亡くなられてもう20年ほど経つのですが、このひと月の間に、私の担当するBS—TBS『人生の詩』(毎週土曜日・昼12時〜)に、その黒澤組でキャメラの名フォーカスマンと言われた木村大作さんと、スクリプター・記録の野上照代さんが来て下さいました。何か意図したものがあった訳ではなく、たまたまということなのですが、多少映画の世界をかじったこともある私には、ただの偶然とは思えず、黒澤監督をよく知る証言者が少なくなる中、「しっかりお話を伺っておけ」という天の声に聞こえました。
残念ながら木村大作さんの回は、5月11日に放送が終了してしまいましたが、映像にかける執念のようなものは黒澤監督譲りを感じましたし、その後
キャメラマンからご自分で監督まで引き受けた「劒岳」や「散り椿」といった作品には、「リアリィティこそ映像の真髄」的精神が貫かれていました。
そしてもうお一人の野上照代さん。(6月8日 土曜日 昼12時 放送予定)
スクリプター・記録というお仕事は映画製作には欠かせない存在。ワンカット・
ワンカットの秒数、絵のつながり、監督の狙い等々を記録しておいて、撮影終了後の一番肝心な編集作業に役立てる大切なお役目なのです。絵のつながりと言いますのは、カットが変わった時に、前のカットの、例えば俳優さんの衣装のはだけかたとか、コップの中の飲み物の分量とか、指に挟んだタバコの長さとかが、カットが変わっても観る人に不自然に感じられないように絵をつなげるという作業のことで、場合によっては、一つのカットの次のカットは何日後・何ヶ月後に撮影することもあって、もう誰も以前のカットを覚えていないなんてことも起こりうるのです。
またスクリプター・記録は女性向きの仕事と考えられていて、監督にとっては映画作りの女房役。ひょっとするとその映画のことも、さらには監督自身の細かなことまで、一番分かっているのはスクリプターの女性なのかもしれません。
野上さんは黒澤監督の女房役として、「羅生門」(1950年)以来ほぼ半世紀、黒澤作品のほとんどに関わってこられた貴重な体験をお持ちで、『天気待ち』という著作に思い出話をまとめられてもいます。
今回も一つの作品を仕上げる苦労話から、一発勝負に掛ける映画マンの気概、それゆえ起こるハプニング等々、話は尽きなかったのですが、黒澤明監督を語る上でどうしても避けて通れないのが監督の自殺未遂の話。野上さんは多くを語られませんでしたが、醸し出す一言々々から、興行としての映画界の厚き壁が要因の一つだったように感じられました。
「世界の黒澤」と言われた監督でも、採算を度外視してまで作品を作らせてはもらえない宿命。当たり前と言ってしまえば当たり前の話かもしれませんが、あの黒澤さんだけに、何か胸を締め付けられるような、現実の無情を改めて感じさせられました。
そして話が変わりますが、「働きかた改革」なるものが叫ばれる中、我がテレビ業界は四苦八苦の状態です。徹夜が続くような時間のかかる作業は、スタッフを交代させながら進めなければなりません。それは一つの作品を作り上げる過程を、一貫して見届けるという職人技の継承が出来にくくなった事で、若いテレビマンが育たない状況を作り出しているのです。もちろん過労死や悪徳経営者が過酷労働を強いる事は考えねばならない社会問題です。
しかし、しかし、職人技の継承の道は、時には辛さ苦しさも味合わなければならないこともあるのです。木村大作さんも野上照代さんも間違いなくそこを通り抜けられたはずです。
そして今、映画界ではこの「働きかた改革」とどう取り組んでいるのか。詳しくはわかりませんが、次世代の黒澤明監督が現れるか・・・・・考えさせられる時代になりました。
テレビ屋 関口 宏