TBSが明快な反論

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 東京放送(TBS)が4月6日、「放送法遵守を求める視聴者の会」(注1=以下「視聴者の会」)による「放送法違反」の批判に反論しました。メディアに対する様々な形の「圧力」が憶測を呼んでいますが、これまで反論らしい反論をしてこなかったテレビ局が初めてと言っていいくらい明快な「主張」を表明したのです。

 TBSは「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」と題して、次のような趣旨の反論をしました。

 「弊社は少数派を含めた多様な意見を紹介し、権力に行き過ぎがないかをチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・中立な番組を作っている。放送法に違反しているとは全く考えていない」

  「弊社のスポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、引いては民主主義に対する重大な挑戦であり看過できない」

 

読売とサンケイの全面広告が発端

 

 発端は昨年、読売新聞(11月15日朝刊)とサンケイ新聞朝刊(同14日朝刊)に掲載された「視聴者の会」の全面広告です。TBSの報道番組「news23」でキャスター(当時)の岸井成格(きしい・しげただ)氏が「メディアとしても安全保障関連法案の廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと」いう発言をしたこと、そして番組自体が法案反対の報道に終始していることの二点を挙げて、政治的公平を求めた放送法に違反している、と批判したものです。

 「視聴者の会」は4月1日には新たな声明を発表しました。声明は「TBSへの要望」として放送法第4条の二及び四(注2)を遵守していると考えるか回答せよ、抵触したことを認めるならば、経営陣が辞任を含めた明確な形で引責せよ、などを求めました。

 加えて「スポンサー企業への働きかけ」と題してTBSが「誠意ある」回答をしなかった場合、国民的なスポンサー運動の展開を検討せざるを得ない、と予告したのです。

 

「放送法違反」はだれが判断するか

 

 今年1月号の塾長室『からめ捕られるメディア』で書いたことを繰り返しますが、11月の全面広告の内容は言論の自由に対して、あまりに無神経でした。第一に「放送法違反」という点ですが、法律に違反しているかどうか、を判断するのは行政官庁や司法でなければなりません。一民間団体が「放送法は死文化している」という判断で、テレビ局や個人を弾劾し、制裁を加えることは、法によらない「私刑(リンチ)」と同じです。

 4月1日の声明でスポンサーへの圧力や経営陣の辞任要求を公然と表明したことは、この団体こそ民主的、法的手順を無視していることを証明しています。今回、対応を間違えると、憲法で保証された言論の自由が、一団体の判断で脅かされる、という事態を誘発することになりかねません。

 

読売新聞も「報道統制」を批判

 

 全面広告を載せた読売新聞でさえ、一回目の広告と同じ11月15日の朝刊社説で次のように言っています。「自民党60年」と題して
「最近、政治家の劣化が指摘される。6月(昨年=筆者注)に自民党勉強会で『マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ』と言った不見識な『報道統制』発言が飛び出した」

 読売新聞は今年2月13日にも「視聴者の会」の全面広告を載せましたが、今回のスポンサーへの圧力声明について当然、「報道統制」と判断したと思います。そうだとすれば今後は「視聴者の会」の広告を掲載しない、ということになるのでしょうか。

 

広告代理店の責任

 

 この問題はTBSと「視聴者の会」の間だけの問題でないことは明らかです。「視聴者の会」の広告を扱った広告代理店も読売新聞と同じ問題を突きつけられているのです。スポンサーへ圧力ということになれば、代理店にとっては本業にかかわる話です。今後も「視聴者の会」の広告を扱うのでしょうか。「視聴者の会」からスポンサー企業に働きかけがあったとき、代理店は「知らぬ顔」を決め込むのでしょうか。企業に「屈してはいけない」と説得するのでしょうか。

 スポンサーになっている企業は自らの責任で最終判断を迫られる可能性があります。「触らぬ神に祟りなし」といって、スポンサーを降りてしまうという対応も想定されますが、企業の判断によっては民主主義は目に見えにくいところ、公になりにくいところで、じわじわ腐っていくことになります。

 今回の問題は主義主張の違い以前の問題です。メディア・言論界、広告代理店、スポンサー企業すべてが、民主主義の衰退にかかわる問題として取り組んで欲しいと思います。

 

「匿名が条件」にあきれる

 

 日本の言論状況に警鐘を鳴らした国連のデーヴィッド・ケイ教授の記者会見(4月19日)や国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」(20日発表)で日本が180カ国中72位に下がった、といったニュースが話題を呼んでいます。瀕死のジャーナリズムという気持ちを強く持ちますが、悲しかったことは、ケイ教授の調査に応じた日本のジャーナリストの多くが、匿名を条件にした、ということです。

 16世紀の英国の詩人、ジョン・ダンは、人が死ぬときの弔鐘について「瞑想録」を残しました。アーネスト・ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』はこの「瞑想録」から取られました。ジョン・ダンは言います。
 『誰のためにあの鐘が鳴っているかを、知ろうとして教会に人を走らせたりしてはいけない。あの鐘はあなたのためになっているのだから』(「死神の唄―文豪ジョン・ダンの思想遍歴」西山良雄著)

 (注1)「視聴者の会」の公式ページによると、平成27年11月1日に設立し、公平公正な報道を求め、国民の知る権利を守ることを目的にしている任意団体。呼びかけ人は、すぎやま こういち(作曲家)、渡部昇一(上智大名誉教授)、鍵山秀三郎(イエローハット創業者)、渡辺利夫(拓殖大学事顧問)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士、タレント)、上念司(経済評論家)、小川榮太郎(文芸評論家)。

 (注2)放送法第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。

   公安及び善良な風俗を害しないこと。
   政治的に公平であること。
   報道は事実をまげないですること。
   意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度 から論点を明らかにすること。