出会いは20年以上前。すでに白髪混じりの頭と髭の岸井さんでした。
やや、しゃがれた声で「よろしく!」と手を差し出し、驚くほど強い力で私の手を握りました。
その握力の強さは、学生時代「相撲部」だったと言われて納得。
そしてもう一つ、付き合うほどに分かってきたのですが、しゃがれた声は「酒」から来るものでした。
本当に無類の酒好きで、ゴクリとやる時、あのゴツい顔が、突如子供に戻ったかのような可愛い顔になるのです。
それが飲むほどに酔うほどに、持論の主張に力が入り出し、声が大きくなり、あの握力の強い手を握り拳にして、ドンドン、ドンドンとテーブルを叩き出すのです。
岸井さんがテーブルを叩き出したら「お開き!」、というルールがいつの間にか出来上がりました。
「えっ・・・・・・お開き?」その時の岸井さんの寂しそうな顔。今もまぶたに浮かびます。
「サンデーモーニング」の岸井さんからは多くの事を学ばせていただきました。
私との間に「阿吽の呼吸」のようなものが出来上がって行ったような気もしています。
最後の席に座る岸井さんには、生放送ならではのプレッシャーが相当かかっていた筈です。
岸井さんが意見を述べるのは、ほとんど最後になりますから、他のコメンテーターが語られたことと同じ事は言えない。しかも容赦無くタイムアウトが迫って来る。
岸井さんは一所懸命、他のコメンテーターの言葉をメモしながら時計を睨みつつ、残り時間が1分であろうと40秒、30秒であろうと、キレイに纏め上げてくれました。
それは名人技とも思える岸井さんの才能でした。
新聞の世界で生きてきた岸井さんに、テレビの感覚も備わっていたという事でしょうか。テレビの世界しか分からない私とどこか通じ合えたのは、この辺りのことも大きかったように思われます。
その岸井成格氏。
私の印象は、「特有の正義感とジャーナリスト魂が、程よくブレンドされた典型的な新聞記者」ということになりましょうか。
そこに貫ぬかれていたものは常に、「正直さ」と「平和」を希求する想いでした。
これに反することには、徹底して異を唱えました。
そしてその「想い」を、さらに強い「覚悟」の段階にまで昇華させたものは、実は「大病」だったと私は思っています。
「大病」は三度、岸井さんを襲いました。
最初が10年ほど前の「大腸ガン」。ステージ4でした。更にその後の「食道ガン」。これもステージ4と聞きましたが、驚くべきことに岸井さんは、どちらも奇跡的に克服したのです。
そして去年の秋。三度目は「肺」でした。
私達は今回も奇跡が起きることを祈りましたが・・・・・・5月15日、還らぬ人になりました。
この春先、少し体調が良いと聞き、見舞いに行きました。
車椅子にうなだれるように座っていた岸井さん。喋るのが辛そうで、私の話を聞く一方でしたが、意識はハッキリしていました。
私が「今、言いたいことが沢山あるんじゃない?」と聞いてみると、ゆっくり首を縦に振りました。
そして「一番言いたいことは?」と聞いてみると、ゆっくり顔をもたげて、絞り出すような声で、「・・・・たるんじゃったな・・・・みんな」と言ってくれました。
思えばこれが岸井さんとの最後の会話になりましたが、最後の最後、「みんな」が強く私の印象に残りました。
岸井さんの専門分野・政治ばかりでなく、社会・世界のあらゆるものが、それこそ「たるんじゃった」と言いたかったように私には響いたのです。
日々起こる出来事。まさしく「たるんでしまった」感が否めません。
岸井さん!どうぞ天国から、強い“喝!”を入れ続けてください。 合掌
テレビ屋 関口 宏