被災された方々には、どんなにお見舞いの言葉を尽くしても足らないもどかしさを感じています。
そして、豪雨が去った後のカンカン照りの日差しの中での修復作業。
そこに駆けつけたボランティアの人々の滴り落ちる汗を見るたび、頭の下がる想いでいっぱいになります。
津波も豪雨も「水」がもたらした災害。
でもその「水」がなければ私達は生きて行くことはできません。
時には災害をもたらす「水」が、一方では私達の生命を支える貴重な「水」でもあることを考えると、複雑な思いに駆られます。
今回も、そして3・11の時も、直ちに必要とされたのが生命の「水」でした。
この「水」について、最近考えさせられることが多くなりました。
5年ほど前、東京の「水」がどうなっているか、BS・TBSの「風に吹かれて」という番組で多摩川を遡ってみたことがあります。
戦後の経済復興につれ汚染されていった東京の河川。
工場排水・生活排水が極まり、鮎も戻らぬ「死の川」と呼ばれるようになった多摩川。
得体のしれないブクブクした泡(科学的には正体はつかめていたのですが、なかなか対策が追いつかなかったのです)を見る度、ゾゾッとしたものです。
しかし人間とは智恵とエネルギーを秘めた存在。
やがて「多摩川の自然を取り戻そう!」と立ち上がる人々が現れ、徐々に徐々に多摩川は浄化されるようになりました。
そして遂に、鮎が遡上を始めたというニュースを聞いた時には、半信半疑ながら心の中で拍手を送っていました。
番組スタッフとその多摩川の鮎を確かめに行こうということになったのは、それからしばらくしてからのことでした。
羽田空港近くの多摩川河口では、シジミが取れるようになったと喜ぶ漁師の姿がありましたし、二子玉川の少し上流には生け簀が川中に仕掛けられ、鯉やウグイに混じって確かに鮎の姿が確認できました。
この生け簀を定期的に覗くことも、水質調査のバロメーターのひとつになっているそうです。
ではなぜ多摩川が生き返ったのか、その元を知りたくて、我々はさらに上流を目指しました。
そしてたどり着いたところは、多摩川に沿って作られた数カ所ある浄水場のひとつ、昭島市の水再生センターでした。
そこに集められた周辺の下水は、様々な施設を通りながら少しずつ浄化され、そして多摩川に放流されるそうですが、最初の段階の下水の匂いたるや凄まじいもので、人が生きて行くにはどれだけ汚物を出すものか、自責の想いにも駆られました。
それにしましても、この臭い下水をどのようにすれば鮎が生きられる綺麗な「水」に浄化できるのか。
答えは・・・・・・「微生物」・・・・・と教えられびっくりしました。
顕微鏡で見なければ確認できないタマムシ、ツリガネムシ等と呼ばれる微生物とかバクテリアが作用し合って、汚物も悪臭も浄化してくれるのだそうで、彼らが存在してくれていたことに先ず敬服し、そして感謝せざるを得ない想いにもなりました。
しかし私達の生命の元とも言える「水」の問題が最近俄かに浮上してきています。
身近なことでは地方の「水事情」。
原則・市町村の独立採算制でやってきた水道事業ですが、施設・配管等の老朽化や地方の人口減少から、採算が取れなくなってきているところが続出しているとか。
そしてもっともっと大きな問題は、世界規模の「水不足」。
中東・アフリカ等の国々では相当深刻な問題になりつつあるようで、地球上に2〜3%ほどしかない「淡水」を奪い合う「戦争」が、いつ起きてもおかしくないと警告する専門家も増えています。
時には牙を剥く「水」ですが、「生活水」には恵まれてきた日本。
「水」の脅威についても、「水」の大切さについても、事あるごとに考えて行かねばならない時代なのでしょう。
テレビ屋 関口 宏