関口 宏
「ニッポン人か?」
いきなりの不躾なものの言い方にちょっとムッとしたものの、それ以上に気になったのは、そのイントネーション、訛り含みの日本語でした。
(日本人かと思ったけど違うな)とすぐに感づいたのですが、私が「ええ」と応えるとニコッと笑顔になって、小太りのその小父さんは更に聞いてきました。
「ニッポン、タベモノ、あるか?」
「えっ?・・・えっ?」
意表をつかれた質問に目を丸くしてよく見ると、小父さんは5人グループの一人で、他の4人の小父さんも興味津々、私を食い入るように見つめています。
「タベモノって・・・・何ですか?」と逆に聞き返すと
「タベモノは・・・・タベモノ、えー、そうそう、ごはん、ごはん!」
「ごはん?・・・・ご飯ですか?」
「そう、ごはん。ごはん毎日食べるか、毎日?」
「食べますよ、毎日」
そう応えると5人の小父さん達は、私に向かって前屈みだった姿勢を戻しつつ、がっかりしたような顔を見合わせるのでした。
いささか古い話で恐縮ですが、40年以上前、まだ若かった私は喜んで海外取材で飛び回っていた時期があったのですが、ある時、ヨーロッパ上空の機内で、この小父さん達と遭遇したのです。
「ニクは?」
「ニク?」
「そう、ニク。とり・ぶた・うし・・・・」
「あぁ、鶏も豚も牛も食べますよ」
「・・・・あ、そう・・・・・」
そしてまた小父さん達は、姿勢を戻しながらがっかりした顔を見合わせました。
(何なのだろうこの人達は。日本人が食べ物に相当困っていると思い込んでいるのだろうか?)と訝しげな顔をしていた私に、もう一人の小父さんが顔を近づけ、(これならどうだ!)と言わんばかりにニッコリしながら
「クダモノは?クダモノはないだろう?」と来ました。
大体彼らの考えていることが分かりかけてきたのと、多少の腹立たしさもあって、
「沢山ありますよ。一年中、日本には果物も沢山あるんです」とはっきり言ってやりました。
以来、もう小父さん達が話しかけてくる事はありませんでした。
多分あの人たちは、北朝鮮の何かのヨーロッパ視察団だったと思われます。
40年以上前には、日本の植民地時代に覚えた日本語を操る人達が沢山いたのでしょう。そして当時北朝鮮では、日本は相当貧しい国だと言われていたことが分かったのですが、そうした他を見下し自分達の優位を示そうとするプロパガンダは今でも続けられているものと思われます。
あの当時も北朝鮮は、自分達の国こそ「地上の楽園」と称して、在日の人達の帰国運動に力を入れていました。しかしその運動に乗せられて北朝鮮に帰った人達の多くは、その後消息を断ちました。
やがて「地上の楽園」は徐々に化けの皮がはがされ、一見近代化が進んでいるかのように見える首都・平壌の姿とは裏腹に、飢饉で餓死者が続出しているとの情報も囁かれるようになりました。
それでもこの国の方針は変わらず、異常とも思える軍事力の誇示は、遂に来る所まで来てしまった感のある今、世界がこの国に振り回されています。
そしてこの秋から冬にかけて、また食料不足が心配されている情報が出始めました。
ミサイルだのICBMだのの話を聞く度、物騒な物で威嚇を続ける狙いがどこかにはあるのでしょうが、「あぁ、ミサイル一発我慢すれば、腹を空かせた人々をどれだけ助けられるものか・・・・・」と思ってしまいます。
しかしこの北朝鮮の愚行は更に続くのでしょう。
ここにも20世紀の宿題がまだ積み残されています。
世界はこの難題にどんな答えを出すのでしょうか。
ちなみにこの文章は9月に書いたものです。読んで頂く時点で大きな変化、それも最悪な方向へ向かっていないことを祈るばかりです。
テレビ屋 関口 宏