テレビは映像メディアです

H.Sekiguchi

H.Sekiguchi

関口 宏

 昔、我が家のテレビが壊れて、音はするのに絵が見えない状態になったことがありました。
となると、何が放送されているのか、多少の見当はつくものの、放送として全く成立せず、ただイライラするだけなので、コンセントを抜いて蹴っ飛ばしてやりました。
 それはそうでしょう、テレビ屋は(絵なし、音だけ状態)など、まるで想定していないのですから。

 そこへゆくと、ラジオはイライラしません。それもそうでしょう、ラジオ屋は、はなから「絵」など当てにしていませんから、「音」だけで充分成立するのです。

 「何を当たり前なことを、ぐだぐだ言ってるんだ!」と、そろそろ怒鳴られそうですが、何と言っても、やはりテレビは「映像メディア」なのです。

 

テレビは映像メディアです

テレビは映像メディアです

 

 映像がなければ成立しないテレビ・・・・
 しかし、その肝心なテレビの映像が最近、乱れ切っているように思われるのです。

 例えば、「字」だらけの画面。
 上下、左右、更には四隅に、番組タイトルとか、コーナータイトル、更に更に客を離さないための、こけ脅し的キャッチコピー、酷いものになると、折角見ているのに、内容までご丁寧に「字」で説明しているものもあります。
 「それも映像のウチだ!」と言われてしまえばそれまでですが、これではベースの「絵」が死んでしまいます。カメラマンが苦労して撮った「絵」、その「絵」が物語る行間のような感性が殺されてしまうのです。

 他愛ないバラエティー番組ならまだしも、信憑性を問われる情報系の番組では、「言葉」よりも、登場人物の表情や、その場の空気が大きく物を言う場合があるのです。それを表現してこそ、テレビのテレビたる所以であると思われます。
 もちろん、その映像を、より効果的に理解していただくための「字」やスーパーであるなら、その限りではないのですが・・・・・

 日本だけではありません。アメリカも最悪の「字」だらけです。
 テレビとはそうなる運命にあるのでしょうか。
 それこそ天気から株価、スポーツの結果や起きたばかりの事件を、横に流れる「字」のスーパーを、同一画面に詰めるだけ詰め込んで、「お好きな情報をお選び下さい」になっていて、本来の番組の主張は、存在感がありません。

 

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テレビは映像メディアです  

 

 「字」が出れば、目は「字」に引きつけられ、肝心の「絵」の印象は薄れます。
 記憶に残るのは「字」を中心にした情報ばかりで、情報だけでいいなら、ネットやスマホで間に合うし、わざわざテレビを見る必 要がなくなってしまい、それも、最近のテレビ離れにつながっているような気がしてきます。

 テレビが個性を失わないためには、テレビ自らの利点を磨きつづけること。他のメディアの「いいとこ取り」をしているうちに、 自らの存在価値を、自ら破綻させてしまわないようにと願うばかりです。
 (アレ!?・・・・・これ何かに似ていません?・・・・・そう、今議論百出のアレ・・・・・集団的自衛権・・・・・?)

 失礼!話を元に戻しましょう。テレビの個性は「映像」にあり。

 苦労して作ったセット、無理をお願いしてお呼びした出演者、ぎりぎりの取材をして、断腸の想いでカットしながら繋いだVTR映像、それらが「字」だらけの画面に埋もれてしまい、結果、その番組の個性も失ってしまう状態の中で、悪戦苦闘するテレビ屋達。
 どこか、無駄な事を一所懸命やっているような気がしてなりません。

 では何故そうなってしまうのか・・・・・
 残念ながら、このコラム欄の常・・・・・やはり視聴率欲しさの結果に行きついてしまいます。

 テレビ屋は、リモコンを押し続けて、気に入ったチャンネルを探す視聴者を取り込もうと、出来るだけ目立つような「字」のスーパーを使うのです。
 それは、流離っている視聴者には多少の効果があるのかもしれませんが、最初から見ている視聴者には、「邪魔で邪魔でしょうがない!」と思われているところまで、気が廻っていないのでしょう。

 しかし、この傾向は収まる気配がありません。ツイッターだ、ラインだと、メディアは広がるばかり。テレビ屋はそれらに負けまいと、さらに「字」を増やし、本来の映像を壊し続けてしまうのでしょうか。

 そんな中、4Kだの8Kだのという話が現実化されようとしています。
 映像が更に鮮明になって、一段とテレビが進化するのだそうです。
 保守的なのでしょうか私は、「もういいよ、今のテレビで充分!」と言いたいのですが、東京オリンピックまでには一般化されるとか・・・・・

 でも、「字」だらけの映像に、4Kだの8Kが似合うのでしょうか。

 「しめた!もつと細かい字も出せるようになる!」なんて事にならないように。
 どうかそれまでに、「映像とは何か・・・・・」を、テレビ屋達がもう一度、考える機会があれば良いのですが・・・・・