長時間労働、ヤマト、メディア

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 働かなくなってから、働くということを考える、なんとも皮肉で矛盾に満ちた話です。長時間労働が深刻なテーマになっています。長年の知人がネット上に書き続けている評論があります。この問題考えるヒントを提示してくれています。「時代刺激人コラム」と題して、2008年から始めたそうです。この6月30日号で294回に達しました。300回を目指しているコラムニストは、生涯現役を目指す経済ジャーナリスト、牧野義司氏です。

 その最新号から冒頭部分を引用させていただきます。

 

「ヤマト、頑張れ!」コール

 

 「宅急便大手のヤマト運輸は、不思議な企業だ。インターネット通販増大に伴う宅配現場の人手不足による深刻な配送遅れ、巨額の残業代の未払いなど、引き起こした問題が日本中の関心を呼び、社会問題化させた。そればかりではない。ネット通販が今後の大きな潮流となるのは避けられないので、この際、宅配を含めた物流という社会インフラをどうするかを考えるべきだ、との議論も誘発した。一企業の問題で、これほど社会的な広がりが出たケースは珍しい」

 ヤマト運輸が窮余の一策として値上げを表明した時は反発が噴出する、と思っていたら、意外や意外、「ヤマト頑張れ」コールが大勢になった、と筆者は驚いています。その上で物流の世界のイノベーションについて説いています。

 実は私もヤマト頑張れ、と思った一人でした。便利な宅急便の恩恵を受けているからです。他社との競争に打ち勝ち、消費者の信頼を勝ち取るためでしょう、小走りに荷物を配って歩く姿を見ていると、感謝の気持ちさえ生まれてきます。

 しかし、そうしたユーザー向け便利さや企業間の競争の裏には「サービス残業」や「長時間労働」がいつも見え隠れしています。しかしつい便利さにかまけて、その事を忘れてしまいます。最近の事例は「忘れてはいけない」と警告しているように思えてなりません。

 2015年12月に起きた電通の社員自殺事件は長時間労働の典型例です。最近では新国立競技場の作業現場で働いていた新入社員がやはり長時間労働に耐えられなかったのでしょうか、自殺する事件がありました。電通の違法残業は、東京簡易裁判所が正式な刑事裁判を開くことを決めました。東京地検が書面だけの審理でよい略式起訴した事件を裁判所が「不相当」と異例の判断をしたのです。きっちり審理しましょう、ということです。

 

報道現場の残業改善と「特ダネ」

 

 残業を減らそうという流れとは別に、残業時間の規制を外そう、という動きもあります。専門職で収入の高い人を対象にした「高度プロフェッショナル制度」です。連合が政府との「政労合意」を撤回したことで話題になりましたが、専門職、長時間労働と言うと、私がすぐ思い浮かべるのは「報道」の現場です。典型的な長時間労働でした。

 朝日新聞の社内報は「夏」号で「働き方改革を進めています!」という特集を組んでいます。朝日新聞社や日本経済新聞社は労基署から長時間労働の是正勧告を受けたことがあります。社内報によると、朝日は電通問題より前の14年に基準外賃金の制度改革を機に、新聞記者や営業マンにも「出勤」「退勤」時刻を記録させるようになったようです。社報では「新聞社の宿命のような『長時間労働』からの脱却」を謳っています。

 これを受けて、各部署では泊まり勤務の見直しや「ノー残業デー」を決めて午後7時で仕事を終える、といった対応を取っているようです。また別の新聞社の記者は「夜討ち」して翌日「朝駆け」をすることを禁止された、と話していました。「夜討ち」というのは、取材相手が帰宅するころに相手の自宅などに取材に行くことです。「朝駆け」は相手の出勤前、外出前の早朝に取材に行くことです。深夜、早朝の取材は昔から「特ダネ取材」の基本動作のように言われてきました。

 こうした情報が伝わるにつれ、古き良き時代の記者仲間が集まると「それでは特ダネが取れなくなるのではないのか」「発表ものの記事ばかりになるのではないか」という心配の声が飛び交っています。さらには昨今の政治情勢から「メディアコントロールを図る政府の陰謀ではないのか」という意見さえ聞こえて来ました。

 経営陣、編集の責任者は、そうした危惧については十分承知の上のことだと思いますが、取材態勢、取材時間を変えただけでは対応できない問題が根底にあります。

 一人の労働時間を減らした分を誰が穴埋めするのか、定年延長も含めて採用を増やし、要員計画を根本から見直すのか。生産性向上にはどのような方法があるのか。ネットを使った取材を自宅で行うようになるかもしれない。賃金体系は変えるのか。これまでのように政治・経済・社会・文化・スポーツ・科学といった各分野の取材を維持するのか、切り捨てる分野を増やすのか。

 これらはメディアの「表情」を換えてしまう可能性を秘めています。場合によっては「役割」にまで影響するかもしれません。メディアにおける「顧客ファースト」とは何か、という問題を表面化させることにもなります。

 

「顧客ファースト」の恩恵

 

 

 「時代刺激人」の牧野氏はヤマトの創業者、小倉昌男氏の言葉を引用します。「よいサービスをすれば…生産性向上につながり利益も増える。だから利益よりも、顧客サービス提供を」。

 合わせて米国のヘルスケア大手、ジョンソン&ジョンソンの「社是」も紹介しています。この社是は私が現役の記者だったころ、ある経営者に「是非読みなさい」と勧められたものでした。朝日新聞、テレ朝で経営に携わっていたころ、いつも机の引き出しの中にありました。

 

 正確には「Our Credo」(我が信条)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「我々の第一の責任は、我々の製品及びサービスを使用してくれる医師、看護師、患者、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客に対するものであると確信する」という文章で始まり、第二の責任は「全社員」に対し、第三の責任は「地域社会」「世界の共同社会」に対し、そして最後の責任は「株主」に対するもの、と謳っています。

 ジョンソン&ジョンソンは1886年の創業です。創業家一族のロバート・ウッド・ジョンソンが1943年の取締役会で発表したのが「我が信条」です。同社のホームページによると、「株主を最後にするのはおかしい」という意見に対してこう答えたそうです。「顧客第一で考え、行動し、残りの責任をこの順序通りにゆけば、株主への責任はおのずと果たせる」。どこか小倉さんの考えと似ていませんか。

 私もこの精神を持ち続けたいと考えていますが、皮肉なことに、日本では顧客ファーストが、長時間労働を生み、私たちはその恩恵を受けている、ということです。一度味わった快適さを捨てることができません。しかしメディアはどうしたらいいでしょう。とくに新聞は恩恵を受けていると考える読者が減ってしまっているのではないでしょうか。長時間労働を考える機会を、新たなメディア像をつくるきっかけにしてもらいたいと期待しています。「いい記事」や「特ダネ」といった従来型の「読者サービス」と「生産性」とが、どこで重なり合うのか、大きな分岐点にあると思います。