「席を譲る」「席を立つ」「面子が立たない」

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 「今時の」という言葉は愚痴っぽいので、禁句扱いになっているようです。私も年をとるにつれて「今時の若いやつは、年寄りに席も譲らない」と嘆くようになっていました。これは愚痴ではないぞ、と思ってもいました。ところが同年輩の人たちと議論するうちに、席を譲るということが意外に難しい問題を含んでおり、逆に譲られる側の対応も難しい、ということが分かってきました。

 

「譲る外国人」「譲らない子供たち」

 

 私は神奈川県に住んでいて、毎日のように「江ノ島電鉄」を利用しています。鎌倉と藤沢を結ぶ私鉄です。沿線には小学校から高校までたくさんの学校があります。最近は季節を問わず観光客が増え、電車は平日でも尋常でない混雑ぶりです。ある時、家内が面白いことを言いました。

 「席を譲るのは外国の人のほうが多いのね」

 「譲らなくなった」と感じたのは日本人のことで、外国人は譲る。本当かな、としばらく注意して見ていると、確かにその傾向を感じました。とくに子どもたちが席を譲ることは極端に減ったという印象です。なぜそうなってしまったのか。素人風に考え、時に同年輩の仲間と話題にしてみました。

 いろいろな要素がからんでいるように思えます。江ノ電、横須賀線での体験を中心に、議論が弾んだ点を6点ほどご紹介します。

■論点①
 小学校から高校までの生徒が席を譲らなくなった、という認識はほぼ一致しました。
 家庭や学校での教育につながる問題です。「我々の年齢の人間(後期高齢者)は、いつ、誰に教えられたのだろう。記憶がないということは、そうすることが当然だ、と言うのが世の中の雰囲気だった、ということかな」「だから自然に身に着いた」「我々も自分の子供にそんなことを教えた記憶はない。当然、今の若い家庭はしていないだろう」など意見が飛び交いました。沿線の学校や家庭は今、「座席問題」をどう扱っているのでしょうか。
 教育の問題だけではないと思われるところもあります。「席を譲る」ということに、子どもたちが「気恥ずかしさ」を感じているのではないか、と思うこともあります。若者特有の「照れくささ」かもしれません。とくに仲間と一緒の時は、いかにも自分は優等生という振る舞いをすることに抵抗感があるかもしれません。
 最近の子どもたちは体が大きくなりました。彼ら、彼女らが足を伸ばして座っていると、小柄な年寄りなら何人座れるか、と思うくらいスペースを取ります。だからますます目立つのです。
 

子供を優先して座らせる親たち

 

 
■論点②
 家庭が出たついでですが、若い親が子供を優先的に座らせるのはなぜだろう、という議論は盛り上がりました。
 そのような愚かなことをしてはいけない、小学生くらいの子どもを座らせるくらいなら、まず親が座るべきだ、ということです。
 仲間は言いました。「我々が子供のころは、まず親が座って、子どもは立っていたものだ」。その通りです。
 
■論点③
そこから議論が発展します。この甘い子育て方式のために、子供は自分たちが先に座っていい、年寄りに譲らなくていい、と勘違いしているのではないか、という推測です。
 座っている子供たちの前に年寄りが立った時、さあ、親はどうする。子供に席を譲らせるのか、あるいは子供が自発的に譲るのか。何事も起きないのか。「心配する必要ないよ。そのまま座らせておくと思うよ」という意見がありました。この意見が説得的だったのは、前述の「勘違い」説があるからです。

 そんな話をしている時に「ゆずりあい精神の意識調査」という調査に出会いました。

 「株式会社ヴァル研究所」の調査です。乗換案内サービスの「駅すぱあと」を提供している会社です。2016年9月2日から11日にかけて、3413人を対象に行った調査から引用させていただきます。

 最初の質問は高齢者、体の不自由な人、妊婦、小さな子どもを連れた人などに「優先席で席を譲るべきか」です。

 「譲る」が75,9%、「譲らない」が8.6%でした。4人に3人は譲る、というのは予想外に高い数字と思ったら、大間違いでした。3年前の13年に行った同じ調査では90%を楽に超えていたのに、3年間で17.1%も減ってしまったのです。しかもここで注意が必要なのは、質問が「優先席」を対象にしていることです。

 では優先席以外ではどうか、と見ると「譲るべき」は57.1%まで下がってしまいます。優先席、優先席以外を問わず、全体では「譲る」派が19%も減っている、という嘆くべき結果が出ています。

 

「譲ったのに断られた」が6割、次はどうする

 

 
■論点④
 譲られる側の問題が話題になりました。とくに高齢者です。これが予想外に大きな問題であることが分かりました。

 せっかく親切に譲ったのに、「結構です」「もう一駅ですから」と言って断られ、時には「私を何歳だと思っているんだ、失礼な」と怒る人もいるそうです。健康のために立っている高齢者もいるかもしれません。

 私が見たり、聞いたりした限りでも、断られた人は多くの場合、困ったり、場合によっては「バツが悪い」という表情をしたりしています。もう一度座り直す人もいますが、迷った結果、席を離れて車内で別の場所に移る人さえいます。そうこうしているうちに、よその子どもが座ったりするのですから、譲った人は何のために席を立ったのだろう、と思うでしょう。「立つ瀬」がありませんよね。そう「面子が立たない」と言うこともあるかもしれませんね。そういう経験をした人は、次からは譲らないかもしれません。

 先ほどの「株式会社ヴァル研究所」の調査を読んでいたら、まさにこの点の調査が紹介されていました。

 調査は「目の前にお年寄りや妊婦がいると気づいても席を譲れなかったことがあるか」と聞いています。58.8%の人が「ある」と答えました。前回より14.4%増えました。その理由は「断られると思って譲らなかった」「降りる駅が近いので譲らなかった」「譲る気がなかった」などです。

 調査対象の61.0%の人が譲ろうとして断られた経験を持っています。前回の調査より9%増えています。そこで同研究所は、ある推測をします。「席を譲る意識が低下していることと、断られた経験とはなにか関係があるかもしれない」とみているのです。私たちの議論と共通しています。

 「ヴァル研究所」の調査はさらに深く踏み込んで「席譲りの成功の秘訣」を聞いています。答を読むと、「どうぞ」と席を譲る時には、

 「笑顔で」「目を合わせて」「よろしければ」そして「さりげなく」

 が成功の4大キーワードになっていることが分かります。次のような人もおります。

 「次の駅で降りるようなふりをして、黙って立ち去る。席が開いたと思って座ってくれる。お礼の言葉を期待しない」。

 「譲る側」がこれほどまでに気を使っている、とは想像もしていませんでした。そのような気遣いの人たちがいると思うと「席を譲らないのはけしからん!」は、やはり愚痴の一種だと思わざるを得なくなりました。

 

高齢者は喜んで受けよう

 

 
■論点⑤
 ついでですが、席を譲るということと関係することがあります。最近は隣の人との距離を微妙に空ける人、曖昧に空ける人が多いようです。荷物を置いている人もいます。4人掛けの座席に3人、5人掛けに4人、ひどいときには3人しか座っていない、なんていうことがあります。「ちょっと詰めると、もう一人、場合によっては二人座れるのに」と思うことが増えました。せめて高齢者、妊婦、乳幼児を抱いた人などが乗ってきたら、席を詰めるくらいのことは気にして欲しいものです。
 
 
■論点⑥
 そして結論です。大いに席を譲ってあげてください。そして大事なことは、譲られた側は「断ってはいけない。喜んで受けよう」ということです。年寄りと見られたくない、といったプライドや生活信条を曲げてでも是非受けて欲しい。もちろんお礼付きで。「断られた経験があるから、譲らない」というのは、双方にとって幸せではありません。

 ヴァル研究所は年内に同じ調査を計画しているそうです。定点観測に値する調査です。大勢に順応しがちな私たちの脳を刺激してくれます。1年でまた数字が大きく変わるのでしょうか。不安と期待で結果を待ちたいものです。

 たかが、と言ってはなんですが、「座席」の話で時間をお取りしました。