政治とメディアの一本化

M.Kimiwada


君和田 正夫

 読売新聞朝刊の「補助線」と題したコラムに、このところ驚かされています。6月15日付で小田尚氏が「海自艦上に立つ日米首脳」という見出しで評論めいた記事を書いています。11面の三分の一以上を占めている大コラムです。

 
 記者クラブ理事長から公安委員へ
 

 小田氏は国家公安委員になった方です。ところがコラムの肩書は「読売新聞調査研究本部客員研究員」です。小田氏は読売グループ本社の取締役論説主幹でしたが、2017年に公益社団法人日本記者クラブの理事長になりました。そしてその翌年、理事長の任期を1年以上残して、国家公安委員に転じたのです。新聞から国家権力の一翼を担うポストに転身すること自体、私には信じられないことでした。当時、話題になりましたが、メディアから国家公安委員に転じた人は以前にもいたということで、多くのメディアはあまり取りあげませんでした。
 記者クラブの理事長を途中で放り出して委員になる理由は何だったのでしょう。新聞社の事情か、国の事情か、本人の事情か。いかなる理由であったとしても、メディアと政治権力の距離がこんなに近くなってしまったのか、と思わざるをえませんでした。
 小田氏が国家公安委員になった後も読売新聞に籍を置き、執筆活動をしているとは驚きでした。コラムの肩書を見て初めて知った次第です。転身と同時に身を引く、というのがジャーナリズムの世界の“掟”だった、というのは、私の錯覚だったのでしょうが、今でもそうあるべきだ、と思えてなりません。コラムには当然、国家公安委員の肩書も明記すべきです。
 コラムの内容については意見の相違があって当然だと思いますが、宮中晩さん会、ゴルフ、大相撲観戦、炉端焼き、護衛艦「かが」視察で11時間を共に過ごした経過を説明し「日米同盟の一層の深化を内外にアピールすることに成功したといえよう」と総括しています。

 
米国でも「密接な関係」
 

 権力との距離感について、小田論文と同じ15日に毎日新聞は「米大統領とFOX」という2回にわたる連載を掲載しました。16日の「下」で両者の「密接な関係を如実に表すのが人材の往来だ」として、次のような具体例を挙げています。

 FOXニュースの共同社長を務めたビル・シャイン氏を大統領次席補佐官(広報部長)としてホワイトハウスに入れた。米誌ハリウッド・リポーターはシャイン氏がホワイトハウスに移った後も、FOXから報酬を受け取る契約になっている。朝のトークショーのキャスターだったヘザー・ナウアート氏はトランプ政権の国務省報道官に就任。
 ワシントンポストの集計(5月3日現在)によると、大統領がFOXのインタビュー取材に応じた回数は、17年の大統領就任後、52回(系列のFOXビジネスを含む)なのに、他のケーブルテレビ局で政権に批判的なCNNとMSNBCには一回も応じていない。三大ネットワークと呼ばれるCBSが5回、ABC3回、NBC1回。

 
「安倍インタビュー」の特ダネ
 

 思い出すのは一昨年(2017年)5月3日の読売新聞。安倍首相にインタビュー取材し「憲法改正は20年施行が目標」という“特ダネ”を引き出しました。そればかりか首相は衆議院の予算委員会で「自民党総裁としての考え方は読売新聞に書いてあるからぜひ読んでくれ」と答弁し「国会軽視だ」と批判を浴びました。首相自ら読売新聞との相性の良さを認めた形ですが、これほど露骨な“相思相愛”が成り立っていることも「そこまで来たか」という思いを強くしました。

 産経新聞も今年の憲法記念日に合わせて首相にインタビューし、「条件を付けずに金正恩朝鮮労働党委員長と会って話し合ってみたい」という発言を引き出しました。産経も首相と相性のいい新聞です。

 
“ご相伴”にあずからない朝日
 

 テレビ朝日の社長をしているとき、当時アナウンサーだった丸川珠代氏が選挙に出るので退社する、と社長室に挨拶に来ました。現参議院議員です。出馬はすでに噂されていました。ジャーナリストの政治家への転向は良くあることなので、以前から聞いてみたいと思っていたことを尋ねました。「ジャーナリズムと政治の距離感についてどう考えているか」。

 答は覚えていません。少なくとも私が納得できるようなものではありませんでした。

 新聞各紙に「首相動静」が掲載されています。その日、首相がどのような人たちと会ったかがわかります。新聞、テレビなどのトップが昼食や夕食をともにしたり、時にゴルフをしたりしている様子がつかめます。このところメディアのトップクラスとの会食が多いように思えます。私の知る限り、全国紙では朝日新聞だけが“ご相伴”にあずかっていないようです。
 こんなところにも、政権による「メディアの選別」が行われています。朝日新聞よ、高い付けが返ってくるかもしれない食事はお断りして、庶民と同じ食事を食べ続けようではありませんか。

                    以上