国立競技場をレガシーとして残す道

森さん001

M.Mori

森まゆみ

ザハ・ハディッド氏デザインの新国立競技場が揺れている。2020年の東京オリンピック・パラリンピック(2019年のラグビーワールドカップ)で使う8万人収容の競技場を新築すると国会が決議して、2012年に国際コンクールで選ばれた。この当選案に対し、都市景観、コスト、安全上、建築家の槙文彦から批判と政府への要望があった。私たちは昨年10月、市民団体「神宮外苑と国立競技場を未来へ手渡す会」を結成、さまざまな角度からこの競技場を検討してきた。敷地の逸脱、サブトラックがないことも問題で、予算1300億円を大幅に上回り3000億円かかるのではないか、ともいわれた。

 オリンピックは主催者はIOC(国際オリンピック委員会)、招致都市は東京、競技場は国立で、文科省が独立法人日本オリンピック振興センター(以下JSC)を監督しながら進めている。しかし税金を用い、ユーザークライアントは国民であるのに、JSCは有識者会議の発言内容、審査の過程などを、私たちが要求しても公表してこなかった。

 

ロンドン会場の3倍

 

 都は招致に当たって「1964年オリンピックのレガシー(遺産)を最大限活用し、コンパクトで安上がりなオリンピックを目指す」と言ったはずだ。これは2011年3月11日の津波と原発事故のあと、東北の人々が今も家を失い、ふるさとを失っていることを考えれば、当然の姿勢である。

 新国立競技場計画は、これに逆行するものだ。29万平方メートル(縮小して22万)というロンドン会場の3倍の大きさ、1300億円(現在1700億円)という桁違いの費用、75メートルという高さ、電動屋根、電動可動席、空調とすべてが電気多用型、45億円の維持費とそれを上回る50億円を稼ぐという甘い予測。

 5月末に発表された基本計画は、当初案とは似ても似つかぬ形になっていた。設計者も不本意だろう。5メートル高さを押さえて景観に配慮したふりをしているが、当初案の逸脱を元に戻しただけだ。そこにはサブトラックの事も、霞ヶ丘都営住宅の人々を追いだすことも触れられていない。屋根としては使えない可燃性のC膜(燃やすとダイオキシンが出る)も屋根でなく「遮蔽物」と言いくるめた。消費税は5%で計算。無理を重ね、ごまかし、弥縫策に終始したものである。資材、人件費高騰の折り、費用はこの二倍はかかるだろうと建設関係者はいう。

 

IOCアジェンダに違反

 

 この計画をIOCは知っているのだろうか?IOCには高邁な「オリンピック憲章」とリオの環境サミットをふまえて1999年に採択された「オリンピックムーブメンツ・アジェンダ21」がある。今の計画はこれをことごとく踏みにじるものだ。これには「既存の競技施設をできるかぎり最大限活用し、…環境への影響を弱める努力をしなければならない」とある。それだからかJSC自身、2011年に久米設計に改修計画を検討させたが、その777億円で改修可能という報告を、私たちが要求しても公表しないできた。

 アジェンダは「既存施設を修理しても使用できない場合に限り」新築が許されている。しかしその際には「当該地域にかかっている制限に従わなくてはならず」「まわりの自然や景観を損なうことなく設計されなければならない」としている。現行計画は高さ15メートル制限の風致地区で70メートルまでよい、とする案を募集したこと自体、アジェンダ違反である。しかも神宮外苑の木を切り、公園を潰し、都営住宅の人々を移転させ、重要文化財聖徳記念絵画館の左上に大きくそびえて景観を破壊する。またヒートアイランドを防ぐ南からの風の道を塞ぐ。屋根(遮蔽物)にはアジェンダの禁じている可燃・有害物質(塩化ビニル、燃やすとダイオキシンが出る)がつかわれている。これらすべてアジェンダ違反といえよう。

 

名誉ある撤退を

 

 主催者IOCはこの違反を知っているのだろうか。知っていて黙過するなら、IOCそのものの存在が問われる。また招致都市の都は環境アセスメントをアリバイ作りのためではなく、厳格に行うことを望む。実施設計もまだでどんな建築ができるのかわからない、環境アセスもこれからなのに、事業に着手してはならず、現競技場の解体は中止しなくてはならない。おりしも解体工事の入札は不調におわり、舛添都知事はオリンピック施設計画を見直す、と発言している。立ち止り、地域住民、都民、国民ともどもよく考えようではないか。

 現行案をまず白紙に戻せば、設備を加えた美しい改修なり、高さも今くらいの「おだやかで、ささやかな」新築なり、場合によっては仮設なり、という選択肢も出てくる。すでにたくさんの建築家が、耐震、トイレの増設、レストラン、バリアフリー、エレベーターなどの設備追加は可能だとしている。だいたい東京オリンピックより20年近く先行したベルリンオリンピックのメインスタジアムも、その負の遺産も含めてレガシーとして、きれいに改修されて、今もよく使われているのである。

 「日本社会にはアクセルはあるがブレーキはない」(アレックス・カー=米国の日本文化・東洋文化研究者)と言われる。いったん官僚たちが既定路線を走りだすと、間違っていても止まらない。先に第二次世界大戦でも「インパール作戦」をはじめとする甘い予測と根拠なき暴走でたくさんの青年の命を奪った。まさに神宮の競技場は、雨の学徒出陣壮行会が行われた場所である。

 この計画は間違いなく将来世代のつけとなり、禍根を残す、いわゆるホワイト・エレファントである。オリンピック後も最大50日しか使われない巨大建造物が神宮に居座り、外苑西通りは人工地盤の下の谷間となる。

 日経新聞のアンケートでも70%が建築費が「高すぎる」といい、60%超が「改修」を望んでいる。思い切って名誉ある撤退をしてほしい。国民はそれを賞賛こそすれ、非難はしない。「足るを知る」「もったいない」の精神、環境時代に舵を切る姿勢を世界に発信し、日本の存在感をます道だと私は信じている。