パリ協定の締結 そして生物圏の未来は

S.Ichimaru

一丸 節夫
(東京大学名誉教授・科学者・執筆家)

 

 40億年ほど前、この地球上に生命が誕生し、デリケートな環境下で生物圏を創成しました。以来、大気・海洋、そして動植物の生成・死滅を巡る二酸化炭素の輪廻が生態系のあり様と深くかかわっています。その地球環境下で、産業革命にはじまる化石燃料の大量消費が大気中の二酸化炭素濃度を著しく増大させ、今世紀中に気候危機をもたらし、数世紀後には生物多様性さえ脅かしそうです。

 そのような中「地表の温度上昇を2℃以下に!」の合言葉のもと、目睫に迫る気候危機を阻止しようと、《国連気候変動枠組み条約第21回締結国会議(COP21)》が2015年末にパリで開かれ、世界190をこえる国・地域のリーダーが集り、「パリ協定」を全会一致で採択しました。ここで「生物圏の未来は?」を考えてみましょう。

 

生命体の誕生

 

 地球は46億年ほど前、太陽系の一員として誕生しました。はじめは、太陽系内天体の分布がまだ不安定であったため、流星などの小天体が頻繁に地表に落下し、多量にある放射性物質のため放射線のレベルが高く、生命が発生できる環境にはありませんでした。

 やがて、太陽光による炭酸同化作用などで炭素原子の連鎖構造を中核とする複合分子群が造成され、そのような複合分子群を多数結合させ、生体活力の源である炭水化物、生体膜を構成する脂質、蛋白質の主要成分となるアミノ酸類、さらには生命体を構成するのに無くてはならぬ自己再生機能を司る核酸 (DNA) 類が造り出され、それらを外界から隔離する膜組織が形成され、生命体の基礎である細胞類が生まれました。

 地球上の岩石に地球形成期の痕跡を残すものはまだ見つかっていません。でも、2017年9月28日の朝日新聞(下掲)が記載するように、39.5億年前の地層からは生命の痕跡が発見されており、さらに35億年前のバクテリアの化石も確認されています。

2017年9月28日の朝日新聞より抜粋

 

生物圏の進化
 〈生物圏〉とは、植物類と岩石、菌類と土壌、動物類と海洋、微生物類と大気が、互いに影響を及ぼし合い、絡み合い、織りなし合った大系です。その進化の様相を眺めましょう。

 地球の誕生後十数億年間は、細菌類やラン藻類など原核生物 (はっきりとした核や核膜をもたぬ原核細胞で構成される生物) しか生息できませんでした。でも、それから20億年余りを経て、放射線のレベルが下がり、一方では酸素の発生・蓄積が進み、菌類・植物・動物・原生生物につながる眞核生物の出現を見たのです。眞核生物とは、はっきりとした核と核膜が見られ、好気呼吸や光合成の場をもつ眞核細胞からなる生物のことです。

 さらに進化の系譜をたどると、多細胞生物が出現したのはやっと10億年ほど前でした。そして、約5億4千万年前の古生代カンブリア紀に生物種の分化が爆発的に起こり、植物界、動物界、菌界の生物種が急増しました。そしてそれ以後は、生物の多くが短期的に絶滅し (5度にわたる大絶滅イベントをふくめ)、後に別の種に取って代わられるという形が繰り返されたのです。いま私たちが消費している石炭・石油・天然ガスなど化石燃料、じつは億年以上も前それら生物種の急増期に、炭酸同化作用などで太陽からのエネルギーを貯め込み、地中深くに埋蔵された動植物の遺産に外なりません。

 

氷期-間氷期:二酸化炭素の輪廻

 

 人類らしき生物がこの地球に現れたのは、わずか700万年ほど前のことといわれています。そしてそれ以降の人類時代を特徴付けるのが、270万年前からはじまった氷期-間氷期の準周期的な変転です。

 

二酸化炭素 (CO2) サイクル変動を図示する記録

 

 過去80万年間の二酸化炭素 (CO2) サイクル変動を図示する記録(上掲)があります[Nature Vol. 466, p. 47 (2010)]。図のデータは南極の氷柱や海底の堆積層の実測から得られ、横軸は「今」を原点とし、右へ千年単位で過去にさかのぼり、右端は80万年前です。

 間氷期を示すグレー域の分布を見てやると、氷期-間氷期の変動周期は数万年で、氷期の方がやや長くつづいたようです。

 データaは、海底堆積物の柱状試料に含まれる有孔虫化石の酸素同位体組成 (18O) で、動物質の活動度を示します。

 データbは、南極氷柱から復旧された大気中のCO2濃度 (1 ppm = 百万分の1体積比) を示します。氷期の180 ppmから間氷期の280 ppmまで、変化の幅は100 ppmほどです。

 データcは、南極氷柱の重水素含有量から復旧した南極の平均気温の変化分を示します。氷期から間氷期まで、変化の幅は10℃ほどです。

 データdは、南極の深海堆積物からの反射係数から推定した海面の植物プランクトンが作りだす生物起源の蛋白石の堆積量で、植物質の活動度を示します。

 ここで、データ a〜d は互に独立、つまり、ある測定データが別の測定データから導かれたものではないことを念頭に置きます。その上で、これらのデータから、現象間の強い相関が読みとれることに留意しましょう.

 図によると、極地の気温と大気中の二酸化炭素濃度さらには動植物の活動度が、氷期-間氷期のサイクル変動と同期しています。それは二酸化炭素の輪廻ともいわれ、生物の生成・死滅を通じて生物ポンプなるものをはたらかせ、大気や海の中で二酸化炭素を環流させるのです。

 わが地球は、これら生物圏の誕生・変遷劇の格好の舞台である大気・海・岩石を備えた、宇宙でも希有の天体です。しかしこの舞台はまた、十数億年を超える永きにわたり、やっとのこと保たれてきたデリケートな自然環境でもあるのです。

 

気候危機領域への突入

 

 2百年ほど前の産業革命にはじまる化石燃料の大量消費は二酸化炭素の輪廻を著しく変成しました。その結果、大気中に蓄積された温室ガスがひき起こす地球温暖化は、今世紀中に気候危機をもたらし、数世紀後には生物多様性さえも脅かしそうです。大気中の二酸化炭素の濃度は、1850年の280 ppmから1980年の337 ppmさらに2011年の385 ppmと急上昇し、平均地表温度はその間0.9 ºCほど上昇しました。

 人類はこれまで500 GtC (1 GtC=炭素十億トン) もの温室ガスを大気中に排出し、今も年間13 GtC以上の割合で放出しつづけています。もしこの情勢がつづけば、炭素の排出総量は2050年までにたちまち気候危機勃発の閾値である1兆トンに達し、その時点で、平均地表温度は2℃上昇していると予想されます。ですから巨大台風の多発など気候変動の危険領域に突入するのは束の間のようです。さらに、世界中の石炭層やタールサンドに含まれる炭素量を考えますと数兆トンの追加排出も想定せねばならず、黙示録的な終末論はさらに現実味をおびることとなります。

 

生物種の大絶滅

 

 気候危機の勃発とともに、今この地球上で過去5回の事象に匹敵する規模の生物種の大絶滅が現実のものとなりつつあります。この第6の絶滅は、申すまでもなく、億年前の生物の化石燃料を我々が今大量に消費していることによる人為的な地球温暖化に起因します。そのことは、海水の酸性化や温度上昇にともなうサンゴ礁の死滅や白化で例示されるように、地表の平均気温が1℃高くなるごとに新たに絶滅の危機に瀕する種の数が10%増えるとの予測にもとづきます。

 下の図は科学誌「ネイチャー」2011年3月10日号 (p. 155) からの引用で、大気中二酸化炭素濃度がサンゴ礁の生存におよぼす影響を地図上に示したものです。その上図は2005年で二酸化炭素濃度は380 ppm、下図は今世紀後半に二酸化炭素濃度が550 ppmに達する時点を想定します。

大気中二酸化炭素濃度がサンゴ礁の生存におよぼす影響を地図上に示したもの

 

 地図上の色分けは、アラゴナイト (炭酸カルシウムの一種) の海中飽和 (最大濃度) レベルによりサンゴの生存適否を判定するもので、3.75以上 (濃青) は最適、3.75〜3.25 (濃青-淡青) は適度、3.25〜2.75 (淡青-黄) はぎりぎり、2.75以下 (黄-濃茶) は極めて困難を意味します。若緑は現在のサンゴ礁域を示し、オーストラリアのやや東、大サンゴ礁の中に見られる島 (黒影) がニューカレドニアです。

 大気中の二酸化炭素濃度が380 ppmから550 ppmに増えるや、サンゴ礁の生存可能域が極度に狭まることが、この図から見てとれます。ニューカレドニア近海の大サンゴ礁も、2005年の「適度」から、2050-2100年の「極めて困難」に陥ります。

 このように、過度の温室効果ガスの排出による海洋の酸性化は、サンゴ礁にはじまる海洋生体系の壊滅につながる究極の環境破壊といえます。

 このたびの第6の大絶滅は過去の5回と質的に異なります。それは、人間の“開発行為”を主な原因とする、湿地や熱帯林などの破壊が急速に進んでいる点にあります。過去の大絶滅の後、5百万〜1千万年の間に新たな種が生み出された現場は湿地や熱帯林だったといわれています。それらは、水質保全、森林資産、炭素捕獲など数限りないはたらきで生物多様性を育み、私たちの生物圏を根底から支えました。このような「いのちのゆりかご」の破壊は、代替種を生み出す進化能力の大きな損失を意味します。

 

COP21

 

 - 地表の温度上昇を2℃以下に! –

 この合言葉のもと目睫に迫る気候危機を阻止しようと、《国連気候変動枠組み条約第21回締結国会議 (COP21) 》が2015年末にパリで開かれ、世界190をこえる国・地域のリーダーが集りました。そしてこの目標に向けて新しい国際枠組みを締結しようと2週間におよぶ協議が続けられ、12月12日夜「パリ協定」を全会一致で採択し、閉幕しました。

 パリ協定の骨子は、次のようです。
1.産業革命以降の地球表面平均温度上昇を2℃より低く抑え、むしろ 1.5℃未満に向けて努力を傾注し、今世紀後半に温室ガスの排出と吸収を均衡させる。
2.各国へ、削減目標の作成と報告、達成への国内対策を義務化し、それを5年ごとに更新し、後退させない。

 

2℃の夢

 

 科学誌『ネイチャー』26 NOV. 2015、p. 436 の記事 “The 2℃ dream (2℃の夢)”の要旨は

– 国々は地球温暖化を2℃以下に止めると約束します。気候モデルはそれがまだ可能だと言います。しかしそれは、まず出来そうもない、起死回生の努力があってこそとしか言いようがないのです。-

 その記事をフォローすると、つぎの予見が見当たります。

 2100年には、2015年の末に世界中のリーダーがパリに集まり歴史的な気候サミットを開催した時とはまったく異なる世界が、そこにあります。地球上には88億人がひしめき合っています。エネルギーの消費量はほぼ倍増し、総生産は7倍以上に膨れ上がっています。が、膨大な貧富の格差はそのままです。とはいえ、各国政府はきわめて重要な一つのゴール – 産業革命以降の地球温暖化を2℃以下に抑える – を達成したのです。

 パリの国連会議が転機点でした。気候条約を練り上げたあと、諸国の政府はただちに熱帯雨林の伐採を差し止め、地上の森林面積を広げる動きに出たのです。森林は例の温室効果で太陽光エネルギーとともに大気中の二酸化炭素を吸収するはたらきがあります。2020年までに、毎年170億トン以上もの余剰二酸化炭素を植物や土壌が貯め込み、世界総排出量の約50%を相殺することになるでしょう。

 数百万基の風力発電機が設置され、数千の原子力発電所が建設されました。太陽産業が膨れ上がり、21世紀末までに主エネルギー源の地位を石炭から奪っています。

 

日本の努力目標は先進国中で最悪

 

 でもこれだけでは不十分です。各国政府は排出量を負の領域に押し込まねばなりません。それは大気中から温室ガスを吸い取ることです。

 まずバイオエネルギーの利用を格段に増やします。上で述べた温室効果で吸収した二酸化炭素は、大気中に再放出されます。ですから、バイオエネルギーにおける大気中二酸化炭素濃度の増減はトントンと見るべきです。しかし、ここで発生する二酸化炭素を捉え、大規模に地中に埋め込むことができればどうでしょう。大気中の二酸化炭素濃度の純減をはかることができそうです。

 これらの努力が地球を崖っぷちから救い、大気中の温室ガス濃度は2060年に450 ppmの最高値をとり、以後は減少の一途をたどると言います。つまり地球温暖化は2℃以下にくい止められたのです。

 ここで詳しくは述べませんが、安倍首相がパリ会議で表明したわが国の努力目標は、先進国中最悪という大方の評価を得たようです。“アジア固有のエネルギー資源”(安倍氏の表現) の石炭火力発電を国内外で推進するというのは、いかにも彼らしい、自己益保全型かつ的外れで、世界全体の趨勢に逆行すること著しいものがあります。

 トランプ米大統領が、自国の石炭産業保護などを理由にパリ協定から離脱する意向を表明したのも、それと軌を一にします。

 

われらの責務

 

 人類がチンパンジーから分化するにいたる生物圏の進化と熟成を支えるためには、数十億年にわたり極めて厳しい条件下で地球環境を維持保全せねばなりませんでした。でも今や、地球環境の現状は、多様に進化した生物圏の未来に暗い影を落としています。

 いま地球上の人口は七十億人に上ります。その人類が尊厳ある生活を維持するには、生物圏に相当な負荷を強いることは不可避のようです。が、生物多様性を保全し、生物種の大絶滅を防ぐことは、気候危機の阻止とともに、われら人類に課せられた重い責務であります。

 不可能に見える起死回生の努力を傾注できるか、そして地球を瀕死の淵から救えるか – これからが正念場です。