出版デジタル機構社長 野副 正行
視聴者(エンドユーザー)が期待しているもの
今から10年以上も前のこと、あるテレビ局の制作担当役員と食事をしていて言ったことがある。「今どき、8インチのモニターで見ても、泣ける場面も何もあったものじゃない。視聴者は40インチ以上の大画面で毎日テレビを見ているのですよ!」酒の勢いというわけではないが、 放送局向け製品で世界一のサプライヤーだった会社の一役員の発言としては、ある意味、自己否定ならぬ自社否定につながる私の一言だったが、それを聞いたテレビ局役員は、ゆっくりとグラスを置くと、一言「そうだよな」とつぶやいた。
テレビ画面の大型化とコンピューター・グラフィックによる映像制作はSFやアクション映画にスピード感、華々しさをもたらし、映画やビデオの観客数を伸ばした。一方で、小津安二郎の世界観のような静かな家庭映画作品は増えてはいない。音楽番組に出てくるアーティストにおいても、EXILEやなんとか48のような「画面一杯多人数」がテレビ映りもよく、見栄えがし、視聴者の人気度が高いことも、テレビの大画面化と相関している。
Technology の進化が Media に与えた影響
一般消費者向けのテレビ受像機(モニター) の出現は、映画産業や新聞業界に大きな影響を与えた。ハリウッドでは1970年代後半の家庭用のビデオ・レコーダーの発売に大反対の意思を示し、訴訟を起こした。
その後のオーディオ、ビデオのデジタル化、それに続くコンテンツのインターネット配信と、technology の進化は止まるところを知らない。
アナログからデジタルへの進化は、コピーの質が劣化しないというビジネス課題があったものの、画質・音質の向上、業界の活性化、コスト低減に繋がり、CDやDVD化することで、業界、消費者ともに利益を享受できた。
一方、インターネット配信技術は、デジタル・コンテンツをパッケージの中に確保する必要がないため、コピーがオリジナルと同等の品質を維持できるという、前述のビジネス課題がそのまま市場にあふれ出ることとなった。また、世界のどこへでも一瞬のうちに届けることが可能になった故に、それまでの「形あるもの」中心の管理体系を、あっという間に崩壊させてしまったのである。
この影響をもろにかぶったのが音楽業界である。多くの楽曲はタダ同然で入手できるようになり、音楽は何かの片手間に聴く「(何々し)ながら」コンテンツになっている。結果、音楽を大事に扱う文化はどこかに置き去りにされ、音楽業界の売り上げは全盛期の60%弱にまで落ちてしまった。
出版業界も同じ道を辿っている。一時期に大きく揺さぶられる、というよりは、ゆっくり、静かに、市場が右肩下がりを続けている。
アメリカ、カナダ、英国などの英語文化圏では、すでに出版市場の2割以上を電子書籍が占め、2017年には紙の書籍と逆転すると予測されている。日本の電子書籍市場は未だ全体の5%程度である。一部の出版社を除きインターネット時代に対応する動きの遅さ、鈍さを感じざるを得ない。
新聞にせよ、放送にせよ、ビジネス上の既成事実や時間的な制約(朝刊、夕刊といったビジネスモデルや、朝・昼・夜のニュース番組)によって、インターネットの速報性に伍していない。読者の多くは電車の中吊り広告にある情報週刊誌の見出しには見向きもしないで、自身のスマホでの情報収集や娯楽に集中している毎日である。
成功者のジレンマ
Technology (科学技術)は常に進化する。我々がそれを望もうと望まなかろうと。そして多くの消費者はその進化に何らかの形でついていく。彼らの行動の変化を尊重し、学び(ある意味では分析し)、対応策を考え、実行に移していくことが各業界でビジネスを扱うものの取るべき道であるが、この当たり前のことができないのも現実である。
過去の成功体験があって現在がある。現在あるビジネスモデルは、まさに、その成功体験がもたらしたものであり、心理的な作用もあって簡単には替えられない。替えようとすれば、ビジネス・リスクも大きい。多くの場合、外からの技術やビジネスモデルが、自分たちのビジネスモデルや既得権を脅かすことを「何とか避けよう」とする。しかし、変化、進化は止まらない。それに対応し、順応していくことが問われているのであり、避けることはできないと肝に銘じる必要がある。
自分たちの強みを生かし、新しい技術の提供者、提案者と「上手な補完関係、もしくは共存関係」をつくり、新しい道を目指すことが我々のすべきことである。
新聞であれば、これまで築いてきたブランドへの信頼、それを支えるスタッフ、全国にいる記者の層と彼らのインテリジェンスなどを強みとしてどう生かせるか。売り上げを確保するため築いてきた「定期購読」モデルを如何に提供すれば、最大の読者層をつかむことができるかなど、研究材料は十分ある。この分野でネットを味方につけることはできると思う。
ただし、そうした実行部隊は現在のビジネスをつくっている本体とは別に組織することが、成功する可能性を生む手立てとなるであろう。(これまでにも、本社より輝き、大きくなった子会社は様々な業界で生まれている事実がある)
アメリカの映画産業と放送局は一つの資本の下にコングロマリット化し、出版やネットもその傘下に収めていこうとしている。制約条件や法律面での違いがあり、一概に言えないが、日本でもインターネットが普及した環境下、大手メディアが形を変えて業界をリードし、読者(エンドユーザー)に新しい情報を与え続けていくことは十分に可能であると思っている。
新しい海への船出は厳しいが、すでに欧米企業はやっている。我々にもできると信じている。
<注>出版デジタル機構
電子出版物の普及を促進するため、2012年に、産業革新機構、講談社、集英社小学館、新潮社、文芸春秋、角川書店、筑摩書房、光文社、有斐閣、平凡社、大日本印刷凸版印刷などが出資して設立された。資本金39億2800万円。電子出版物100万点を目指す。