君和田 正夫
集団的自衛権の行方は公明党次第、ということは日本の未来も公明党次第、と思っていたら、とうとう閣議決定に公明党も応じることになってしまいました。集団的自衛権に賛成の人も反対の人も、つまり国民はこの政治状況をハラハラドキドキしながら見守っていたことでしょう。安倍首相は「安全保障法整備に関する与党協議」の話し合いがまとまらないうちに一転、「今国会での閣議決定」を指示、(6月7日)そして6月13日には自衛権発動の新たな3要件が示され、続いて「集団安全保障での武力行使」の提案(20日)と、日替わりで事態が動いていました。
しかし、変だと思いませんか。憲法解釈の変更、そして集団的自衛権の行使、集団安全保障での武力行使という国のありようにかかわる根本的な政策変更が、実に軽く扱われているのです。なぜ、軽くなってしまったのでしょう。その最大の理由は、政策変更の入り口から正当な手続きを無視していることにあります。第一は、憲法改正という手続きを踏んで行うべきことが、「私的諮問機関」で国民の声を聞く形をとったこと、そして第二は国会で十分審議してから閣議決定というのが順番のはずが逆転したこと。いずれも「正面から勝負しない首相」という印象を決定づけました。安倍首相は憲法改正という王道を選ばない理由をまだ説明していません。それより先に閣議決定です。民主社会の根幹が揺らいでいるように見えます。
「私的」であっても「公的」
一方、私的な諮問機関の設置には、閣議決定や各大臣の決裁が必要です。事務局、予算は公費で賄っていますから、明らかに「公的」です。首相の私的諮問機関だからと言って、首相が自分のポケットマネーで運営しているわけではないのです。審議会と区別するため、懇談会、研究会、懇話会などの呼び方をしています。法令によらない、ということや「意見交換・懇談の場」という位置づけから「私的」と呼ぶようですが、皮肉をこめて言うと、人選が私的なのでしょうか。当の首相や大臣と同じ考え、似た考えの人を集めることができます。したがって希望した提言や答申を得やすくなります。つまり「お友達諮問機関」では、透明性、公平性に欠ける、ということになりかねません。
参議院の「国の統治機構に関する調査会」(平成26年2月19日)で野中廣務氏は参考人として次のように発言しました。
『首相のブレーンが重要政策をまとめ、メディアを利用して正当性を国民にPRし、与党や国会での論議を形骸化するという傾向が現れてきておると思うのであります。
特に、外交・安全保障問題や経済政策などについて、偏った立場のブレーンを集め、公的あるいは私的諮問機関で首相の主導される政策の事実上の確定を行っておるのではないかと考えるときが多ございます』
審議会の方は公的な故にでしょうか、「審議会等の整理合理化に関する基本計画」が平成11年4月27日に閣議決定されています。その中で「(審議会等については)いわゆる隠れみのになっているのではとの批判を招いたり、縦割り行政を助長しているなどの弊害が指摘されているところである」「こうした問題点を解決」するために、審議会の整理統合を中心にした基本計画ができました。その計画の付属文書でしょうか、別紙として「審議会等の運営に関する指針」が出されました。その冒頭に以下の内容が書かれています。
「委員の任命に当たっては、当該審議会等の設置の趣旨・目的に照らし、委員により代表される意見、学識経験等が公正かつ均衡のとれた構成になるよう留意するものとする。審議事項に利害関係を有する者を委員に任命するときは、原則として、一方の利害を代表する委員の定数が総委員の定数の半ばを超えないものとする」
ずいぶんと人事の公平、バランスに気を配っているように見えます。回りくどくなってしまいましたが、要は審議会を作るより、私的諮問機関の方が、やりやすいのです。今回の安全保障についての懇談会の構成で「憲法学者が一人しかいない」という指摘がありました。確かに西修氏だけで、多くの委員は政治、国際政治、外交、防衛の学者であったり、出身者であったりです。審議会だったらこのような人選が可能だったか、と思います。
「人事が得意技」の首相
集団的自衛権と並ぶ日本の課題である原発についても、人選が話題になりました。原子力規制委員会の人事です。9月に退任が決まった3人の委員のうちの一人が島崎邦彦委員長代行です。地震学者として活断層の評価などが「厳しすぎる」と電力会社などから批判があったそうです。新たに起用される委員の一人は原子力推進の工学者、ということで、「政策の変更を、人事をテコに進めようとする、安倍政権の『得意技』が、原発審査にも及んできたのではないか…」と朝日新聞社説にからかわれています(5月29日)。原発の再稼働に弾みを付けたい政府に対し「人事で原子力規制を骨抜きにしてはならない」とくぎを刺したものです。原子力規制委員会は私的諮問機関ではなく、れっきとした行政委員会です。しかも、3・11の後、原子力を推進する立場にある経済産業省が、推進と規制の両方の役割を行ってきたことに対する反省から、環境省の外局として生まれた、といういきさつがあります。行政委員会は一般の行政機関からの独立性が高く、専門性や政治的中立を求められるので、人事はより公平、透明でなければなりません。蛇足ですが、規制委員会は四つの審議会を持っています。
公的な審議会は内閣府が公表している一覧によると2024年7月1日現在で124あります。124もあってその中に安全保障の審議会は見当たりません。不思議でなりません。関係しそうな省庁は、外務省ですが、ここの審議会は三つあります。独立行政法人評価委員会、外務人事審議会、海外交流審議会。次の防衛相はと言うと、似たようなもので五つです。独立行政法人の委員会は各省にあるので、実態は四つ。自衛隊員倫理審査会、防衛施設中央審議会、防衛人事審査会、防衛調達審議会です。
大事な議論は「私的集まり」で、隠れみのの議論は「審議会」で、ということでは国民はたまりません。正面から当たらないのは安倍さんの癖かもしれません。憲法の解釈を変えるのではなく、また閣議決定ではなく、正面から憲法改正を掲げるべきでしょう。しかも96条から入る、という姑息な手段ではなく、9条改正で信を問う、正面から手続きを踏むことが、民主主義というものではないでしょうか。
野党が野党としての働きをしていない、ということが安倍首相の独走状態をつくり出しているのでしょう。あるエコノミストの言葉が印象的です。
「野党にはアベノミクスを批判したりする力はない。安部さんにとって野党があるとすれば、最大の野党は外資だろう。彼らが『第3の矢』に失望したら、株価は一挙に下がることになる」
公明党と外資が日本の将来のカギを握っているとすれば、国会の野党はもっともっと頑張らなければいけないのは当然でしょう。
横綱相撲を
大相撲の夏場所で、横綱鶴竜が立ち合いに飛んで勝ちました。相手は白星のないまま初日から7連敗中でした。場内にブーイングが起きたのも仕方がないことでした。「力士漂泊 相撲のアルケオロジー」(宮本徳蔵)と言う本に、土俵の成立がもたらした正と負の影響を書いています。負の影響を次のように指摘しています。
「故意に逃げて勝つ、汚い手のはじまりだ。叩き込み、蹴手繰り(けたぐり)、肩透かし、など変化技といえば一応聞こえはいいけれど、自分も相手も持てる力をまだ充分に発揮せぬうちに済んでしまう勝負ほど、感興を殺ぐものはない。…大成を将来に期す人の取るべき道ではなかろう」
日本の政治もなんだか飛ぶ横綱に似てきたような気がします。