山嵜 一也
◆開催都市決定のドキドキがなくなる?
そのイベントから遡ること一か月前。2019/6/26にスイス・ローザンヌで開催されたIOC総会において2026年冬季五輪の開催地が発表された。イタリアのミラノ&コルティナの共催案がスウェーデンのストックホルム&オーレミラン共催案を破ったのだ。しかし、五輪開催地を巡って、世界の都市がしのぎを削り、固唾を呑んで発表を待つ緊張の瞬間はもうないのかもしれない。IOCはこの総会で五輪開催都市選考過程の変更を発表したからだ。
◆IOCが選考過程を変えた!
なぜ、IOCは開催都市選考過程を変更したのか。それを紐解くためにはまず、2020東京大会に続く、2024パリ大会、2028ロスアンゼルス大会開催の同時決定に至る経緯を解説しなければならない。2024年大会の立候補都市としてフランス・パリ、アメリカ・ロスアンゼルスの他、ドイツ・ハンブルク、ハンガリー・ブタペスト、イタリア・ローマの5都市がで招致レースを戦ってきたが、途中、財政難や住民投票による否決により、次々と撤退をしている。結局、残ったパリとロスアンゼルスの2都市が2024年と2028年の大会の開催権を分けるという形になった。
このように近年、五輪開催に伴う莫大な投資とその回収、そして大会後の競技会場をはじめとしたインフラ施設の維持費などへの懸念から数々の立候補都市が招致を断念している。そこでIOCは五輪開催都市選考過程を変更する判断を下した。現行の競争方式だと多くの敗れる都市が生まれ、多大な労力を払ったにも関わらず、その努力が報われないというのがその理由だ。実際、五輪招致レースに挑むだけで、多大なる労力がかかる。すなわち、余力のある都市(すなわち先進国などに限られる)ではないと、勝負の舞台に立てない。
そこでIOCが五輪憲章に反映させた変更点は以下となる (※1)。IOCは立候補都市と一緒にレガシーを考慮した五輪計画を練り上げる立場で支援する。開催都市決定時期は7年前という条項を撤廃。一都市開催というのを他都市、他地方、他国家との共催を可能にする、などだ。これらの変更を受けて、冒頭でお伝えした2026年冬季五輪のような開催都市共催が可能になった。また、2032年夏季五輪開催地として朝鮮半島の2つの首都ソウル―ピョンヤン南北朝鮮共催なんていう仰天案まで出ている(※2)。スポーツを通して世界平和をうたうIOCとしてもこれほどおいしい「ストーリー」はないだろう。
◆東京と平昌の都市計画に見る招致レースの弊害
この五輪開催都市選考過程の変更は開催都市にどのような影響を及ぼすだろうか。
五輪開催の招致レースに勝利し、開催権を獲得しても、願っていた未来像とは異なる現実が生まれることがある。五輪開催をきっかけとした再開発や地域のインフラ整備など目指すべき都市計画が、その招致レースに勝つために大きくねじれることがあるからだ。例えば2018の冬季五輪の開催地であった韓国・平昌はその開催権を射止めるために2010年、2014年に立候補し、3度目の正直で招致に成功した。しかし、当初の韓国政府によるグランド・デザインは2度にわたる落選理由などで徐々に変更を余儀なくされている(※3)。落選理由は必ずしもその立候補都市の都市計画の問題だけでなく、開催権を獲得した他の都市が優れていたり、開催都市の都市計画が、IOCが求める五輪開催計画に適さない、という理由もあっただろう。必ずしも都市計画そのものの不備であるとは限らない。そこから招致レースに挑戦し続けることによるねじれた都市計画案が生まれてしまう。
2016年に続き、2回目の招致レースで開催権を射止めた東京大会も同様である。2020年五輪の開催権を獲得した際、頻繁にテレビなどで映し出された東京に描かれた2つの円のイメージを覚えているだろうか?競技会場配置のコンパクトさを説く2つのゾーンの円である。東京湾の臨海地区に新たに建設される数々の競技会場を含む東京ベイゾーンと前回大会1964年の東京五輪で使用した代々木競技場、武道館などを含むヘリテッジゾーンの2つから構成される。2020年招致案では、選手村がこの2つの円が交わる場所にあるが、2016年の落選案ではこの場所に五輪メーンスタジアムがあった。もし、この2016年案のように五輪メーンスタジアムを中心とした計画ならば、長年手付かずだった東京臨海地区の景観は大きく変わっていただろう。今は亡き巨匠建築家ザハ・ハディド氏のメーンスタジアム案ももしこの地区ならば景観的にも十分あり得たアイデアだったかもしれない。
◆最大の懸念は大会後のインフラ施設利用
2012年に開催された英国・ロンドンでの夏季五輪がレガシー案を反映させた初めての大会と言われている。1998年の委員による汚職事件から、五輪離れを懸念したIOCは2003年に五輪憲章にレガシーという概念を盛り込んだ(※4)。すなわち2005年に招致が決定したロンドン五輪招致計画にはレガシーという項目が求められていた。
2020年の東京五輪開催が決定してから、頻繁に耳にする単語「レガシー(Legacy)」。辞書の日本語訳は”遺産”などとある。五輪におけるその意味は、最大の懸念であるインフラ施設の大会後の後利用である。世界中の選手が集まり、テレビなどのメディアを通して熱狂のスポーツの祭典が終わった後、遺されたのが維持費のかかる競技会場などのインフラ施設、いわゆる「負の遺産」となってしまっては五輪開催を敬遠してしまう。近年のIOCや五輪開催都市はレガシーの扱いに頭を悩ませてきた。
公式にレガシーという考えを採用したロンドンですらそのレガシー計画実現のためには紆余曲折があったようだ。先日、英国の首相になったボリス・ジョンソン氏は五輪開催時にロンドン市長であったが、大会後のレガシーとして”スポーツの地”から”文化と教育の地”とする計画案(East Bank構想)を発表した。これは当初のレガシー案である居住地区地からの変更であった。このように五輪開催を実現する短期的計画(招致決定から五輪開催までの7年)と、その後のレガシーを見据えた長期的計画(五輪開催後の跡地利用を考える20年、50年先の未来)を同時進行する難しさがあると、マスタープラン計画を担当する建築士は言う(※5)。ちなみに2012年の招致レースでロンドンはパリやニューヨークなどが優勢と伝えられる中、一発で五輪開催権を仕留めた。それゆえ、前述の韓国・平昌五輪ように招致レースの影響を受けずに、自らが望む都市計画の方向性に沿ってレガシー案を実行していると言える。しかし、そのような理想的な状況であるロンドンですらレガシー計画の実行には一筋縄ではいっていない。これが短期の五輪計画と長期のレガシー計画を同時に実行する難しさである。
◆「東京五輪レガシー」の行方は?
東京五輪開催まで1年を切り、視察に訪れたIOC会長は素晴らしい進捗状況というコメントを残した。目の前の与えられた仕事を黙々と正確に締切までに実行するのが日本人の良いところであるが、未来を見通す力、長期的なビジョン、大局観を描く力は弱い。新国立競技場の後利用についてサッカー場案をあっさりと撤回した。冬季五輪再開催を目指している札幌市も日本の首都東京が描き出すレガシー案は他人事ではない。
東京五輪まであと一年を切った。しかし、その先にあるレガシー計画のゴールはまだ見えない。
◆参考文献
(※1)EVOLUTION OF THE REVOLUTION: IOC TRANSFORMS FUTURE OLYMPIC GAMES ELECTIONS
https://www.olympic.org/news/evolution-of-the-revolution-ioc-transforms-future-olympic-games-elections
(※2)North and South Korea to launch joint bid to host 2032 summer Olympics
https://www.theguardian.com/sport/2019/feb/12/north-and-south-korea-to-launch-joint-bid-to-host-2032-summer-olympics
(※3)平昌がつなぐ五輪レガシー ブレる競技場の後利用、平昌の経験を東京に生かせ
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00175/00006/
(※4) Legacy Strategic Approach Moving Forward
https://www.olympic.org/~/media/Document%20Library/OlympicOrg/Documents/Olympic-Legacy/IOC_Legacy_Strategy_Full_version.pdf?la=en
(※5)ロンドンに学ぶ「五輪後の街づくり」 五輪レガシー計画は失敗?!立案者に真意を聞く 連載第2回 五輪大会計画と後利用計画の両立の難しさ
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00690/040500002/