ためらいを失った政治

M.Kimiwada

君和田 正夫

 2月20日付の東京新聞朝刊は「検証と見解 /官邸側の本社記者質問制限と申し入れ」と題した反論記事を掲載しました。記者会見での質問制限と同社への申し入れを、1ページ使って詳細に紹介し、会社としての見解を展開しています。記者会見の在り様について官邸に真っ向から異議を申し立てています。「言論の自由」と「国民の知る権利」に深くかかわる問題です。メディアの力が急速に衰えている今、この反論がメディア再興の起爆剤になることを願わざるを得ません。

 
9回の申し入れ、7回の質問遮断
 

 特集によると、菅官房長官の記者会見に関して2017年9月1日から今年1月21日までの間に「事実に基づかない質問は厳に慎んでほしい」などの申し入れを9回の受けた、とのことです。昨年12月28日には内閣記者会あてに「12月26日の会見での東京新聞記者の質問に事実誤認があった。当該記者の問題行為は深刻で問題意識の共有をお願いしたい」という要請がありました。記者会側は当然のことですが「記者の質問を制限することはできない」と返事したとのことです。
 「事実誤認」と言われた質問は、辺野古の埋め立てに、仕様書とは異なる赤土が使われているのではないか、というものでした。沖縄県も「赤土が大量に混じっている疑いがある」と疑念を持ち、沖縄防衛局に立ち入り検査と土砂のサンプル提供を求めましたが、国は必要ないとして応じていないそうです。
 質問する望月衣塑(そ)子記者が1分半の質疑を行う間に計7回も遮られた、とも書かれています。東京新聞が記者の実名を出したことは特筆すべきことです。(「検証と見解」の全文はネットで公表されています)
 望月記者は一度お会いしたことがあります。彼女の著書「新聞記者」(角川新書)の表紙には「私にできるのは質問し続けること」とあります。質問は彼女だけでなく全ての記者の原点と言っていいでしょう。
 9回の申し入れ、7回の質問遮断、内閣は常軌を逸したとしか思えません。そうすることに「ためらい」や「恥じらい」はなかったのでしょうか。政治にそんなものはいらない、ということならば、それは「奢り」そのものです。

 
昔の政治家の節度
 

 テレビ朝日の社長をしている時のことを思い出します。自民党のある派閥の長から電話を頂きました。雑談の後、テレ朝の番組について、次のようなやりとりをしました。
 「報道ステーションですけれどね、なんとかなりませんか」
 「なんとか、とはどういうことでしょうか」
 「うーん、これ以上言うと、言論の自由を侵した、とかうるさいことになるのでしょうね」

 彼はそこでやめました。そして再び雑談に戻り、それ以降、番組について言ってくることはありませんでした。彼には「言論の自由」という不可思議なものを、どう扱っていいか分からない、というためらいが残っていたのでしょう。少なくとも「奢り」は感じませんでした。
 「ためらい」とか「恥じらい」っていったいなんでしょう。おそらく一般常識とか社会通念とかとの比較で生まれるものなのでしょう。ということは東京新聞の問題は今の政治が常識・通念とかけ離れてきている、乖離しているということを、明快に示した、ということになります。

 
神奈川新聞の心意気
 

 その非常識にメディアは一致して立ち向かえばいい、と思いますが、それほど簡単でもないようです。
 東京新聞の「特集」を記事にしたのは、私の知る限り、毎日、朝日、神奈川の各新聞です。いずれも翌21日の朝刊で扱っています。社説で取り上げたのは朝日と神奈川。神奈川新聞を目にする機会がまったくといっていいほどない地域の人のために、一部を紹介します。
 社説は「知る権利を侵す行為だ」という見出しで、次のように言います。
 「安倍首相にはメディアへの介入と受け取れる挙措が目立つ。自民党が昨年の総裁選を巡り、新聞・通信各社に具体的な注文を付け『公平・公正な報道』を求める文書を配布したのは記憶に新しい」

 社説の隣の「記者の視点」欄では田崎基記者が、全国紙の記者とは異なる視点から取り上げています。

 「18日夜、わずかな異変が起きていた」と書き、「異変」が共同通信の記事削除だったと明かします。共同は加盟各社に記事を配信していますが、18日夜は官邸からの「要請文」についての記事の一部が削除されました。削除された部分を引用します。
 「メディア側はどう受け止めたのか。官邸記者クラブのある全国紙記者は『望月さん(東京新聞記者)が知る権利を行使すれば、クラブ側の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている』と困惑する」
 
 削られたのはこのわずかな行数ですが、田崎記者はクラブ側の「知る権利」が阻害されるという「全国紙記者」による論理を「倒錯の思考」として否定し、記者の「質問する権利を守るのは他ならぬ記者たち」と断定しています。“大人”の記者たちの中には、そんな尻の青いことを言うなよ、くらいに思っている人も多いのではないか、と推察しますが、今のメディアに“大人ぶっている”時間などないはずです。
共同通信は「官邸記者クラブの意見を代表していると誤読されないため」と削除の理由を説明したそうです。

 全国紙でも沈黙を守る新聞もあれば、地方紙でも激しく異議を唱える新聞もあります。「統一見解」はこの世界では極めて難しいことですし、「多様な意見」があってのメディア、と考えるべきなのでしょう。

 
「七社共同宣言でメディアは死んだ」
 

 60年安保で揺れた大学時代を思い出します。
 『戦後史の流れの中で 総括 安保報道』(小和田次郎、大沢真一郎著=現代ジャーナリズム出版会)と言う本の第一章は「六十年安保報道 マスコミは安保で死んだ」というタイトルで始まります。1960年6月15日、東大生だった樺美智子さんは反安保のデモに参加し、国会内で機動隊と衝突して死亡しました。
 樺さんの死から2日後、在京7社の新聞社が「暴力を排し 議会主義を守れ」という「七社共同宣言」(注)を出しました。共同宣言は「感動した」と評価する人がいる一方で、「その依ってきたる所以(ゆえん)を別として」と、日米安全保障条約の根本議論を棚上げすることを呼び掛けたものとして、厳しい批判を浴びました。現実に政治の流れはその後、大きく変わりました。安倍首相の祖父である岸信介内閣は総辞職しましたが、後を継いだ池田勇人首相は「所得倍増」を掲げて、半年も経たない11月の総選挙で大勝利しました。
 小和田氏(本名は原寿雄)の言う通り、メディアは半世紀以上前に死んでしまったのかもしれません。

 
◇      ◇      ◇
 

 冬も終わりに近づいています。ベランダから見る夜空には、「冬の大三角形」と呼ばれる三つの星が輝いています。その一角を担う「オリオン座」の「オリオン」はギリシャ神話では海神ポセイドンの息子で美男の狩人でした。おごり高ぶったために巨大なサソリに追われ、最後は恋人に殺されました。今でもオリオン座はサソリ座が登場する季節になると、姿を消すのは、そのためだそうです。
 都心では「光害」が減り、星空が復活している、という報道もあります。春になれば「奢り」を諭す星座が見えてくるのでしょうか。
 

<注=七社共同宣言>
 共同宣言 暴力を排し 議会主義を守れ
 六月十五日の国会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以を別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。われわれは日本の将来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。
 民主主義は言論を持って争われるべきものである。その理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない。一たび暴力を是認するが如き社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存立を危うくする重大事態になるものと信ずる。
 よってなによりも当面の重大責任を持つ政府が、早急に全力を傾けて事態収拾の実を挙げるべきことは言うをまたない。政府はこの点で国民の良識に応える決意を表明すべきである。同時にまた、目下の混乱せる事態の一半の原因が国会機能の停止にもあることに思いを致し、社会、民社の両党においても、この際、これまでの争点をしばらく投げ捨て、率先して国会に帰り、その正常化による事態の収拾に協力することは、国民の望むところと信ずる。
 ここにわれわれは、政府与党と野党が、国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し、今日国民が抱く常ならざる憂慮を除き去ることを心から訴えるものである。
 昭和35年6月17日
  産経新聞社 毎日新聞社 東京新聞社 読売新聞社 
  東京タイムズ 朝日新聞社 日本経済新聞社