作家 佐藤泰志の光と影が示唆するもの

Keiji Ikeda

Keiji Ikeda

 池田 敬二

不遇の作家 「佐藤泰志」は市民の力で甦った

 佐藤泰志という私の郷里の北海道函館を舞台にした小説を書き続けた作家がいる。函館西高校在学中から文学賞を受賞するなど早熟な才能を示した。国学院大学に進み、卒業後も作品を書き続け、同時代の村上春樹、中上健次らといった作家と並び評されながらも文学賞の受賞や商業的成功に恵まれなかった。純文学作家の登竜門とされる芥川賞には、1982年以来5回候補となるが落選、その後三島由紀夫賞の候補となるが受賞には至らず、1990年に失意の中、41歳で自ら命を絶った。

 そんな不遇の作家の作品に没後24年経った今、光が当たっている。

 私が最初に佐藤泰志という作家の存在を知ったのは大好きなミュージシャンである竹原ピストルが役者として出演していることで注目した2010年公開の映画「海炭市叙景」(熊切和嘉 監督)の原作者としてであった。

 この映画が生まれた背景がまず興味深い。

 没後10年を過ぎた頃から佐藤の故郷である函館の市民が中心になって、彼の詩や随筆、短編などを再録した追想集を刊行。ウェブサイトでも彼の作品の魅力を発信し続けた。映画の制作資金が行き詰まると市民が率先して函館駅前などでカンパを募った。映画には多くの函館市民がエキストラとして出演した。

 まさに市民、ソーシャルの力で映画「海炭市叙景」は生まれ、佐藤泰志という作家が「再発見」されたのである。

 こうした市民の力がきっかけで再び出版界も動き出した。

 「海炭市叙景」という映画と同名の短編集が小学館文庫で刊行。小学館文庫では「移動動物園」「黄金の服」も刊行され、河出文庫からは「そこのみにて光輝く」「きみの鳥はうたえる」「大きなハードルと小さなハードル」と刊行ラッシュが続き、電子書籍にもなっている。

 

映画「そこのみにて光り輝く」が世界で評価される

 

 2014年4月には佐藤の原作「そこのみにて光輝く」が呉美保監督の手によって映画化され公開された。「海炭市叙景」の映画化の際も資金面やエキストラ出演などで函館市民の有志が多大な力を発揮したが、今回の「そこのみにて光輝く」でも有志らが再び奔走し、4年がかりで公開にこぎ着けた渾身の作品であった。

 

そこのみて光輝く

そこのみて光輝く

 

 さらに「函館を舞台にした映画を世界に!」をスローガンにグリーンファンディングというクラウドファンディングによって資金調達された。ソーシャルの力によって誕生した作品であることも注目に値する。

 公開されて5ヶ月後、この作品がモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞、さらに米アカデミー賞の外国語映画賞部門の日本代表作品に選ばれたのを機に各地でアンコール上映が続いた。

 呉美保監督のコメントも印象的であった。

 「この映画の原作を書かれた作家・佐藤泰志さんは芥川賞候補に何度もノミネートしながらも賞に恵まれず、不遇の死をとげました。この賞を獲得し佐藤さんが報われたかなと感じています。佐藤泰志さんにおめでとうございます!!」

 モントリオール世界映画祭の受賞トロフィーは呉美保監督から函館市民の手に託され、佐藤の墓前に供えられた。

 

ドキュメンタリー映画「書くことの重さ〜作家 佐藤泰志」

 

 佐藤泰志の作品に注目が当たってきたこともあり、佐藤泰志の生涯を描いたドキュメンタリー映画「書くことの重さ〜作家 佐藤泰志」(稲塚秀孝 監督 2013年)も、上映が続いている。

 

書くことの重さ

書くことの重さ

 

 特に印象的だったのは5回も候補になりながらも受賞できなかった芥川賞の選考の様子が役者によって再現されているシーンだ。

 当時の芥川賞の選考委員は、開高健、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、中村光夫、大江健三郎といった大御所の作家たち。「文藝春秋」編集長の司会で選考会議がはじまるが、佐藤の作品は次々と厳しい評価が下される。「芥川賞の文章としては肯定するわけにはゆかぬ」という仲代達矢によるナレーションが重々しく被さっていく。

 佐藤泰志が落選し続けた1980年代の芥川賞は「該当作なし」が続いた特異な時期であった。

 

新人作家発掘も資金調達もソーシャルが「プロ」を補完

 

 佐藤泰志という不遇の作家の生涯から何が見えてくるのか。

 既存の文学賞を受賞を経由する小説家デビューのシステム、既存の映画制作の資金調達しかなかったら、今でも佐藤泰志は、知る人ぞ知る存在に止まっていたことだろう。2010年代という現在の閉塞感に佐藤泰志の世界観がマッチしたという解説も聞く。

 だが私が主張したいのは、新人発掘にしても映画の資金調達にしても本当にプロに任せるだけでいいのだろうかということだ。

 出版の世界ではセルフパブリッシング(自己出版)が出現している。従来のサラリーマンが定年を迎えたのを記念して「自分史」のようなものをかなりの高額で請け負う「自費出版」のビジネスはかつてから存在していたが、電子書籍の登場、特にアマゾン・キンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)に代表される電子書籍のサービスの普及で無料でも「出版」することが可能になった。

 いまや「自費出版」ではなく「自己出版」の時代なのである。

 こうした電子書籍サービスやインターネットのSNSのサービス「note」を活用すれば既存の商業出版のルートを使わずとも世の中に自分の作品を問うことができ課金することも可能だ。noteでは、文章だけでなくイラスト、写真、映像、音源も公開、課金が可能なので様々なジャンルの作品を発信できる。

 

セルフパブリッシングの波

 

 いまセルフパブリッシングの動向で注目しているのが、2014年1月に創刊されたフリーライターの鷹野凌が編集長を務める「月刊群雛」。「インディーズ作家を応援するマガジン」である。電子書籍版とプリント・オン・デマンドによる紙の書籍版を発行している。

 「OnDeck Monthly 」(インプレスR&D 2014年1月号)に掲載された鷹野のインタビュー記事によると、イギリスに「Alliance of Independent Authors」という団体があり、インディペンデントな作家同士がお互いに交流、情報交換しながら既存の出版社とは違うルートで自由な出版をしようと活動していることに注目。日本独立作家同盟を設立し「月刊群雛」の創刊にいたったという。

 日本でもセルフパブリッシング事例は増えているが、個々のノウハウが分散されてしまっている。そこで、そのノウハウを共有できる場所を作ることを目的としている。特に作品のプロモーションは、個人作家たちが寄り集まることで少しでも相乗効果を高めることを狙っている。

 

月刊群雛 創刊号

月刊群雛 創刊号

 

 そんな鷹野の思いが、「月刊群雛」の創刊号に掲載の詩「月刊 群雛/創刊の辞」に凝縮され表現されている。

 

 我々は雛だ。
 まだくちばしの黄色い雛だ。
 ひとりではろくに餌を採ることもできない。
 だから群れを作ることにした。
 ひとりではできないことも
 みんなの力をあわせればできる気がする。

 

こうしたインディーズムーブメントの台頭は何を意味するのだろうか

 

 佐藤泰志の在命中にこのようなセルフパブリッシングやクラウンドファンディングによる資金調達の仕組みがあったなら、彼も自殺しなくてよかったのではないかと思う。

 そして佐藤のように本来であれば人々の胸を熱くさせるような作品を生み出す数多くの作家たちが、小説の世界だけでなく、映画や音楽といった世界でも当時の作品の評価システム、そしてその時代の空気や仕組みに葬り去られていたことは容易に想像できる。

 作品を発表し、読者に届ける場があることが作家にとってはその活動の大前提。ウェブ上や電子書籍で作品を発表し、その作品が良ければ読者たちは頼まれもしないのに作品の魅力を発信、推薦してくれるのがソーシャルメディアの力である。プロの作家でも実験的な作風はセルフパブリッシングで発表してみて読者の反応を確かめるといった活用もはじまっている。

 読者、聴衆、視聴者の側も自分が深く感動し、応援した作品が出版されたり、映画化されたりするのは、達成感、参加意識を味わうことができる。これまでひと握りの大御所の作家、編集者、映画プロデューサー、といった「プロ」によって閉じられた世界が開かれたのである。

 誰もが選考委員、誰もがプロデューサーになれる時代ともいえる。小説の世界や映画の世界でもプロフェッショナルだからこそ、本当に大衆が求めているもの、新しいムーブメントが見えなかったということもあるはずだ。

 すべての作品がソーシャルで発掘され、資金調達すればいいとは思わないが既存の仕組みと相互補完することでコンテンツの質をプロに任せきりにするよりも高めることができるはずだ。

 ビジネスの領域ではプロダクトアウトからマーケットインへの発想の転換が大切と言われて久しい。それと、同じことがコンテンツビジネスにおいても必要であることが、佐藤泰志という作家の生き様と近年の脚光ぶりが示している。

 最後にこのような環境が整備されてきているのだから小説、音楽、映像などの世界でまだ無名なインディーズの作家、クリエイターたちはこの表現に生きると決めたからには希望を失わずに創作活動をとにかく続け、積極的に作品を発表するべきだとエールを送りたい!