IoTと自律する個人

Kazu Shimura

Kazu Shimura

志村一隆

 先月書いた「ポケモンGO」は自分が歩いた足跡がネットに記録される。ジョギングしても残るし、カーナビもそう。Facebookには自分がいつ何をしたのか記録が残っている。プロ野球「一球速報」には、球場でピッチャーがボールを投げるたびに「外角低め、カーブ、見逃し」という記録が残る。人間だけでなく、ショベルカーやタクシーもセンサーがついていて、今いる場所や、1日何キロ動いたか記録される。人間、機械、気象などあらゆる営みをデジタルで記録し共有する。これをIoT(Internet of Things)という。

 ついでに、お金もリアルタイムで共有される仕組みが出来つつある。ビットコインは取引が全てブロックチェーンという記録簿に記帳され、全員に共有される。なので不正が出来ない。第三者による監視・信用が要らなくなる。ともかく、テクノロジー的には情報を集約する機能は不要になっている。

 

IoTで世の中の仕組みは変わるんだろうか

 

 先日、とあるIoTのセミナーで「サイバー空間は物質空間を再現しつつある」と聞いた。ネットにアップされ続けるビッグデータを利用すれば、リアルな空間で何が起きているか?想像がつくらしい。よくよく考えれば、セカンドライフやSimCityはサイバー空間上のリアルだったが、リアルをコピーするサイバー空間が生まれているらしい。

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 いまが再現できるなら「未来予測」もできるだろう。女子バレーボール日本代表の眞鍋監督は、相手チームのトスが誰に上がるのか予測するのに、こうしたリアルタイム分析を利用しているそうだ。プレイが終わって次のサーブまで15秒間。目の前で終わったプレイを含めて機械が分析にかかる時間が5秒間。出た結果に自分の感覚も入れて、誰がブロックするのかを決めるという。リオ五輪を見ていたら、確かにiPadらしきものを手に持っていた。

 こうした素早い記録と分析を企業活動に使うと、例えば営業ランキング表もリアルタイムに更新できる。一件成約するごとにランキングが更新されたら、ゲームのようにモチベーションが上がるだろう。まさに、ゲーミフィケーションで研究されている分野で、そんなアプリを作っているベンチャー企業もいた。

 リアルタイム分析の発展は確かにスゴイが、考えてみれば、ヘッドコーチと選手、本部と現場という組織の仕組みは変わっていない。結局、情報を集約、戦略を立てる人と実行する人は別な方がいいのだろうか。インターネットは非中央集権的な仕組みだから、それに慣れる世代が増えると、社会も変わるのだろうか。自分はそこに興味がある。

 

「やってみた」=自律した個人

 

 全員攻撃・守備のトータルフットボールではないが、誰もがベストな選択をしながらゴールを達成できれば、それはハッピーに違いない。しかし、関口宏さんのコラム「ブレンド」にあるように、誰もが働き者になりたいわけじゃないのも現実。働き者のアリだけを集めても、必ず20%のアリは怠け者になってしまう。

 よく「これからの日本の民主主義」には「自律した個人」が必要であるなんてことが言われるが、そんな個人はいつの時代も少数なのかもしれない。であれば、テクノロジーがいくら進歩しても、全員参加のフラットな仕組みは幻想なんだろうか。

デジタルイノベーション

 

 自分はそうではないと思っている。というのも、テクノロジーは生活を便利にするステージの次に、自分で何かを作り出すクリエイティブな段階が必ず来るからだ。NetflixもYouTubeもいつでも見られるという便利なサービスで成長した後、今ではオリジナルドラマやYouTuberの作品で溢れている。若い子たちは、音楽を無料で楽しむアプリを見つける反面、ボイストレーニングが出来たり、音楽を作れるアプリも使っている。最新のキャンプ用品を漁れば、太陽光や水流で自家発電するデジタルガジェットなどなど、便利で自活の可能性を楽しめるものがたくさんある。

 つまり、今まで企業や国家といった金と情報を集約する機関でしか出来なかったことが、どんどん個人でも出来る。印刷機や蒸気機関といった昔のテクノロジーとデジタルテクノロジーの違いはそこにある。そして、自分で手を動かす「やってみる」体験は、自然と自律した個人と結びつく。そんな世代が社会の主流になる頃(2050年くらい?)には世の中は全員参加なフラットなものになっているに違いない。

(オマケ)いつの時代もテクノロジーに慣れ親しむ人とそうでない人が同居している。愛国・復古といった右傾化する政党が成長するのも、そうでない人の不安や不満の受け皿として、イノベーションが起きた時代の過渡期の現象なのかもしれない。