からめ捕られるメディア

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 瞬く間に1年が過ぎ、新しい年に入りました。4月から消費税の引き上げ、夏には参議院選挙、場合によって衆議院選挙も同時に行うダブル選挙が予定されています。日本の進路が大きく変わる年になりそうです。

 選挙対策の一環でしょうか。軽減税率の対象に新聞も入る、と知って驚いた次第です。すでに8%の消費税を受け入れている新聞が、なぜ2%アップに抵抗したのでしょうか。読者のなかには失うものの方が多い、と思った人も多いのではないでしょうか。

 「おそらく新聞が滅びゆく運命を示す最も確実な徴候は、しばしばその餌食にされる政治家たちが、当の新聞に同情の念を抱き始めていることだろう」

 外国の要人が言ったという言葉が私のメモにあります。いつ、どなたが言ったのか分かりませんが、その通りでしょう。

 日本の場合、政治家が同情してくれたのでしょうか。昨年、安全保障関連法の成立以降、政治は夏に向けて動いています。与党が三分の一を占めれば、憲法改正も浮上してきます。そんな折に新聞は頭を撫でられていいのか、という思いでいっぱいです。

 テレビの世界では報道ステーション(テレビ朝日)の古館伊知郎キャスターが3月いっぱいで降板することが決まりました。「NEWS23」(TBS)の司会者岸井成格氏の交代も噂されています。個性的な司会者が相次いで辞めることになれば、権力側にとって思う壺ということになります。交代の理由として外部からの圧力を認める当事者は、おそらくいないでしょう。それが逆に、メディア界を覆う「重苦しい空気」に、メディア自身がからめ捕られていく現状を物語っているように思います。

 古館氏は原発問題や安全保障法などについて政府とは異なる立場から報道してきました。私が社長をしている時代から自民党と少なからず軋轢がありました。岸井氏は昨年11月14日に産経新聞、翌15日に読売新聞で「私達は、違法な報道を見逃しません」と題する全面広告で、名指しの批判を受けました。広告の提供者は「放送法遵守を求める視聴者の会」です。岸井氏が番組で「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したことに対して、放送の政治的中立性や意見が対立している問題についての多角的扱いを求めている放送法第4条に違反している、と批判しました。

 4条の規定は倫理規定と長い間考えられてきました。一つの番組の中で中立であるか、多角的であるか、を問うのではなく、他の番組を含めた全体でバランスが取れていることを求めている、というのが、テレビ界自身また行政のほぼ一致した解釈でした。しかし批判広告は、平成19年に総務大臣が出した同じ趣旨の見解も批判し、放送法が死文化している、とまで言い切っています。1980年代に入って、行政による「厳重注意」や「警告」が増えています。それでも甘いということなのでしょう。「死文化した」法律に代わって、第三者が一人の司会者を断罪することに、一昔前、いろいろな国で行われた「私刑」という言葉を想起せざるを得ません。

 「重苦しい空気」は自らつくり出してしまう面があります。「良識」「自主規制」「おもんばかり」「斟酌」「迎合」「追従」…、メディアをからめ捕る網は、様々な形で現れます。その網はいずれ国民一人一人にまで及んでいくことを、過去の歴史は物語っています。