難民と向き合う日本の課題

M.Uchiyama

内山 みどり

 昨年7月、大学の授業の一環で群馬県前橋市にある「あかつきの村」を訪ねた。カトリックを母体としたこの施設は、1982年からベトナム難民を受入れ、その数は300名近くにのぼる。難民たちはこのあかつきの村で共同生活を送っていたが、やがてそのほとんどが群馬県内外の地域に定住基盤を築いていった。現在は、精神疾患を抱えるベトナム人と日本人が共同生活を送っている。
 あかつきの村では、かつて生活をしていた難民たちの居住空間を見学した。その中には、難民として日本で安全を得たものの、祖国での凄惨な経験や日本社会に馴染めない苦しみから自ら命を絶った人が最後まで滞在していた部屋もあった。壁には、ベトナム語と日本語の単語や文が残されており、その筆致からは精神的に追い詰められた様が伝わってきた。

 
ベトナム難民の「共同体」は今…
 

 難民たちがあかつきの村から地域に移行し、施設の存在目的が時間とともに変容して現在、入居者自体は少ない。一帯に人の気配もあまり感じられないため、かつてここにベトナムから逃れてきた人々の共同体があったことは信じがたかった。しかし、彼らが置き残していった家財道具、室内の壁に貼られたインドシナ半島の地図、ベトナム難民の子供が小学校で受け取ったと思われる名入りの賞状・・・と生活の痕跡を目の当たりにしたとき、自ずと心がざわついた。私たちが社会科の授業でわずかに触れるほどである日本のベトナム難民受入れという歴史上のできごとが、事実として目の前にあるからだろう。その生々しい証は、あかつきの村を訪問してからまもなく1年となる今も脳裏に焼き付いている。
 あかつきの村は、石川能也神父をはじめ、数名の支援者による計り知れないほどの献身によって今日までつながれてきた。しかし、存続を彼らの献身に依存してきたその背景には、日本社会がベトナム難民やその周囲の問題に真摯に向き合うことを怠ってきた過去がある。

 
日本も「第三国定住」受け入れ
 

 この小さな福祉施設で確かにあった事実を、特殊な個別ケースとして過去に収めてしまってよいのだろうか。難民受入れに消極的であると国際社会からも批判される日本だが、2019年5月22日の政府発表によれば、今後日本は「第三国定住」での難民受入れ枠を拡大するという。「第三国定住」というのは、すでに難民になっている人たちを第三国が引き受ける制度で、多くの先進国がこの制度を取り入れている。日本も現行の年間30人程度を来年度には倍増させ、5年後をめどに年間100人以上の受入れを目標としている。
 また、現在の受入れ対象はマレーシアにいるミャンマー難民だが、今後は難民の出身国や居住国も拡大し、家族世帯のみならず単身者にも広げるという。より多くの難民に定住の可能性を開くことは評価したい。一方で、第三国定住は、政策として受入れたという点においてはベトナム難民受入れと性質は近い。第三国定住の拡大に前進しようとする今こそ、すでに定住基盤を築いた初期の(元)ベトナム難民の歩みを直視する時だろう。
 実際に、第三国定住では、来日してしばらく難民たちが共同で日本語研修などを受けた後、日本各地に居住を割り当てられ、拠り所となる同胞コミュニティを手放し、地方で暮らしているという事実も東京に暮らす同胞支援者から聞いた。受入れが拡大すれば、各地に同胞自助を果たすコミュニティは徐々に生成されていくだろう。しかし、単身者も受入れ対象となることから、難民が日本社会に馴染めず孤立するおそれも鑑みれば、これまで以上に精神面の支援が求められるかもしれない。

 
「特定技能」「日本語教育」と続く課題
 

 第三国定住拡大の発表に加え、この半年間に多文化共生をとりまく制度には3つの大きな動きがみられた。
 1つ目は、法務省の外局として入管局が格上げされ、入管庁が設置されたことである。これにより、出入国と在留の管理がそれぞれ強化されることになった。
 そして、2つ目に新たな在留資格である「特定技能」の創設である。これまで外国人が働くことができなかった業種でも一定の技術や専門性があれば働けるように4月から解禁された。今春、宿泊業と飲食業に関する資格試験の動向を注視していたが、試験日1ヶ月前になってようやく試験の具体的な要項が示され、準備期間が短いわりに要求されるレベルも(日本語を母語とする私からみても)明らかに高い。しばらくは試行錯誤が続くと思われるが、背後にある喫緊の労働力不足への対処こそ拙速に行われるべきではない。
 制度的な動きの3つ目として2019年6月21日に成立した日本語教育推進法案がある。政府内に「日本語教育推進会議」を設置し、地方自治体や外国人を雇用する企業に日本語教育を促すという。これまで、自治体レベルで行われてきた日本語教室は、熱意のある有志による手弁当でつないできた感があり、外国人の定住支援活動が行われてきた群馬県においても、教育者の人材が限られているなどの課題もあるようだ。そのため、今回の法案成立により、政府レベルで体系だった課題解決が着手されることを期待したい。
 私は、ミャンマー北部のカチンとよばれる地域出身で難民として日本で暮らす人々に出会った。祖国で深刻化する人道危機的状況を訴え、帰国をすれば自身のみならず家族にまで危険が及ぶ、と日本での在留を求めてきた彼らの活動に、私は陰ながら寄り添ってきた。ベトナムとミャンマーと国は異なるが、強制移動という来日動機が定住過程に及ぼす影響は、重なる部分もみられ、外国人に門戸を開きつつある日本が向き合うべき課題としてあらためて突きつけられた。過去と現在、政府レベルの動向と個別の具体的な出来事あるいは取り組みを連関させて捉えることは、多文化共生を指向するうえで大切であると考える。