山崎エリナ
この瞬間を絶対に逃したくない!ーー私は夢中でシャッターを切っていた。
照れくさそうに窓から顔を覗かせ、左手を椅子の背に伸ばした5歳くらいの男の子。名前も年齢も知らない。ただ、茶色の瞳とその笑顔はどこまでも輝いている。
バラ板やトタンで作った小屋がひしめきあって立ち並ぶファベーラ(スラム街)だった。失礼な表現かもしれないが、動物の小屋のような印象で、テレビや家電もない。
男の子の家もそのひとつで、一際鮮やかなブルーのペンキで塗られていた。
最初に見かけたときは泥や汚れが染み付いたパンツをはき、妹らしい女の子と家の前で追いかけっこをして遊んでいた。私を見つけるとすぐ家の中に隠れ、やがて窓からそっと顔を覗かせたのだ。
男の子の恥じらいと子供らしさが可愛かった。だからシャッターを切った。その通りなのだが、それだけではなかった。
子供の笑顔はどこで見ても可愛いらしい。けれど、その男の子の笑顔は日本の子供達のそれとは少しだけ違って見えた。
その違いは何なのだろう。私は撮影旅行の間ずっと考え続けていた。
2011年、私はブラジル1万キロ、30日間の旅に出た。ブラジルの鮮やかな色や子供たちを撮りたかったのだ。
しかし、雨季のブラジルには鮮やかな色はない。ただどんよりとしたグレーの空だけが広がっている。サンパロの街を歩いて、歩いて、歩いても、探していた鮮やかで陽気な空気に出会わない。
私はサンパウロからクリチバへ向かう列車に乗った。朝から曇り時々雨、空気はじめっとして、暑さがじっとりと肌に張り付くようだった。
ゆっくりと列車が走り出す。砂埃の街から広い草原の中を通り向け、遠くに木々がぽつりぽつりと佇み、雨上がりに出た太陽に照らされて輝いている。
やがて薄汚れた窓を通して見えてきた景色に目を奪われた。
バラック小屋のガラスがない窓からこちらに手を振る子供たち、屋根のないホームには小雨に濡れながら手を挙げるカップルや労働者がいる。電車を追いかける野良犬、草原に寝そべり居眠りする馬に牛、洗濯物が無造作に干され、その下で犬がこちらを見ている。
どこか遠い過去の記憶を辿るような色褪せたセピア色。これまで見たことがない光景だった。
古い教会があるサルバドールという街に着く。デコボコとした石畳、ひびが入った壁に歴史を感じる。小さな路地が多い古い町並みは、少し寂しげで美しい。
広場では子供たちがサンバのリズムに合わせて踊っている。足の先から手の先まで、全身から溢れ出てくるエネルギーを放出しながら。
やっと歩き始めた子供もよちよち足でステップを踏んでいる。子供たちの踊る姿の美しさに心も躍る。
サンバで有名なリオデジャネイロ。夕暮れに照らされ軽やかに踊る足元。なんとも美しい光景に、シャッター音がサンバのリズムを一緒に奏でていた。
誰もいない赤く染まるリオの海の波音はボサノバの音楽に聞こえ、ボサノバは街の雰囲気や風景から生まれたのだと実感した。
男の子に会ったマナウスという町はブラジルの北部、アマゾン川河口から約1500キロの地点に位置している。
さらに内陸に入ると、そこは「緑の魔界」と呼ばれるジャングル地帯だ。
人口は150万人。ビルもある都会だが、その華やかさの陰にスラム街もある。
スラム街には木がほとんどなく(すべて家作りの材料にされたのだろう)、街は土の色に染まっている。
黄色い砂埃の中、私はスラム街へと向かった。というより、人の気配や生活感に引き込まれるように歩いて行った。
その一角では、子供達が上半身裸で泥だらけになって遊んでいる。空気の抜けたサッカーボールを蹴って追いかける小学生くらいの男の子たちもいた。
右を見れば、お父さんらしき人が家の窓から無表情でこちらを伺っている。「ボンジーア(こんにちは)」と、声をかけると初めて笑顔を見せた。左を見れば、木の板で作ったリアカーにアマゾン川で獲れたナマズや、50センチはあろうかという大きな魚がたくさん積み上げられていて、その横でお兄さんが「俺が釣ってきた。凄いだろう!」と言わんばかりの自慢げな表情をしている。
木登りをしている三人の女の子は、カメラを持った私を見つけると、くすくす笑いながらカメラに向かってポーズを決めた。おしゃまさんな女の子。
道には細長いフットボールのようなスイカを食べ捨てた皮が落ちていて、魚の臭いもする。
もちろんスラム街の生活は裕福ではない。魚を釣り、ジャングルにある果物を採って何とか暮らしている。
けれど、住んでいる人々には悲壮感がない。いや、笑顔で日々を過ごし、人生を楽しんでいる。
物がないのに豊かに感じる。これは一体何なのだろう。
ブラジル人は、どんなに深い悲しみを抱えていても、サンバの音楽やダンス、祭りで人生を楽しんできたという。これは彼らの知恵、生きる術なのだろう。
笑顔の裏の悲しい歴史。それを乗り越えてきたDNAをブラジル人は今も失っていない。
おばあちゃんが駆けずり回る孫を見守り、母親は生まれたばかりの赤ちゃんをたらいで洗っている。私はハタと気付いた。これって昔、日本にもあった光景だと。
家族みんなが役割分担しながら日々の生活を送り、近所の人たちと果物や魚を分け合っている。みんなで寄り添い、生きるーーそんな当たり前の生活がここにはあった。
なんでもないことが温かかった。スラム街で笑顔の子供たちにカメラを向けた自分もまた、ずっと笑顔だったことに気づいた。
日本の子供達とは少しだけ違って見えた男の子の笑顔。
それは豊かになった日本が忘れた何かだったのかもしれない。