Web生まれ、Web育ち、Web編集者の前途

R. Hasegawa

長谷川リョー

 近年、「ライター/編集者」を名乗る人が激増してきたように思う。他ならぬ筆者も、そのうちの一人である。その背景には、SNSの一般化に伴うWebメディアの急増があり、実務作業をこなせる人材の需要が増えたことが指摘される。いわゆる「オールドメディアvs新興メディア」の業界構造の現況分析はすでに多くの考察がなされているため、本論では立ち入らない。

 出版社で編集をしている人、フリーランスで紙/Webともに編集している人、キュレーションメディアで学生バイトとして編集をしている人。一口に「編集」といえども、その内実は様々である。この大きな括りのなかで、筆者は二番目の区分に分類されるであろう。テーマに掲げた「Web編集者の前途」について考えるための前段として、「編集者」を名乗る私自身のメディア人としての出自とこれまでについて、簡略に説明させていただきたい。本稿を通しては、出自に囚われず今時代を編集者として生きる意味をビジネスモデルを交えながら、考えていければと思う。

 

『GQ JAPAN』から『週プレ』。編集に携わるようになったきっかけ

 

 私がはじめて商業媒体向けに文章を書くようになったのは、大学二年生の頃だ。アメリカ留学から帰国し、あるPRオフィスでアルバイトをすることになった。「長谷川くんは、何に興味がある?」と尋ねてくれた社長に対し、「文章を書くのが好きです」と答えた。そこで、『GQ JAPAN』ウェブで記事を書く機会をいただき、定期的に文章を書くようになる。「鬼軍曹の文章講座」と銘打ち、(実際はとても優しい)社長が丁寧に商業文章の書き方から、校正記号の読み方まで教えてくれた。紙媒体で長らくライターをしていた社長に、はじめのイロハを教えていただけたことが今でも、文章を書くことのバックボーンになっているのではないかと思う。

 フリーランスで生きていく以上はどこの世界でも当てはまるのかもしれないが、この業界も例外なく、数珠繋ぎの口コミで新しい仕事が舞い込んでくる。今時点から振り返ると、たった一つの記事にしてもワンチャンスとして捉え、自分なりの全力を投じた成果物にすることが、数珠を断ち切らないモメンタムに変換されていくのだと思う。

 PRオフィスで働いた期間には、名前の知られた『GQ JAPAN』のような媒体以外にも、ある飲料商品のオウンドメディア・コンテンツの企画・執筆、ゲーム会社の採用ページに掲載する社員座談会の原稿作成など、幅広く文章の編集に携わることができた。このPRオフィスを卒業する前後に、ライターとして関わるようになったのが『週刊プレイボーイ』だった。集英社に入社したばかりであった大学の同級生が、仕事を依頼してくれたのだ。

 「長谷川リョー」と名乗るようになったのもこの頃からかもしれない。『週プレ』では危うい企画の取材・執筆をすることも少なくなく、なんとなく本名をクレジットに記載することにためらいがあった。たとえば、都内にある坊主バーを取材したときのことだ。坊主と女子大生の合コン「坊コン」なる企画の取材を任されたのだが、記事が掲載されるまで、企画趣旨の認識が坊主バーの経営者とすり合わされていなかった。後日、編集部に「次号に謝罪文の掲載を求める」抗議文が届いた。このときは「出入り禁止」で済んだが、よりきわどい企画のときは、身に何があってもおかしくない。そんな経緯で、メディアのなかでは「リョー」を使い続けてきた。

 

「個別最適と全体最適」で揺れ動く編集を捉え返す

 

 その『週プレ』では、副編集長の交代を機に、自分の立場に暗雲が立ち込める。赤入れは当然入れてもらいつつも、原稿自体がボツになることはなかった。しかし、新しい副編集長は厳しい。あるとき、歌まねに定評のあるお笑い芸人にインタビューをする企画があり、私が原稿を書いた。何度修正を重ねても、副編集長は首を縦に振らず、結局最後はライター交代を命じられる。「雑誌は読者からお金をもらっている。文章を舐めているのか?」と、厳しい言葉をもらったことは今でも真摯に受け止めつつも、その後に続けて言われた言葉が今でも頭の片隅に引っかかり続けている。「でもさ、Webから出てきたライターは、誰もきちんと教えていないからしょうがないよね」。

 数十年続く商業誌において文章技術のレベルや、あるフォーマットに則って文章を構成する能力が求められるのはたしかであろう。しかし、このときに抱いた違和感の根底には、「Webに出自があるからこそ持っている視野や技術もあるのではないか」ということだ。あくまで個人的な肌感覚による主観的な意見であるが、未だにWebライターや編集者で「雑誌で記事を書いてみたい」、「本を書いてみたい」という人を多く見かける。反対に出版社の方も、先ほどの副編集長のようにWeb出身の編集者の技術力の低さを憂いたり、どこか下にみている向きがあると思う。

 両者の根底には、紙>Webのような上下関係がまだ存在するかのような雰囲気を感じ取ってしまうが、私は必ずしもそうは思わない。このような上下関係で、「編集」を捉える見識は狭量とさえいるのではないか。「1軍(紙)と2軍(Web)」もしくは「メジャーリーグ(紙)とプロ野球(Web)」といった比喩は適切ではない。なぜなら、ルールそのものが明確に異なるからだ。

 どちらが上というよりも、「編集」という概念そのものを捉え返す契機とするのが健全であるはずだ。Webは紙に比べて新しいため、フォーマットが定まっておらず、求められるスキルや作法も明瞭ではない。できることであれば、伝統があり、ある程度定型化されたスキルセットを紙の領域から学び、Webへ還流させること。反対に、Webから生まれた知見を紙の編集に生かすこともできるはずだ。より突っ込んでいえば、二項対立の図式で領域を分けることすら誤りなのかもしれない。

 ここで言いたいことは、「個別最適と全体最適」の視点から現在の「編集」を考えなくてはならないということだ。グローバルプラットフォームとしてFacebookやGoogle、そしてAmazonの名前が挙げられることが多い。ここまで巨大なプラットフォーマーが向こう数年でいきなり失墜することは考えにくいが、数十年というタイムスパンでみれば、安泰と言い切る方が困難であろう。まして、現在はポピュラリティを獲得しているようにみえる、より小さいプラットフォームであれば尚更である。

 

Web編集者に求められるグロースハックという素養

 

 この視点を先述した編集論に持ち込めば、本や雑誌といった紙媒体も「メタプラットフォーム」に過ぎないということだ。そこから特定の雑誌や形式に落としていくと、さらに個別最適の範囲は小さくなっていく。情報伝達を「編集」という作業で担っている点で、ある雑誌と、あるWebメディアを比べることに本質的な意味はない。しかし、グローバルな地平線を見据えた全体最適で考えるのであれば、これからの編集者は紙ではなくウェブに重心をおくべきではないかと思う。なぜなら、あるWebメディアが永続する蓋然性が低いとしても、Webという情報の生態系が消失することは考えにくい。

 編集の最適化戦略は「言語(英語>日本語)>ウェブ>紙」といった基本的なレイヤーでデザインすべきではないか。「紙」や「Web」といった目の前の事柄に個別最適をしていると、緩やかな死が待っている気がしてならない。いずれにしても、媒体ごとのメタプラットフォームに個別最適化されたものではない大局的な視点を持つことが重要である。

 昨今、盛り上がりをみせるネット上でファンを集める「コミュニティ」や「サロン」といった方法論は、編集の拡張である。こうした囲い込みの編集手法がWeb空間を覆い尽くすなかで、「マス」は消失しつつある。堀江貴文氏の本が安定的に10万部以上売れ続けている近況は、不特定多数のマス相手ではない「フォロワーの数」や「コミュニティの強度」の重要性を示している。

 データが可視化されるWebにおいて、編集者もMBA的なビジネススキルを持つことは不可欠である。自分のキャリアを振り返っても、リクルートで学んだマーケティングの知識は、編集者として仕事をする現在にも生かされている。

 

スタートアップの戦略論から、編集者としての生き方に学んだこと

 

 編集やライティングはつとに、労働集約的な仕事として片付けられてしまいがちである。たしかに属人的かつアートな側面も否定はできない。しかし、「編集」においても、タスクはマニュアル化でき、個別の課題の進捗を管理するKPI(Key Peroformance Indicator)マネジメントも行えるはずだ。あらゆる指標が定量化されるWebの編集では、こうした俯瞰的な構成力がより必要になる。

 自分が尊敬するライター/編集者に『電ファミニコゲーマー』などの編集で知られる稲葉ほたて氏や、『milieu(ミリュー)』編集長の塩谷舞氏、『BuzzFeed』ライターの嘉島唯氏などがいる。コンプレックスとまでは言わないが、彼ら彼女らのように、ある一つの原稿に自分が持っている熱量を乗せ切り、記事を作品にまで昇華させる技量・態度に憧憬の眼差しを当てていた。自分はどのような媒体、どのようなテーマで、良くも悪くも平均点レベルの仕事をこなすことができる。学習曲線でいえば、80%までは順調に伸ばすことができる。

 しかし、どうしても限界ギリギリまでの熱量を言語化し、記事に落とし込むことができずに腐心していた。それでもあるときから、残りの20%を埋めるための努力にリソースを割くよりも、自分のスタイルを受け入れ、自分ならではの編集観を培っていこうと割り切れるようになった。

 こうした考えに至るようにようになったのは、グロービス・キャピタル・パートナーズのベンチャーキャピタリストである高宮慎一氏と一緒に仕事をさせていただくようになってからかもしれない。高宮氏によれば、スタートアップの戦略論は、下記のビジョンの構成要素をしっかりと定義することから始まるという。

1. 成し遂げたいこと:何を目指すのか
2. 目標:成し遂げるためにはどのような定量的な指標を達成することが必要なのか
3. 美学:どのような価値観、スタイルで目指すのか

 これを聞いたとき、私は自分のなかで得心がいった。すなわち、スタートアップ(企業)、メディア、そして個人の生き方でさえも、このフレームワークが当てはまるということを。自分の夢は、馬主になることだ。これが物事の大上段にある。そこから逆算しながら、仕事に取り組み、日々を過ごしている。だとすれば、各論の部分で思い悩む必要もないのだろうと姿勢を改めたのだ。以下では、現状取り組んでいる仕事をなるべく具体的に説明できればと思う。

 

フリー編集者のビジネスモデル全体像

 

 現在私が行っている仕事を便宜的に4つの事業部に類型化しながら、模索しているビジネスモデルの全体像に触れていく。

①「ライター事業」:営業・広報・自己メディア化機能
②「書籍ライティング事業」:編集・報酬ストック
③「顧問・編集デスク事業」:情報収集・発散機能
④「顧問編集(オウンドメディア)事業」:メイン収益・プロジェクト管理
(※Owned Mediaとは、企業が自社ブランド価値向上のために運営するメディアのこと。代表的な例は、航空会社の機内誌がある)

 まずはじめに、「ライター事業」であるが、これがもっとも想像しやすいのではないかと思う。自分がやっている仕事としても、もっとも表に出ていて見えやすい仕事のため、「長谷川リョー=ライター」として見られることが大半だ。『ITmedia』、『ジモコロ』、『編集会議』などジャンルやWeb/雑誌を問わず、多様な媒体(現在は10媒体前後)に定期的に署名記事を書く。基本的には取材記事がメインであり、報酬としては3-5万円前後が一般的だ。toC向けのメディアであるため、広い読者にリーチができるため、記事が拡散されるほど結果として自分の名前も広がっていく。そのため、営業をする必要がほとんどない。

 多様な媒体で書くほど幅広い読者にリーチができる一方で、ある特定のメディアにコミットの重心を置いておくこともまた重要だ。たとえば、『SENSORS』という日本テレビが運営するテクノロジー×エンターテインメントメディアには立ち上げ当初から参画し、現在に至るまでシニアエディターとして大半の記事を私が執筆している。そのため、「SENSORSの長谷川さん」と認識されていることも少なくない。自分が運営するメディアでなくとも、主力のメディアを持つことは、名刺代わりの意味で効果的ではないかと思う。

 個人としてのレピュテーションがWebで蓄積され続けるのは、フリーランスにとっては間違いなく追い風である。適度に自分をメディア化しておけば、新しいメディアやサービス、アプリなどを作った際にも認知されるスピードが早い。そうした意図もあり、月に一度『木曜解放区』には出演させていただいている。正直、人前でしゃべるのは得意ではないが、メディア出演の依頼は基本的に断わらない。

 

「労働集約」との対決ー編集をオペレーションで捉えてみる

 

 一般的に「Webライター」といえば、記事単位で報酬をもらう仕事を指すのではないだろうか。しかし、自分はこの事業で稼ごうとは一ミリも思っていない。容易に想像されるように、記事本数の積み上げによって売上が決まるので、アッパーのリミットが限定されてしまう。まさしく労働集約の典型例となるからだ。しかし、この事業一つをとっても仕組み化・外部化できる部分は少なくない。

 一般に一つの記事が出来上がるまでのフローは、企画→アポ取り→取材→文字起こし→構成→ライティング→校正→原稿確認、などが一般的であろう。このプロセス一つ一つに対し、本質的に自分しかできないところを点検すると、実はそれほどないことに気づかされる。文字起こしが典型であるが、イベントのトーク内容を記事化する場合には必ずしも自分が現地に行く必要すらないかもしれないし、アポ取りや校正、ライティングでさえもアシスタントに任せられることがある。

 最初の企画の方向性と完成物の質、つまり入り口と出口のマネージメントさえ握れれば、途中のプロセスをオペレーションに落とし込むこともできるはずであるということだ。ケースバイケースにはなるが、上記のプロセスを少しづつアシスタントに切り出せるように、仕組み化を整えている。

 当然、クライアントには説明をしながら、徐々に仕事に入ってもらい、個人としてもスキルを上げてもらう。各プロセスやタスクに紐づく汎用的な事項はマニュアルとして、社内Wikiに言語化し、まとめている。こうしたナレッジマネジメントを徹底することで、人材の流動性にもある程度耐え得るし、その知見をe-learningツールとして販売することもできるかもしれない。

 また、アシスタントには毎日朝9時に取り組むべきタスクを、週次で迫っているタスクの期限と合わせてリマインダーを送ってもらうようにしている。スケジュールの進行管理は一任しているので、プロジェクトベースで進捗管理をきめ細かに、漏れなく進める体制を敷いている。この仕組みも、現在マネジメントをしてくれているアシスタントと二人で議論をしながら構築したものだ。ビジネス用のSNSツールSlackでリアルタイムにコミュニケーションしつつ、全体の進捗管理はオンラインの対面で週に一度、個人の課題感などを共有するミーティングは隔週にオフラインで行っている。チーム全体として総合力を上げていけるように、一度起きた問題や汎用的にマニュアル化できるものはKibelaという情報共有ツールにまとめている。「何を考えるのかを考える」ことに自分の思考リソースを割き、チームの環境整備に集中するようにしている。

 個人レベルで業務を仕組み化することももちろん可能であるが、本当の意味でオペレーション化を推し進め、業務領域を拡大するには、組織化が不可欠である。現在、私は数人のアシスタントが業務を手伝ってくれているが、彼らの存在なくして、今の業務を円滑に遂行することは困難だ。チームや組織については後述したい。

 

書籍の編集者から学べる、ストラクチャーに根差した構成力

 

 ②「書籍ライティング事業」については、編集力の底上げと個人的には位置付けている。出版社の編集の方から学べることを一言でいえば、「構成力」に尽きるのではないかと思う。あるテーマに基づき、10万字前後の分量で1冊にまとめるためには、Webにはないあらゆる筋力が必要とされる。良本とされる本の目次を注視すると一目瞭然であるが、最初から最後まで一気通貫した論理の筋が綺麗に揃っている。説得的なストーリーテリングの背景には、論理構成に間隙のないストラクチャーが組み込まれているのだ。

 基本的にはブックライター(ゴーストライターとも言われる)役割を自分が担い、出版社の編集者、著者の方と三人チームで仕事を進めることが基本だ。定期的にチームで集まり、著者の方に口述してもらう。適宜、ライターである私や編集者の方が本文を補足するような質問を加えながら、取材を進めていく。三者の視点を織り込みながら一冊に本に仕上げていく過程で身につく、複眼的な思考の効用は少なくない。

 勝ち筋が明瞭に定まっていない、Web生まれ育ちの編集者にとって収入のポートフォリオの間口を広く、散らしておくことは生存戦略に必要な事柄なのではないかと思う。書籍の場合は印税として収入がストックするため、Web記事を一本書く単発のものとは売上の性質が異なる。出版の売上が落ちているとはいえ、ビジネス書は未だ堅実に売れるジャンルであり、電子が前提となりつつあるので、少額であろうと収入が絶えない環境を構築しておく安心感は少なくないだろう。一般的には著者:ライターで5:5もしくは6:4の比率で印税を分配するのが通例だと思われる。

 

顧問編集者として、あらゆる業界のオウンドメディアを支援する

 

 つづく③「顧問・編集デスク事業」は、定期的に編集・企画会議に参加し、アイデアを出したり、企画をブラッシュアップする役割を担っている。たとえば企画顧問を務める、分散型動画メディアでは隔週で会議に参加し、メディアをグロースさせるための視点からコンテンツ提案を行う。他にも週1回編集会議に参加、編集デスクを務めているビジネスメディアでは、ネタ出しというよりも、企画を構成に落とし込むためのディスカッション相手としてチームに参加。「編集の編集」といった役回りだろうか。媒体全体の質の部分に関わっていければと思っている。参加する頻度によっても違うだろうが、10〜15万円程度で現状は引き受けさせていただいている。

 現在携わっている仕事のなかでもコミットの比率、売上の大きさで大きいのはやはり④「顧問編集(オウンドメディア)事業」ということになる。説明をする際には、「顧問編集者」といった呼称を用いることがある。つまり、コンテンツを制作し、情報発信をしたいのだが、社内に編集を行える実務者がいないケースがほとんどなので、そこに私が入るというわけだ。企業から商店、そして個人までもがホームページを持つことが一般化して久しい。そこから一段フェーズが深化し、大企業から中小企業まで情報発信を行うためのオウンドメディアを持つことも当たり前になりつつある。

 冒頭でも触れたように、こうしたメディア勃興に合わせ、ライターや編集者の不足が叫ばれている。とりわけ私が関わるビジネス、テクノロジー周りでは、需要に供給が追いついていないように思う。私見にはなるが、Web編集者に素養は(a) 最低限の基礎学力、(b) 教養、(c) 文章力、(d) 気合いといったくらいである。難しいのは、こうした要件を綺麗に満たす人材のほとんどは、いわゆる”良い企業”に存在しているのではないかと思う。

 

スキルの汎用化と装着、自走できるチームづくりへ

 

 私が依頼を受ける案件は、今のところ月に4本(週に1本程度)のコンテンツ配信頻度でメディアを運営するパターンがほとんどである。企画から取材、コンテンツ制作までを一気通貫し、質に責任を持ちながら受けられる限界としてこのラインを引いている。仮に予算がある程度あったとしても、毎日更新をするような量産型のメディアは正直、現在のリソースでは厳しい。この契約パッケージで1ヶ月あたり約30-40万円程度のご請求とさせていただいている。

 ここまであえて具体的な金額感も示しながら編集業を説明してきた意図は、より人材の流動性が増え、業界自体の活性化につながればよいと思ったからだ。ただでさえ安価な単価の積み上げによる労働集約の職種と思われがちな、フリーランスのライター・編集者であるが、Webの文法に合わせながら仕組み化を持ち込むことで、労働集約はある程度打破することが可能なのではないかということが伝わればと思った。

 月に一度程度、集中的に書籍を執筆するため、海外や地方に逗留することがある。とりわけシンガポールで作業することが多いのであるが、その模様をSNSに上げると、周囲にいじられたりすることもある。セルフブランディングというよりは、いままさに再定義が求められる「編集者」という仕事について、20代の若造なりに働き方のアップデートを図っていることを伝えたいと思うのだ。

 以上、4つの事業が現在の大まかな業務内容の全体像となる。イメージとしては、オモテ面で営業的な接触面を増やし、自分を適度にメディア化しながら、裏面のオウンドメディア事業を主力に設定しているということだ。見える仕事/見えない仕事それぞれの位置付けを明確にしながら、リソース配分の割合を適切に設定すること。どの仕事においても、なんとなく宙ぶらりんになっているスキルを汎用化し、アシスタントに装着、自走できるチーム(組織)を目指している。

 

遠くへ行くための編集の探求

 

 ここまで、自分が編集者になった経緯から、現在の仔細な業務内容、仕事を取り組むにあたっての問題意識について述べてきた。編集者としてWebで生まれ育ったからこそ、ゲームチェンジの最中で「編集」の再定義・拡張を担う一人でありたいと思う。編集という仕事自自体に携わるようになってからは5〜6年が経過しているが、独立したのは昨年末であり、日は浅い。自分なりに試行錯誤を続ける毎日である。今回、論述したような形式が正解であるとも毛頭思っていなければ、それぞれのフィールドでプレイヤーとして突き詰める道も当然あるだろう。

 私は大学院で情報学を学んだこともあり、通時的に物事を捉え、抽象的に思考する癖がついているのかもしれない。キャリアとしてリクルートを経由したことや、起業家の仲間と暮らしを共にしていることは、あらゆる物事を仕組みで捉える思考体系の礎になっている。気質の問題ではあるのだろうが、編集業界において新しい存在として多少なりとも注目してもらえるのであれば、Webに生まれ育ったからこそ持っている新しい文法と、旧来までの編集に持ち込んだこうした思考・志向の掛け算の要素なのだろうと推測する。

 絶えずビジネスモデルへの視座を持ちつつも、新しい働き方にもコミットしていければと思っている。たとえば、尊敬する編集者にinquire Inc.代表のモリジュンヤ氏と、Huuuu代表の徳谷柿次郎氏がいる。それぞれ編集デザインファーム、ギルド的な編集チームを主宰しているが、プロジェクトベースで組織を組成しやすい編集業務だからこそ、雇用関係にとらわれない働き方の形を模索できるのではないだろうか。

 上述した4事業で得たキャッシュを、今後は人や場所に投資したい。現在の仕事の延長線上で真っ先に自事業として思い浮かべやすいことは、メディアを作ることかもしれない。ただ、その狭い範囲内で事業を限定させる必要はないはずだ。むしろメディアを起点に、あらゆるジャンルの人と出会う機会があるのであれば、自分が差し出せるスキルやアセットを活用しながら、領域横断的に人とコラボレーションしながら仕事に取り組んでいきたい。

 メディア人として生きることの最大の歓びは、他ならぬ「人に出会えること」に尽きる。コミュニティを緩やかに越境しながら、世代を飛び越え、「弱いつながりの強さ(the strength of weak tie)」を蓄えていく。どれほどのオタクであろうが、どれほどチャラついたギャル男であろうが、子供だろうが、おじいちゃんだろうが、誰とでもすぐに打ち解けられるのが自分の強みかもしれないと思うようになった。

 もしかしたら、ちゃぶ台返しのようになってしまうかもしれないが、スキルに本来的な意味はほとんどないと思う。当然、生き方にもよるが、経営的な視点をもちながら、組織を育て、業務を拡大していくことを企図している人にとっては強く当てはまると思う。領域柄、経営者に取材する機会も多い。事業戦略に穴がなく、堂々とした語り口で論理的に話す人に隙はない。隙がなければないほど、応援したいと思ってくれる人も逆説的に少なくなってしまう。人に応援される人は弱さをさらけ出し、愛を持って周りと接している。彼らに共通しているのは、誰にでも平等に接し、自分から胸襟を開いていく姿勢である。

 「早く行くには一人で、遠くに行くにはみんなで」

 27歳。Webで生まれ育った編集者だからこそ、見える景色の先に次の世代の前途を形作っていける存在になっていければと思っている。