君和田 正夫
オバマ米大統領の広島演説(5月27日)は「核兵器のない世界を追求する勇気を」と訴えて感動を呼びました。同時に具体策のない「きれいごと」「絵空事」という批判も生みました。その感動も批判も舛添問題と参院選で忘れられようとしています。広島演説の意味するものは何だったのでしょうか。
演説はリンカーン大統領のゲティスバーグ・アドレス(演説)と似ている、と受け止めた人が多いようです。
オバマ大統領はリンカーンを意識した?
1863年11月19日に米国ペンシルベニア州のゲティスバーグで、リンカーンは演説しました。そう、あの「人民の、人民による、人民のための政治」で有名な演説です。この演説は「Four score and seven years ago」(87年前に)で始まります。一方、オバマ大統領の演説は「Seventy‐one years ago」(71年前に)です。翌日の新聞で全文を読んだ知人が早速「ゲティスバーグ演説を彷彿とさせますね」というメールをくれました。大学1年の時にクラブ活動の一環で演説を暗記・暗誦させられました。知人はその時の仲間です。
オバマ大統領の演説は、言葉の類似だけではありません。いくつかの点でリンカーンを意識した、と思えてなりません。
まずはゲティスバーグ演説が南北戦争の戦没者のために作られた墓地の奉献式で行われた、ということです。ゲティスバーグの戦いは暑い7月でした。戦死者と死んだ馬で、町は腐敗臭に覆われたそうです。リンカーンの演説はそれから4か月後に行われましたが、戦死者の埋葬が終わらず、棺が町に運び込まれている最中でした。(『リンカーンの3分間』ゲリー・ウィルズ著=共同通信社)。
広島の演説は慰霊碑の前です。広島も暑い日の惨劇だったことは大統領自身、演説の冒頭で述べています。
続いて、ゲティスバーグという小さな町での戦いが、南北戦争の分岐点になったという点です。北軍が勝利を収め、戦争を終結に導いた地、と言っていいでしょう。太平洋戦争は原爆投下で広島・長崎を終戦の地としました。大統領も「広島と長崎で残酷な終結を迎えることになった世界大戦」と表現しています。
第三は南北戦争のあと、米国は内戦を脱して国家としてまとまりました。太平洋戦争が終わって日米は新たな同盟関係を構築しました。ラグビーで言う「ノーサイド」の状態をつくり出したのです。
272語、3分の名演説
ゲティスバーグの演説はわずか2、3分のショート・スピーチでした。しかも奉献式ではリンカーンの前に2時間に及ぶ追悼演説が行われました。リンカーン演説はメインの行事ではなかったのです。それにもかかわらず、この272語の演説は名演説として、独立宣言、米国憲法と並んで、米国の歴史に刻まれています。オバマ大統領は広島で「独立宣言」から言葉を引用していますが、当然、リンカーンの演説も意識したでしょう。
では、オバマ演説はリンカーンのように後世に残る名演説になるか、というと、これは別問題です。広島での演説に海外メディアを含めて様々な反応をしました。
「提案なき理想論」への批判
演説を受けて、ニューヨークタイムズの社説は核廃絶に向けて「具体的な計画を発表したら、もっと力強い演説になっただろう」と指摘しました。
大統領がノーベル平和賞を貰うきっかけになったのは2009年にプラハで「核なき世界」を訴えたことです。その後、2010年にロシアとの間で核弾頭の配備数を1550発以下とする新戦略兵器削減条約(新START)を調印、2015年、イランとの間で核合意を取り付けるなど核不拡散条約(NPT)の強化などに取り組みました。
ニューヨークタイムズは言います。「にもかかわらず、オバマ大統領は、自らの業績をアンダーカット(損なう、価値を下げる)した」
その理由として「今後30年間で1兆ドルをかけて米国の核兵器の近代化を図ろうとしている」。さらに「大統領も安倍首相も日本が保有している47トンのプルトニウムについて述べない。数千の核兵器に転用可能だし、テロリストがターゲットにする誘惑になり、プルトニウムの備蓄競争の危険を高める」
大統領が平和賞を授賞することに、当初から異論がありました。国連の常任理事国はすべて核保有国です。その中でも「有数の核保有国」の大統領が授賞することに疑問が湧くのは当然です。今回はそうした批判に応えようとしたようにも思えますが、広島に「核のボタン」が収められたブリーフケースを持ち込んでいたことは、演説と現実のかい離を物語るものです。
それでも「理想」を語るリーダーが欲しい
任期を終えようとしているオバマ大統領はキューバ(3月20日)、ベトナム(5月24日)を訪問し、広島にたどりつきました。ノーベル平和賞の総仕上げのようにも見えます。また大統領選に目を向けると、未来への展望を語ることによって、トランプ氏が大統領になったとしても、世界における米国の役割が揺るがないように釘を刺しているようにも思えます。
オバマ演説が「きれいごと」であったことに対して、複雑な思いを抱きます。具体的提案が欲しかった、という批判はその通りです。一方で「きれいごと」であっても、「理想」を語り続けるリーダーがいて欲しい、という願いが湧いてきます。
愚かな政治家が増えてしまった私たちの日本。「理想」などという言葉が死語になりかかっている日本。皆さん、リンカーンの演説を暗記・暗誦してみませんか。心の中を心地よい風が吹き抜ける気分になりますよ。
※原文及び日本語訳での演説文章※
「ゲティスバーグ演説(1863年)|About The USA |アメリカンセンター」