書き手と読み手のいない世界

中江 有里

  出先に書店があると必ず立ち寄る。銀座なら教文館、新宿なら紀伊国屋、渋谷ならマルゼン&ジュンク堂書店。どの書店に行っても客が結構いて、時間によってはレジの前に行列が出来ている。しかしそれは大型書店に限っての話である。

 書籍の売上げが下がり、小さな書店は立ち行かず、閉店に追い込まれている。一方で出版点数は増え、一日に200点あまりの新刊が出ている。売れないのに(売れないから)どんどん本を作っている。その方がベストセラーのでる確率が高くなる。

 出せば出したで出版社の経営も厳しくなっているであろう。厳しい話はあまり聞きたくないが、いち書き手として、また読者として無視はできない現実である。

 中でも文芸・小説が売れない。いや、売れている本はあるがごく一部で、大半が売れずに絶版の道をたどることになる。対して実用本は文芸、小説よりは売れ行きが見込める。年間の本売上げを見ればベスト10のうち大半はダイエット、レシピ、自己啓発などの実用本。どうせ買うならすぐに役立つもの、という心の表れであろう。

 

Photo:Junichi Seki

Photo:Junichi Seki

 

 ところがテレビや映画では、映像化できそうな本を探すのに躍起である。

 2013年11月現在に公開された映画興行ランキングを見ると、一位『風立ちぬ』は宮崎駿が長編映画最後の作品として話題になったが、アイデアは堀辰雄『風立ちぬ』『菜穂子』から得ている。6位『謎解きはディナーのあとで』はシリーズで355万部を突破した東川篤哉の作品、そして7位『真夏の方程式』11位の『プラチーナデータ』はともに人気作家である東野圭吾作品。海外作品を除き、残りのベストテンに挙げられたのは『ポケットモンスター』『ドラえもん』『ドラゴンボール』といったアニメが並ぶ。アニメもまた漫画原作もの、つまり原作のないオリジナル作品の方が少ない。

 テレビの場合、2013年1月期に放送された連続ドラマ(3ヶ月で終了するドラマ)15作中6作は原作もの。4月期は17作中6作、7月期15作中7作、10月期は16作中7作が原作ものである。すべて足してみると63作中26作。この数字は少なく見えるかもしれないが、単発ドラマ(二時間ドラマ)を含めると、原作ものはもっと多い。原作ものが多く制作される背景には、ドラマの全体像が容易に想像できる安心感と、原作ファンの視聴者が見込めるという面がある。逆に言うと名のある脚本家でなければオリジナル脚本が採用されにくくなっている点も否めない。

つまりテレビドラマや映画を下支えしているのは、売れていない文芸・小説である。

 しかし売れなければ作家は食べていけない。編集者は社会人から作家デビューを果たした人には「今の仕事を辞めないように」とアドバイスし、学生作家には就職をすすめる。いきなり専業作家となって、思うように書けなかったり売れなかったりすると、次回作どころではなくなり、作家廃業の憂き目に合うからだ。

 作家がいなくなる―これほど出版界、書店にとって怖いことはないだろう。実際には作家志望者はあとを絶たないので、それほど恐れてはいないのかもしれない。

 でも今売れている作家が最初から売れていたか、といえばそうではない。先に挙げた東野圭吾も北方謙三も大沢在昌もみな初版どまりの時期を長く過ごしている。今は長い目で編集者も出版社も作家を見てくれない。どの世界も同じかもしれないが新人を育てる余裕がない。小説が売れず編集者から「官能小説か時代小説」の執筆を勧められた佐伯泰英は時代小説を書いて成功を収めたが、誰もがそううまくいくわけではない。

 書き手だけでなく、読み手もいなくなっている。あらゆる娯楽が少ない余暇の奪い合いしている現代において、読書はエネルギーのいる高尚な娯楽になりつつある。読書は習慣によって身につくもので、自転車みたいなものだ。漕ぎ続ければ前に進めるが、足を止めると前に進めないだけでなく、ただ乗っていることもできない。決して楽な娯楽ではない。

 ふと想像してみる。書き手も読者もいない世界を―

 映画やテレビドラマは作られるのだろうか?

 それを楽しむ人はどこかにいるのだろうか?