斉藤 真紀子
半世紀ぶりに国交が回復したアメリカ合衆国とキューバ。3月下旬にはオバマ米大統領が首都ハバナを訪れ、ラウル・カストロ国家評議会議長と首脳会談をおこなった。ザ・ローリング・ストーンズも、野外で無料の初コンサートを開いた。
キューバの人たちにとってさぞかし、感慨深い出来事なのではないかと、首都ハバナで反応をうかがうと、意外にも淡々とした反応がかえってきた。
「アメリカとは政治上いろいろある。でも、自分たちの暮らしには直接関係がない。国内の問題が山積みだから、そちらを何とかしないとね」(キューバ人の写真家、30代男性)
深刻なモノ不足に加え、インフラの整備が追い付かず、人びとは不自由な生活を強いられている。食料の配給はあるけれど、突然店から塩が消えたり、じゃがいもがなくなったりするらしい。停電もしょっちゅうだし、ネットもなかなかつながらない。
「独裁政権下」の言いたい放題
どうすれば、暮らしがよくなる? そんな質問をキューバの人たちに投げると、いろいろな答えが返ってきた。
- 「このシャツと靴を見て。キューバで作られたもの、何もないでしょ。この国はものづくりが弱いから、生産をしないといけない」(ウェイター、30代男性)
- 「給料が安いから、“追加料金”をもらわないと仕事をしない人もいる。みんなの勤労意欲があがる方法を考えないと」(専門学校生、30代女性)
- 「フィデル(カストロ元国家評議会議長)は経済のことをよく知らなかったから、政策がまずかった。経済改革が必要」(教師、30代男性)
冷戦構造が崩れても、頑固に社会主義を貫いてきたキューバ。半世紀にわたる共産党の一党支配で、国家元首は兄フィデルから弟ラウルへとバトンタッチされた、いわば「独裁政権」。といえば、言論の自由もゆるさない、圧制がしかれているイメージだが、予想に反して、人びとは言いたい放題だった。
こんなふうに、キューバへ行くと、しばしばイメージと現実とのギャップに驚くことになる。
教育や医療、それに家賃も無料で、人びとの月収は2000~3000円程度。最近始まった外食店で買うサンドイッチは約100円。インターネット接続料金や靴・衣料などは外国人専用の通貨でしか手に入らないものもある。アメリカ合衆国による経済制裁もあって、一見世界から取り残されてるようだが、徐々にグローバリゼーションの波は浸透してきている。
貧困の中の陽気さ・明るさ
ところが、キューバの首都、ハバナを歩くと、「貧困」でイメージされる「暗さ」がまったくない。治安もいいし、ホームレスや物乞いもほとんど見ない。朽ちてはいるものの、かつて豪華絢爛だった建造物に陽光がふりそそぎ、半世紀前のクラシックカーがアクセントのごとく街を彩る。思わずカメラを構えたくなるかっこよさ。冷房がないからか、開け放しの窓から、陽気な音楽が鳴っていて、楽しそう。街を闊歩する人たちは、色鮮やかなファッションに身を包み、背筋をぴんと伸ばし、けたたましく笑い、大声で談笑する。そのエネルギーにこちらは圧倒されるのだ。
私自身、1999年に初めてキューバの地を踏んでから、数年おきにこの地を訪れているが、「人びとの明るさはどこから来るのだろうと」、その源をたどるのが、いつしか旅の目的になってしまった。
もちろん、長い歴史で培われた国民性や文化の違いもあるかもしれない。しかし、幾たびの苦境も乗り越え、あっけらかんとした明るい空気を作り出せる秘密は、「キューバ流コミュニケーション術」にあるのではと思っている。
圧倒的なコミュニケーション量
とにもかくにも、コミュニケーション量は圧倒的だ。観光客として、キューバに滞在するだけでも、あちらこちらでいろんな人に話しかけられる。
「朝起きて嫌なことがあっても、職場につくまでに道すがら、5人ぐらいの人と話をするので、仕事を始めるころにはすっかり忘れてしまう」
こんなふうに、ウェイターの男性が話していた。時間が余っているから、というだけではなく、人とふれあい、コミュニケーションをとらずにはいられない社会背景もある。今ふうに言えば、「シェアエコノミー」、つまり、助け合いや分かち合いで暮らしが成り立っているからだ。クラシックカーは地元の人たちの乗合タクシーだし、店舗は少ないが、おしゃれな洋服は訪問販売で手に入るし、インターネットがつながらなくても新しいコンテンツをダウンロードにしたハードディスクが共有される。
コミュニケーションを軸に、人と出会い、つながることが、暮らし向きを左右することになるのだ。
キューバの家々を訪れて、驚いたことがある。居間にはロッキングチェアやダイニングテーブルが置かれ、造花をあしらっただけのシンプルな空間で、床はぴかぴかに磨かれている。そこに、いろんな人が訪ねてきて、家の人と話をして帰っていく。まるで「オープンカフェ」ならぬ「オープンリビング」なのだった。
コミュニケーションは単なる暇つぶしではない。いかに自分を表現するか。キューバの人はここに力を注いでいる。ときにアーティストになり、お笑い芸人になり、場を盛り上げるのだ。
あるとき、自転車をこいで走る、人力タクシーに乗っていたら、俥夫(しゃふ)さんが「今の心境」と言いながら、朗々とボレロをうたい上げた。残念ながらスペイン語の歌詞はちんぷんかんぷんだったが、あまりの美声に、100円ぐらいの料金が、1万円の価値に思えた。
恋愛のアプローチも手が込んでいる。ある日本人女性は、「バラの花のようなあなたがうちの庭にずっと咲いていてくれたら」という手書きの詩を男性からプレゼントされたというし、「あまりに君が美しすぎて」と言いながら、道路で転んでしまったという、トホホで可笑しい男性の話も聞いた。
ドラマチックでかつ、ユーモアあり。コミュニケーションに音楽、アート、詩、笑いなどのエッセンスを取り入れ、自分らしさを豊かに表現する。その情熱は、ほとばしるようなエネルギーとなって、言葉の端々にあふれ出る。
社会主義が生んだ平等感
それにしても、なぜ、こんなに自信を持って、自分を表現できるのだろう? キューバ人の冗談に笑い転げながら、ときに考えた。モノ不足だろうが、インフラ整備が追い付いてなかろうが、それは国の問題だ。ひとりひとりが悲観することも、へりくだることもない。それぞれが自分の存在意義を認めているように、私の目には映った。
それはもしかすると、「自分も他人も同じ価値がある」という、社会主義の「平等感」が根底にあるのだろうか。キューバ革命の指導者、チェ・ゲバラが重視したのは、「搾取をなくす」という平等の思想だ。それは今も脈々と受け継がれ、貧しいけれど「平等な」社会がつくられた。
富める者と、そうでない者の区別をつくらない。そのような考え方が、経済政策の行き詰まりとは裏腹に、キューバ人のエネルギッシュなコミュニケーションの原動力となっているとしたら?
今後、アメリカとの国交回復を機に、キューバ流コミュニケーションは、どう変わっていくのだろうか。
金持ちか否か。そんな尺度で勝ち負けがうまれ、あの自信満々だったキューバ人にも、負け組が生まれてしまうのだろうか。それは、戦後70年かけて、ストレスに満ちた社会にたどりついた日本のようではないか。
豊かなニッポンからきた私に、人生勝ち負けなどないと、教えてくれるキューバ。5年後、「マキコ、人生は金だな、やっぱり」なんてキューバ人に言われたら、せっかくの魅力がうすれてしまうのではないか。そんな皮算用をしてしまう今日このごろなのだ。