんな内容をよく公にできたものだと思える。

 なぜ、こんな草案が出てきたのだろう。安倍政権の改憲論議のウラには「日本会議」という右派団体がいるとされている。彼らの影響だろうか。試しに、日本会議のページも見てみた。すると「憲法改正の国民的議論を!」というチラシがアップされている。そのチラシの1ページ目には「建国以来2千年の歴史をもつ、我が国 の美しい伝統・文化を謳いあげましょう」とあり、2ページ目には「日本憲法は一度も改正されていない憲法としては世界最古である。時代も、世界も、社会も大きく変わったのに、憲法は変らなくてよいのでしょうか。」と書いてある。「2千年もの歴史」には愛着があるのに「最古の憲法」には誇りを持たないのは、なんだか矛盾してないか。「最古」は彼らにとって、誇るべきキーワードじゃないのか。時代が変わったのに、まだ生き続けてる。素晴らしい!とはならないのだろうか。

 という感じで、普通に働いている人が冷静に見れば、ツッコミどころが満載である。

 

改憲内容をもっと公開して、無党派層にアピールを

 

 しかし、なぜそうした冷静な観察や批判が出来ないのだろうか。野党もメディアも「2/3を取れば、必ず改憲を仕掛けてくる」といった政局的な視点から脱却できてない。「仕掛ける」といった言葉は勇ましいが「改憲」の中身を知りたい国民は置き去りにされている。改憲勢力やネット上の執拗な批判に、感情的に反応し相手の土俵に引きずり込まれ、肝心の中身を伝えることを忘れている。リベラルとは理性を持った自律した個人であるのなら、もっと冷静になった方が良い。

 それにネットで叩かれることを恐れすぎである。「メディアは何を言っても叩かれる」とボヤいているテレビ人がいた。マスメディアは、この「ネット上の叩き」を過大評価しすぎている。ネット上の攻撃の多くは匿名だし、炎上の多くは架空アカウントによるものだ。そんな実態のない虚像に怯えすぎである。メディアとして、何かを煽るのも、萎縮して何も言えないのも、結局は国民の知る権利に応えてないことになる。

 改憲について、自分を含めて、多くの人はこう思っているのではないか。「おかしなところがあったら憲法は変えてもいい。だから「改憲反対」ってわけではないよ」しかし、自民党草案や日本会議のページを見れば「この改憲『案』はなんか変だな」ってことに気づく人がいるハズである。そういう人たちを開拓しなければ、支持は広がらない。つまりは、メディアも野党も、無党派層に届くように説明しなければならない。今のままでは、狭いコップの中で論争しているだけだ。

 菅野完氏の「日本会議の研究」に「巨大組織・日本会議というイメージを私も抱いていた。しかし、事実を積み重ねていけば、自ずと、日本会議の小ささ・弱さが目につくようになった(296頁)」とある。メディアもリベラルな人たちも、ネット上の虚像に必要以上に怯えすぎている。本当は、その虚像を明らかにするのが役割ではないのか。

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 自民党草案や日本会議の活動は、ちょっと調べればかなり特殊な意見である。この意見を子供や友達に納得するまで説得しろ言われても、とても無理だ。草案や日本会議の実態をもっとメディアで紹介すれば、自ずと距離を置く人が増えると思う。

 

安倍政権と日本会議の関係

 

 テレビ討論で安倍総理は「草案があのまま通るとは思っていない」と言っていた。稲田政調会長は「対話をしたい」、谷垣幹事長も「見直す余地がある」みたいなことを言っていた。自民党も、草案の異常さにようやく気付いたのだろうか。それとも見せかけなのか。見直すことは日本会議の人たちとってアリなのか。加藤典洋氏は著書「戦後入門」で日本会議と安倍政権の関係について「憲法改正までいかなければ、日本会議の対米自主路線が担保されない」ため「安倍政権の徹底従米路線は、日本会議の復古型国家主義とぶつかる」と指摘している。この先、両者の関係はどうなるのだろう。

 演説会では元栄氏が「一人でも多くの人が安心して暮らせる社会にしたい」と訴えていたが、自民党草案が通ったら、全く安心して暮らせない。子供の頃学校で「健康で最低限の生活をする権利を有する」とか、基本的人権の尊重とか暗記させられた記憶がある。そうやって育った普通の日本人の常識から、この改憲案はかけ離れている。

(参考)

  1. 三宅洋平氏の選挙フェスに参加して
  2. 「アベノミクス」と「憲法改正」総選挙で露わになったもの

(その後)

元栄太一郎氏は当選。2016年7月11日千葉日報19面に「自民の2議席目を取るのが私の使命」というコメントを残している。同紙の解説は「石井準一参院議員のらの強力な後押しで現職並みの組織戦を展開し、公明党もテコいれ。若さへの期待が集まった。」で締められている。