テレ朝よ、先頭を走ろう!

塾長室
君和田 正夫

 財務省の前事務次官、福田淳一氏によるセクハラ疑惑は、閣議で辞任を承認し(4月24日)、財務省が調査結果を発表して(同27日)終わらせるのでしょうか。セクハラについての意識が後進国と言われている日本。今こそ、汚名を返上する絶好の機会のはずです。テレビ朝日は報道機関として先頭に立って「反セクハラ」の旗を振る、願ってもない機会に巡り合わせている、と言っていいでしょう。

抗議文に見る「覚悟」

 テレ朝が財務省に抗議したことは、高く評価される行動です。週刊新潮による報道からテレ朝の抗議に至るまでの間、社内では様々な議論があったことでしょう。女性記者の訴えを表面化できなかった、あるいはしなかった理由・原因はなにか、それが組織の体質によるものか否か。また相手に断らず録音したことの是非、それを外部メディアに渡した経緯…。厳しい議論が予想される中で、抗議文では福田氏によるセクハラを「到底、看過できるものではありません」と言い切りました。当然の主張です。同時に抗議文を出すことによって、テレ朝は財務省だけでなく安倍政権をも敵に回すリスクを抱えることになりました。テレ朝は重要な取材先と正面から対峙する覚悟を固めた、と受け取れます。

 予想通り、と言っていいでしょう。政治家や財界人、そしてメディアの一部から批判が相次ぎました。信じられない発言も数多くありました。自民党の下村博文・元文部科学相は「隠し取っておいて、週刊誌に売ること自体がはめられている。ある意味犯罪だと思う」、麻生副総理も「はめられたという説がある」などなどです。下村氏は「犯罪」を取り消しましたが、このような発言をする人が文部科学相を務めた人だったのでしょうか。

「隠し取り」は泣き寝入りを防ぐ

 隠し録音について考えてみましょう。今回のセクハラ問題では記者が身を守るために録音した、というのがテレ朝の説明です。この説明が正しいことは福田氏がセクハラを否定したことによって、逆に証明されたと言っていいでしょう。福田氏は録音されたセクハラ発言さえ否定しました。では録音なしで訴えたらどうなっていたでしょうか。言った、言わない、の世界です。訴えた人間は「証拠もなしに」とバカ呼ばわりされるでしょう。結局、セクハラは昔と同じように「泣き寝入り」で終わり、全てがうやむや、と言うことになります。

 録音はもう一つ「身を守る」手段です。裁判では大切な証拠になります。かつては有効だった取材メモの証拠能力は、現在極めて低くなっています。相手が公表したがらない問題の取材ほど隠し録音の必要性が高まります。それが「犯罪」であるとすれば、報道は当たり障りのないニュースばかりになる恐れがあります。財務省がセクハラを認めたのに福田氏は否定を続けています。福田氏が訴訟を起こせば、まさに法廷で証拠能力を争うことになります。

「男社会」の政治家、財界人

 もう一つあきれた発言を紹介します。経団連の榊原定征会長です。4月23日の記者会見で、「取材のためなら1対1でもどこでも行くというのは公器としてのメディアに求められるのか」と取材手法を批判しました。もちろん前段で福田氏の批判をしているのですが、日本の経済界を代表する人物の認識がこの程度かと情けなくなりました。女性が一人でビジネス相手と飲食することは許されないのでしょうか。そっくりの発想が麻生氏の「記者は男だけにすればいい」です。

 榊原会長らの発言には二つの前提があると思われます。一つは「男はそういう(セクハラをする)ものなのだ」という男社会の論理です。「嫌なら一人で行くな」と言うことでしょう。もう一つは公私の区分けができていないことです。自分の娘に「変な男と1対1で酒を飲みに行くなよ」と言う分には、多くの親が賛同するかもしれません。しかし仕事となれば記者だけの話では済まなくなります。「女性が活躍する社会」です。例えば営業、企画、事業など様々な職場で、女性社員が担当する領域は広がり続けています。彼女たちの場合はどうなのでしょう。男は1対1でいいけれど、女性は1対複数、ということを主張されているのでしょうか。公器と私企業の女性社員はどこに違いがあるのでしょうか。

リスク時はトップが前面に

 大きな議論になっている一つは、なぜ自社のメディアで報道せず、週刊誌に渡したのか、です。

 自社で報道するのがベストであることに間違いありませんが、自社で報道する場合、先ほど書いた財務省、安倍政権と同様に、取材先を敵に回す恐れがあります。そのリスクを乗り越えるためには、まず社内の意思統一が必要ですし、とくにトップに相応の覚悟が求められます。

 テレ朝の最初の記者会見(19日)は報道局長が行い、抗議文も局長名でした。社長が会見すべきテーマだったのではないか、と考えると残念な気持ちが残ります。リスク管理の原点はトップの覚悟だと、日ごろ思っていますが、発表も抗議文も取締役報道局長名でした。セクハラが報道局という一セクションの問題ととらえているように思えます。そうでしょうか。「腰が引けている」と取る人がいるかもしれません。現実に「最後は社長、会長レベルで落とし所を探ることになるんだよ」と親切に解説してくれる人までいました。

 国際的な反セクハラの広がり、報道機関としての矜持などを考えると、ここは社長が前面に出るべきだったと思います。社長ならば「反セクハラのために先頭に立つ」という決意、そして「断固として被害者を守る」という決意が社員、社会に伝わるではありませんか。

 今からでも遅くありません。自社で報道しなかったことに対する反省の第一歩は、トップが陣頭指揮に立つ、ということです。愛媛県の中村時広知事が国会招致に応じるか聞かれた時に「職員にプレッシャーを掛けるのはどうか。私が矢面に立つ」と答えました(13日)。これは見習うに値する対応です。

 セクハラの相談を受けた時に、具体的にはどう対応したらいいか、という問題が残ります。テレ朝の角南社長の定例記者会見で「最初に抗議することを考えなかったか」という質問が出ています。ここにセクハラ対応の一つのヒントがある、と感じました。抗議してそれをニュースにする、という対応も選択肢の一つです。ニュースになる、と言うだけで相手が自己規制する可能性が高まります。

 テレ朝の今後の動向を、大げさに言えば世界中が見ていると言っていいでしょう。被害者の女性記者を守れるか、が最大の焦点です。折も折、米国国務省は20日に2017年の「人権報告書」を公表しました。その中で日本は「職場でセクハラが依然として横行している」と指摘されました(22日付朝日新聞朝刊)。

 テレ朝よ、反セクハラの聖火を掲げて先頭を走り、聖火台に火をつけようではありませんか。