「社説」って何だろう(上)

君和田 正夫

 新聞社を離れ、テレビ局も離れて、完全に自由な生活に入って半年が過ぎました。新聞を読む目も、テレビ番組を見る目も、一般の人の仲間入りをした気がします。メディア内部にいる人間と外にいる人間との決定的な違いは、 記事や番組についての情報量です。内部にいると、記事や番組がどのような経緯で生まれたのか、これからどのような記事・番組ができるのか、など、文字化や映像化されていない部分の、さまざまな情報を知ることができます。会社を辞めるということは、そのような情報が入ってこなくなるということで、読者、視聴者の立場になった、ということになります。

「社説」って何だろう

「社説」って何だろう

 現役時代より新聞を読む時間は長くなり、テレビを見る時間も長くなりました。新聞は丹念に見ていますが、若い時から気になっていたことが、改めて気になり始めました。それは社説です。各新聞社は社説欄を設けています。毎日二本程度の社説を掲載しています。「社説っていつ頃からできたのかな」と思って調べてみたら、朝日新聞に大変面白い論説があることを知りました。朝日新聞の最初の論説です。タイトルは『新聞紙論説の事を論ず』。つまり論説を論じる論説なのです。明治十二年九月十三,十四日の二日間、掲載されました。

 内容は「朝日新聞社史」が以下のように要約しています。

 「わが国の大(おお)新聞では毎日、大いに筆を揮(ふ)るって偉そうな社説や論説をのせているが、上等社会の人々はそんな理論は聞かなくてもちゃんと知っており、また無知の小民は、そんな論説でなんの利益もうけないだろう」

 激しいですね。ここで言う大新聞というのは政治論議を主体にした新聞の事で、東京曙、郵便報知、東京日日、朝野などの新聞を指します。朝日新聞は当時、まだ小(こ)新聞だったわけです。日本の新聞に社説欄ができたのは、明治七年、朝野新聞が最初で、同じ年に、東京日日で福地源一郎が毎日論説を書いたそうです(朝日新聞社史)。そうした漢文調の難しい論説をからかったのが、「論説を論ず」だったわけですが、本文はかなり刺激的、挑発的です。

 「記者一人は大自在力を持っている鬼神ではないから、記者一人に頼って世論を知ろうとするな」とか「世の中が『淫奔』(いんほん)だから紙面も淫奔になる。だから(紙面が下らないことで埋まっているからと言って)記者を責めるのではなく、人々が品行方正になれば、紙面も『美事善行』の記事が多くなる」とか、かなり開き直っています。

 この開き直りは、今日に通じる、いくつかの問題を提起しています。ひとつは、メディアとは、日々起きることを伝える、世相を伝えることが責務です。だから「ジャーナリズム」であり、「デイリー」なのです。世の中が「淫奔」なら、それを伝えなければいけません。ですから、この論調は新聞の場合は、今で言う「劇場型報道」の議論につながり、テレビの場合は、「下らない番組を放送している」という批判にもつながっていきます。さらに付け加えれば、「無知の小民」あたりには、今でも残る「上から目線」を感じないわけにいきません。これらについては、あらためて、論じたいと思います。

 話を戻します。もう一点、この明治の論説で面白いのは、論じなければいけない時は、一週間でも二週間でも論じ続けるが、論じる必要のない時は、一週間でも二週間でも掲載しない。論説が出る時は、必ず熟読してもらう、と言っていることです。

 ようやく本題に入りますが、本当に毎日、社説が必要なんだろうか、というのが、長い間の疑問でした。「お前は朝日新聞で編集担当の専務をしていただろう。なぜその時に手を付けずに、辞めてから言うのだ」という批判は当然あるでしょう。最初にお断りしたいのですが、この問題に限らず、テレ朝の社長時代になぜやらなかった、といった批判も、今後、出てくるだろうと思います。そうした批判は甘受することにして、メディアについて、さまざまな考えを書こうと思っています。せっかく、新聞、テレビの世界を経験したのですから、遺言代わりに、いろいろなことを書き、口はばったい言い方ですが、少しでも恩返しができたらいい、というのが本音です。

 「社説」って何だろう(下)に続きます。次回は2月1日公開予定です。