誇り

T.Kobayashi

T.Kobayashi

小林 大志

 今年の冬帰省すると父が競輪番組を観ていた。十年前に競輪選手をやめて以来、初めてそんな父を観た。 「やっぱり、自転車が好きなの?」と恐る恐るきくと父はうなずいた。 「またバンクを走りたい?」とさらに尋ねる私を見つめて、笑った。 「やっぱり今度はもう、お前の走る番じゃけえの」

 「おどれの嫁今頃浮気しとんぞ」下卑た野次が飛び交う広島競輪のバンク。六歳だった私は、大人の男達の荒々しい怒声が怖くて、母の腕にすがりついていた。母に連れられ、初めて観戦する父のレースだった。

 初めはつまらないスポーツだなと思った。一列を崩さずに選手たちは走り、ぐるぐるとバンクを回っている。手に汗握る展開はない。退屈に観ていると、突然、耳を劈くような金属音がなり響いた。私はとっさに耳をふさいだ。先頭の選手が脇へそれると同時に、残った選手たちは各々加速した。列は乱れて、お互いに激しくぶつかり始めた。車体と同士のぶつかり合う音と大人たちの歓声が混ざる。バンクの熱気に私の体が包まれる。

 混戦をしり目に、一人の選手が先頭に躍り出た。黄色の5番。父さんよ、と母は叫び、猛スピードで父は私たちの目前を過ぎ去った。シャーっという、父の車体の音だけが高く響き、その余韻に集団はかろうじて追いすがっている。ラスト一周、3番の選手が飛び出て父の背後にぴったりと張り付いた。父がバテる機会をうかがっているようだった。残り500メートル。父はさらに加速した。三番の選手を置き去りにし、ぶっちぎりのゴール。自転車をこいだまま立ち上がり、父は拳をあげた。バンクは歓喜に震え、その日父は人力最速の男だった。

 私が中学校2年生の時、父はケガが重なってA級二班に降格した。A級2班の賞金では生活費と私の私立中学の高い学費を賄えるはずもなかった。父は40代であっさりと選手をやめた。そして、親のコネで不動産会社に就職した。ジャージの代わりに背広を着て朝7時の電車に乗り、夜10時に帰宅した。もう人力最速の男ではなかった。休日の昼間に競輪番組が流れると、父は母に強い口調でテレビを消せと言った。まだ、走ることへの未練があったのだろう。私の学費が、父の人生を台無しにしてしまったような気がした。

 一着をとったあの日の父は確かに私の誇りだった。そこまで強い選手でなかった父にとっても、あの日は誇りに満ちた思い出だろう。だが、今年の冬帰省し、次はお前の番と言った父の笑顔は、父親としての誇りをたたえていたように思える。
「男にはもっと大事なレースがあるんじゃ」

 何もかもふっきれたよう父は言った。もっと大事なレース。私は泣き出してしまった。