「生命を守る」総合的な政策を==選挙で露わになったもの(下)

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 年が明けて安倍首相は「経済最優先」を打ち出しました。「憲法改正」は自民党の選挙公約なので実現に全力を挙げる、そのために国会で論議を深め、国民の理解を得たい、とも表明しました。

 同時に、安部首相は安全保障体制の整備について「国民の生命を守る」と述べています。「イスラム国」による人質事件ではNHKの討論番組で「海外で邦人が危害に会った時、現在自衛隊が持てる能力を十分に生かせない」と述べました(1月27日朝日新聞朝刊)。法的な整備ができていれば、人質の救出に自衛隊を派遣できる、あるいは派遣する、ということでしょうか。これはこれまでの中東に対する外交方針を大きく変える恐れがあり、日本国内、国外でテロを誘発させかねない、危うい安全保障観に思えます。

 第二次石油危機のさなかの1979年から80年にかけて、4か月ほど私は中東を取材して歩いたことがあります。ちょうど、イランでアメリカ大使館員人質事件が起きていました。当時の印象はサウジアラビア、クェート、UAE,(アラブ首長国連邦)、オマーン、カタールなどの国は日本にたいして、おおむね友好的か中立的でしたが、とりわけイランでは日本を見習いたいという気持ちを感じました。その理由を聞くと第一に「お前たちはアメリカと戦った国だ」。これには苦笑せざるを得なかったのですが、「負けたにもかかわらず経済発展に成功した国」「軍事に頼らない国」という説明が多く返ってきました。

 テヘランの映画館は黒沢明監督の「七人の侍」を上映していました。映画館の周りは市民が何重も取り囲み、長蛇の列でした。映画の中の盗賊はアメリカ、農民はイラン国民ということだったのでしょうか。勘兵衛(志村喬)が村を離れる時に言うセリフ「いや…勝ったのは…あの百姓たちだ…俺たち(侍)ではない」(「全集黒沢明」)、この言葉をイラン国民は特別の感慨を持って聞いたのではないでしょうか。

 日本の中東外交は、長い間、石油の確保を基本に置いたエネルギー外交でした。中東の原油への依存度が下がったとはいえ、今後も経済を中心にした関係は変わらないでしょう。現に日本から社会インフラを輸出する関係を築こうとしています。そうした経済主体の関係に「イスラム国」が、大きな影を落としました。また日本の安全保障体制の進め方によっては、長い間築いてきた中東との関係に変化をもたらすかもしれません。中東外交は経済主体の原点に立ち返るべきですし、それは対中東に限らず、日本の外交が基本に据えるべき原点だと考えます。

 「国民の命を守る」という安全保障の根幹は、対外的なテーマで語られていますが、実は国内の政策に最も当てはまる目標ではないか、としばしば思います。

 

14年間で40万人を超えた自殺者

 

 日本人の自殺が3万人を超えたのは、1998年(平成10年)でした。それまでの2万4000人前後から、一気に増えました。1991年にバブルが崩壊した後の「失われた10年(あるいは20年)」がもたらした景気の悪化やそれに伴う失業率の上昇(注1)などが背景にあります。自殺者3万人台は2011年まで14年間続きました。(注2)この間に40万人以上の人が亡くなったことになります。私たちは「人身事故」で電車が止まると「あぁまた自殺か」と不感症になっていますが、3万人という数字は驚くべき大きなものです。とくに若者の自殺が多い、というのは辛く、悲しいことです。

 最近、交通死者は大幅に減りました。しかし一時は年間1万人を大きく越えていました。「モータリゼーション」の社会にとって、社会生活を維持するための「コスト」「社会的費用」と考えてきたのです。平成9年の「警察白書」は『戦後50万人を超えた交通事故死者』と書きました。道路、車、運転者三様の安全対策のおかげで、現在は4000人(統計の取り方で数字は変わる)を切る寸前まで減っていますが、自殺者数は交通死者をはるかに上回るペースで増えたわけです。

 自殺が増えた背景には雇用の多様化などに伴う格差の拡大があるでしょう。交通死者と同様、自殺も市場主義、自由経済を維持するためのコストと考えてきた、と思わざるを得ません。生命が社会のコストに組み込まれる事態は何としても回避し、最小限に抑えなければなりません。

 「命を守る」ためには経済、教育、社会保障など総合的な政策が必要です。まさに国の在り様を問われる、この課題を最優先に取り組むことが求められていると考えます。

 (注1)日本の失業率は1980年代はおおむね2%台で、先進国の中では優等生ともいえる低い水準だった。バブル崩壊後の1990年代中ごろから上昇を始め、1998年には4%台に、2001年には5%台になった。最近は3%台に下がっている。

 (注2)1月15日、警察庁が発表した平成26年(2014年)一年間の自殺者は2万5374人で、5年連続の減少で、3年連続で3万人を割った。自殺者の多かった年は、平成15年(2003年)の3万4427人。