ネットメディアの危機(上)

H.Kitamoto

北元 均

 最近、フェイクニュースや著作権侵害の問題など、ネットメディアコンテンツの品質について考えさせられる機会が多い。真偽が定かではないニュースや、盗用ともいえるコンテンツがまかり通るのはなぜなのか。ネットメディアのコンテンツ制作の現場の実態を通して考えてみた。

 日本のネットメディアの歴史は、朝日新聞や読売新聞がニュースサイトを開設した1995年頃からスタートしている。このため、サイトに掲載される記事の大半は、新聞からの転載か、新聞社内の記者やOBなどが書いたコラムだった。2000年代に入り、携帯電話やスマートフォンの普及でニュースサイトへのアクセス頻度が高まるにつれ、より多くの記事が必要となった。新聞からの転載だけでなく、ネット用に公開される記事も需要が高まったが、書き手はそれまで通り社内の記者か紙メディアで実績を積んできた外部執筆者だった。彼らは時間や手間がかかっても、事実関係を確認するため取材や調査をする。コストがかかっても写真は自前で撮影したり、権利者に許諾を得て使用したりするのは当然のこと、という意識がコンテンツの制作現場にあった。

 ネットメディアへの参入は、訓練と経験を積んだ執筆者と手間暇が必要なことから、既存の紙メディアを持たない企業では採算がとれない。つまり参入障壁が高い事業だった。

「グルメ」「ファッション」「旅」…続々参入

 ところが、この数年、ネットメディアに、これまでとは異なる考え方と新しいビジネスモデルを持って参入する企業が現れてきた。インテリア、ファッション、旅などのジャンルの情報を扱うサイト群だ。

 これらのサイトでは1日に数十本から百本以上の記事が公開される。また、それぞれの記事は、googleなどの検索エンジンで検索結果上位に掲示されるような工夫がなされている。例えば、検索頻度の高いキーワードを原稿に入れることだ。その結果、後発サイトであっても、SEO(Search Engine Optimization=検索エンジン最適化)やアドテクに弱い既存のメディアサイトより多くの読者と、広告売り上げを得ることができ、ビジネスが成立するのだ。

 こうしたサイトのコンテンツ制作現場に求められるのは、安く、たくさんの記事を作ることで、その担い手は、時給制のアルバイト学生や、ネット上で仕事を受発注するライターたちだ。

 個人のブログなどで飲食店の紹介や旅行記などを書いている人で、いつかは職業作家として有名メディアに自分の書いた原稿が掲載されることを夢見ているひとは多い。こうしたライター志望者数はかつては新聞社や出版社に社員やアルバイトとしてもぐりこみ、そこで文章修行をしてきた。しかし、その紙メディアが弱くなり、修行の受け皿が小さくなってしまった。

安い原稿料が「切り張り」へ

 そこで多くのライター志望者が、いきなりネットメディアで働かざるを得なくなった。そこで得られる原稿料は、1日1本書くだけではとても暮らしていけない金額だ。サイトによって差があるが、一字一円とか一字0.5円とかいう原稿料を聞いたことがある。1000字書いて1000円とか500円だ。ネット専業のライターとして生計をたてるなら、1日に何本もの記事を作ることになる。現場に取材に行ったり、インタビューしたりするなど、手間のかかることは必然的に難しくなってしまった。それだけでなく、文章すら自分で考えて書くより「切り張り」の方が早くて確実ということになり、それが身についてしまうようになる。
 「クラウドライター」と呼ばれるネット専業のライターたちが、発注元のメディアから受ける指示や教育は、参考にすることができるサイトの一覧表であったり、著作権侵害の指摘を受けないようにするテクニックだったりする。こうしたライターは多いところでは1媒体あたり100名以上と契約しているというところもあるようなので、業界全体ではかなりの数のぼることだろう。

 筆者は2012年の10月から朝日新聞出版で「dot.」というニュースサイトの立ち上げ、運営に携わってきた。ここには週刊誌の「週刊朝日」や「AERA」の記事を転載するだけでは、コンテンツが不足するため独自に記事を作っていたのだが、この執筆者を探すのには苦労した。

 自分でネタを探し、取材や調査ができて、文章が書ける人材となると即戦力の人は多くはいない。結婚や出産などの家庭の事情で職場を離れた新聞、雑誌の元記者などが中心になる。週刊誌などで実績のあるフリーのライターも、ネットに比べると原稿料が高い紙メディアでの仕事を優先する。

 そうなると、ネットメディア専業のライターを起用したり、個人のブログで、紀行や商品レビューは書いたことはあるが、商業メディアでの経験はほとんどないライター志望者にまで依頼をして記事つくることになる。そうしたライターの中には前述のように記事を大量生産するメディアで仕事の経験をつんでいることがあり、非常に素早く原稿は上がってくる人がいる。しかし原稿をチェックしていると、どこかで読んだことがある文章に出くわすことがある。そういった原稿は、検索エンジンやまとめサイトを利用し、同じ主題の記事や、関係者の発言を複数集め、それを適宜張り合わせて、1本の記事に仕立てたと思わざるを得ない。

 皮肉なことにこういった原稿のチェックにも、検索エンジンなどが役立つ。どこかで見たことのある言い回しを見つけたら、そのキーワードや関連用語を検索窓に入れて調べてみると、参考にしたであろう元の記事を、すぐ見つけることができる。また、最近では検索エンジン以外にもネット上にはコピペを見破るためのサービスを提供する無料サイトなどが複数ある。記事以外にも論文や報告書などにも切り張りの例が多く、このようなツールが生まれている。

 深刻なのは、こういった原稿を悪びれることなく納品してくるライターがいることだ。
つまりそれが記事として通用するサイトがこれまで多くあったということだ。

DeNA事件、画像の無断使用が警告

 しかし昨年末から今年春にかけて、衝撃の事態が発生した。ひとつはDeNAの著作権侵害が発覚して大きな問題になったことだ。DeNAが立ちあげた第三者委員会によると、情報サイトの記事2万本余について著作権法上の問題があったという。10本のサイトが休止に追い込まれた。もう一つは月刊誌「アサヒカメラ」が今年の2月号で画像の無断使用について「写真を無断使用する泥棒を追い込むための損害賠償&削除要請マニュアル」という特集をしたことだ。大きな話題を呼ぶ“事件”が続いたことで、問題が広く知れ渡った。これを機に執筆者や編集者の意識や検索エンジンの対応が変わり、盗用はしばらく下火になるだろうと思われる。

 記事の品質が低下しているのはライターだけの責任ではない。多くの新聞や雑誌では、当然のように行われていた校閲が、費用がかかるという理由からほとんどのネット媒体では行われていない。編集者が校閲者の役割も担うことになるのだが、前述のDeNAの例などでは、切り張り記事であることが前提で、編集者は記事に著作権侵害に問われないような工夫がなされているかをチェックすることだけに気を取られているように見える。そのような編集者が、事実関係を確認するなど、きちんとした校閲を心掛けているとは思えない。また、良心的な編集者であったとしても、ライターが量産してくる多方面の分野にわたる記事を正確に修正することはできない。

 その結果、間違った解説や数値、実際にはなかった発言などがコピーされ、拡散されてしまう。フェイクニュースを作る意図がなくとも、結果としてその拡散に手を貸すことになってしまうのだ。ニュースの信頼性を取り戻すためには、どこかでこの負の連鎖を止める必要がある。