パソコンとICレコーダーが日常風景となった取材現場で思うこと

K.Koduka

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小塚かおる

 私が編集記者として働く夕刊紙「日刊ゲンダイ」は、日本新聞協会ではなく日本雑誌協会加盟ということもあり、記者クラブにほとんど所属していない。その時々の注目度や関心に応じてゲリラ的に取材に出向くのだが、永田町や霞が関の記者会見などで、〝外様〟だからこそ俯瞰的に眺めていて気になることがある。すっかり定着したパソコンとICレコーダーである。

 いまや会見でノートを広げてペンを走らせる記者は化石みたいな存在になりつつある。多くは無線LANにつながったパソコンに、会見の内容をそのまま打ち込む。ご丁寧に、録音用のICレコーダーを置く台まで用意してくれる省庁があるほどだ。ICレコーダーは聞き逃したり、聞き取れなかった時のための確認用だ。いずれも文明の利器。便利で役に立つし、何か問題あるのか、と言われそうだが、私は取材の在り方の危機とさえ思う。

 「カチカチ」「カチカチ」という音とともに、私が初めて大いなる違和感に「からだごと丸々囚われた」のは6年前の永田町大物の記者会見場でのこと。壇上には「旧国民新党」の綿貫民輔代表、亀井静香代表代行などが並んだ。そのころ弱小政党になりつつあったとはいえ、2人は議長や閣僚の経験もある重鎮で、その発言は政界再編など政局に引き続き大きな影響を与えていた。

 ところが、である。20代とおぼしき番記者たちは、誰一人として、話している重鎮たちの顔を見ない。みな下を向いて黙々とパソコンを打ち続けるだけ。会議室には、まずあの独特の亀井節が響く。しかし、そこですかさず質問が飛ぶわけでもなく、「カチカチ」というキーボードを叩く音だけが鳴り響く。亀井氏や綿貫氏はその音が止むまでじっと待って黙っている。異様というしかない「間(ま)と光景」だったが、これこそすっかり変質してしまった定例会見の日常だったのだ。よく亀井氏が怒らないなあ、いや、もはや呆れているのかと思ったものだ。

 

 相手の顔を見ない取材

 

 もうひとつは、民主党政権下の岡田克也外務大臣の時の定例会見でのこと。最前列に座っていた記者が質問し、当然、大臣はその記者を見て答えた。ところが、記者は自分がした質問にもかかわらず、下を向いたまま大臣の答えをパソコンに打ち続けていたのだ。それでも大臣は頑なにその記者を見て話していた。堅物と言われる岡田氏らしいが、傍から見ると不思議な光景だった。普段の会話で自分の質問に答えている相手を見ないことがあるだろうか。記者の態度は、どう考えても失礼である。だが、今となってはこの光景が当たり前の日常になっている。

 大手紙OBのベテラン記者は、パソコン入力マシーンと化した最近の記者をこう皮肉った。

 「昔はデキの悪い記者を、『リポーター』ではなく情報を運ぶだけの『ポーター』と言ったもの。いまはパソコンで情報を送るだけの『センダー』だ」

 なぜこれほどまでにパソコン依存になっているのか。

パソコンとICレコーダーが日常風景となった取材現場で思うこと

パソコンとICレコーダーが日常風景となった取材現場で思うこと

 もちろん、日常的にパソコンで原稿を書いているのだから、会見のメモもパソコンでとなるのは必然だ。加えて、ネットニュースの要求もある。昔は新聞なら締切は朝刊夕刊だけ。テレビも朝、昼、夕、夜帯のニュースに対応すればよかった。しかし今はネットニュース向けに24時間対応しなければならない。重要人物の記者会見ならなおさら、その発言に速報性が求められる。会見と同時にパソコンに全文を打ち込み、送信すれば早い。

 実際、最近は、世間が注目する記者会見など、そのやりとりの全文がほぼリアルタイムでネットニュースに掲載される。また、例えば、与党幹部の会見での発言を見た本社デスクが、同時刻に野党幹部の会見に出席している記者に対し「○○さんがこんなことを言っていますがどう思いますか」と質問するよう指示する、というような使い方もある。「全文」情報はネットだけでなく、記者クラブと本社、他の記者クラブの間を飛び交うことになる。これも時代の移り変わりかと思うので、パソコンを全否定するものではない。

 

 取材がなおざりに

 

 だが、会見者の一言一句をパソコンに打ち込むことにばかり集中して、取材がなおざりになっていないか。

 会見の肝は言葉だけじゃない。表情こそが真実を語る場合だってある。言葉ではYESでも、顔は笑っていなかったり。耳で発言を聞いて文字を打ち込むだけでは、そうした重要な表情を読み取れない。

 また、一語一句残らず打ち込むために、知らず知らずに耳から入ってきた言葉を機械のように何も考えずに打つようになってしまう。手書きのメモは、全文を書き取ることが不可能な一方で、何が重要なのかを判断する力を養わせてくれていた。会見相手の答えに対する再質問を考える余裕があるのだろうか。

 

 取材は「サシ」

 

 最後に、パソコンとIC世代の記者が政党の幹事長などの大物に平場でさらりと、「携帯電話番号を教えてください」と言っているのを見てギョッとしたことがある。言われたその政治家もギョッとした表情だったが、少し前までは携帯電話で取材するなんて、それなりの人間関係が出来上がってからが相場だった。もっとも最近はみな慣れてしまって、携帯番号の交換は日常化しているようだが、そんな薄っぺらな人間関係で重要なネタが取れるのだろうか。

 尊敬する記者の先輩から「取材はサシ」と口酸っぱく言われてきた。一対一の人間関係を作ってこそ、核心の話が聞ける。

 パソコンとICレコーダーが少なからず取材力の低下を招いているのではないか――、とは言い過ぎだろうか。