河尻亨一
もうひとつのカンヌフェスティバル
夏は毎年“Cannes Lions”というフェスティバルを取材している。これは広告業界のイベントである。今年も先月参加行ってきたばかりだ。我が国においてカンヌと言えばふつう映画祭のことだが、実はその華やかなイベントの終了後、まったく同じ会場で一週間に渡って、世界最大のクリエイティブフェス(アワード)が開催されているのである。一応レッドカーペットもある。正式には“Cannes International Festival of Creativity”というのだが、以下略してカンヌと呼ぼう。
※今年は6月21~27日に実施。医療、健康産業に特化した関連フェスティバル“Lions Health”もスタートした(19~20日)
ちなみに取材費は自腹である。「なぜ、わざわざ?」と思う人もいるかもしれない。しかし、私にとってこれはそこまでしてリポートする価値のあるイベントなのである、いまのところ。音楽好きにとってのFUJI ROCK、サッカーファンにとってのW杯のようなものだろうか?
このサイトの読者は広告・マーケティング・クリエイティブ関係以外の方も多いと見受けられる。日頃痛感していることだが、広告は我々が日常的に接するものであるにも関わらず、世間一般のこのフィールドに対する関心はそれほど高いとは言えない。特にグローバルな視点から見た広告表現の現状に関する日本語発信の情報は少ない。
しかし、私からするとそれはもったいない気もする。世界なスケールでウオッチすると、広告(とその周辺ビジネス)はちょっと興味深いことになってるからだ。フェスティバル後のよいタイミングなので、この記事ではコンテンツやクリエイティブの視点にフォーカスして「世界の広告の現状」について解説してみたい。そこに「そもそも広告とはなんなのか?」という話も加えてみよう。
私は2000年に「広告批評」という雑誌で編集の仕事を始めた。いまは紙やウェブといった媒体モノへの執筆に限らず、コミュニティの運営や教育にも力を入れており、必ずしも「広告表現」の分析と執筆だけが仕事のフィールドではないのだが、カンヌフェスティバルの受賞作に関しては、約15年に渡ってウオッチして来たことになる(現地取材するようになったのは2007年から)。
カンヌはこの10年、特に2009年以降、大きく様変わりした。どう変わったのだろう? シンプルに言うと、インターネットの広告がブイブイ言わせる時代が本格到来したのである。ここ数年のカンヌでは、ひとつのビジネス業態が世界規模で激しく変わって行く様を目の当たりにできて刺激的だ。そして広告のスタイルが劇的に変化しているということは、世の中のほうも劇的に変化しているということにほかならない。
なぜ広告表現をウオッチするのか
広告ビジネスは時代の影響をモロに受ける。なぜなら、いまを暮らしているごくふつうの人々に届くものでないと、コミュニケーションが成立しないからである。人々のライフスタイルや行動様式が変われば、広告のスタイルも変わらざるをえないのは広告の宿命とも言える。広告表現はその国の文化や慣習にも深くリンケージしているので、注意深く観察するとそこがどんな国(地域)なのかまでも見えてくる。
「マーケティングとかクリエイティブとか意味なく横文字使いやがって!」と、世間一般からはなんとなくチャラチャラしたイメージで捉えられることも多い業界だが、実はそれにも理由がないわけではないのである。チャラチャラの正体は時代の表層、つまり装いの部分だったりする。たとえて言うなら、人が服を着るように企業や商品に服を着せるのが広告の役割だ。
その人の個性に合わせてファッションは変わるし、流行り廃りにも敏感にならざるをえない。キャラに合わない服や場違いのカッコ悪い服を着ていると、世の中からはなんとなくイケてない人の烙印を押されてしまうだろう。高い服ならよいということではない。ファストファッションがブームになれば、そこには時代とつながるためのヒントがある、というふうにポジティブに捉え返していくのが広告的感性というものである。
よく用いられる便利フレーズとして「広告は時代の映し鏡」というのもある。優れた表現になればなるほど、映り方の解像度も高い。つまり、とんがった広告表現やマーケティングの仕組みを観察すれば「現代」をよりリアルに俯瞰することができるのである。人間の欲望や普遍的理想といったものまで見えてくる。その意味では、毎年世界中からスゴいキャンペーンが集まってくるカンヌのようなアワードは最良のネタの宝庫であり、次の時代を読むための教科書ともなる。
世界の広告産業はすでにルビコンを渡った?
つい5~6年前まで、広告と言えば、その王様は間違いなくテレビCMであった。その影響力は圧倒的であり、それをウオッチしていれば時代の空気を捉えることができる気がしていた。カンヌでもフェスティバル期間中参加者たちは、世界中からエントリーされた何千本ものテレビCMを朝から夕方まで浴びるように見続けるのが日課だった。
そして、表現面で素晴らしいCMが上映されると拍手し、逆に面白くないものが流れると容赦なくブーイング、最終日に発表されるテレビCM(フィルム部門)のグランプリに惜しみない喝采を送る、これがカンヌ広告祭というものだった。プリント広告(プレス部門)やネット広告の部門(サイバー部門)もあったが、これらはどちらかというと脇役な印象だ。
※受賞セレモニーはほぼ連日開催される。各国から多数のメディアが取材に訪れ、The GuardianやWall StreetJournalはCannes Lions特集を組むほどの力の入れよう。
しかし、いまはどうか? 大胆に言うなら、テレビCMは数あるマーケティング表現のひとつとして完全に相対化されている。もちろん、ビジネス面で見ると依然テレビのパワーは圧倒的なのだが、クリエイティブの面ではかつてのような存在感はない。少なくともカンヌのクリエイティブ祭においては、トラディショナルなメディアヒエラルキーは解体してしまったかのような印象さえ受ける。商売の面で言っても、従来型メディアへの依存度を低めた新しいビジネスモデルを模索している感があり、その動きを歓迎するクライアントも増えている。
様々なアワードを選出する際のカテゴリー名称にもその傾向が現れている。ラジオ部門、アウトドア部門など、特定のメディアを想起させる名称を冠したカテゴリーもないわけではないが、むしろマーケティングの手法やツール別によって部門が細分化されるようになった。PR・プロモーション・ダイレクト・デザイン・イノベーション・モバイル等の部門分けだ。
2011年に、カンヌはフェスティバル名からその看板たる「広告」(advertising)の2文字を外してしまった。「広告祭」ではなく「クリエイティブ祭」として再出発したのである。「広告」という呼び方は否応なしに特定のメディアを想起させるワードゆえ、もはやイケてないとジャッジしたのだろうか? 紙だけでなくネットもやってるのに「○○新聞」や「テレビ○○」を堂々と名乗られ続けると、昔から親しまれる社名だからいたし方ないとはいえ、いまの時代においてはなんとなく違和感もあるものだが、広告的感性のかたまりであるカンヌはそこを機敏に察して衣替えをしたということかもしれない。
つまり、1953年にスタートしたこのフェスティバルの場合、ずっと広告祭としてやってきて、その創設60周年を前にルビコンを渡ったわけだ。その決断に至るには2009年のリーマンショックの影響が大なりと思うが、この戦略は現状では見事的中、祭りは一層の盛り上がりを見せており、一部もうけ過ぎとの批判まで出ている。今年も1万人以上の人々が、飛行機代と高額の入場料を払い、ホテルも食事もクソたっかいわりに田舎なフレンチ・リビエラに世界中(今年は97カ国)から駆けつけた。
しかし先ほども書いたように、このお祭りにおける真の主人公は“インターネット”である。だが、それはテレビに替わる新しい王様が現れ世を継いだということともちょっと違う。ある種の市民革命が起こり、ゲームのルールそのものがダイナミックにチェンジしたのである。もしかすると広告産業という視点で見て、いまは「絶対王制からデモクラシーの世になるぞ」くらいの変革期なのかもしれない。一方で、新しい帝国が勃興しつつもあるし、インターネットを“神”だと勘違いしている人もいる。結構カオスな状況が続いているとも言えよう。
いずれにせよ、いまや何らかの形でインターネットのお世話にならなければ、広告キャンペーンは成立しないとまで言えそうな時代である。たとえば、テレビCMを作るのであっても、それがYoutubeでも“オンエア”されないケースは少ない。そこをスルーしたとしても、ソーシャルメディアに良いこと悪いこと色々書かれる。何も書かれなければよいのか? いや、それは逆に世間からスルーされてしまっているということであり、「伝わっていない」ということである。
フェスティバルで受賞するような世界の先鋭的クリエイターたちは(もちろん、日本も含む)、「企画に携わった表現物がソーシャルメディアでどう広まるか?」までをも当たり前のように計算しながらコンテンツを制作している。「SNSでシェアされてなんぼ」みたいな様相さえ呈しているのだ。
「表現×技術×社会」を読み解く新しい方程式
このような状況であるため、カンヌにおいても以前のようにテレビCMをオーディエンスが連日見続けるということはない。そもそもフィルムの上映自体があまり行われていない。替わりに「何をやっているか?」と言えば、朝から夕方までスケジュール過密気味にぎっしりセッティングされた様々なテーマのセミナーやワークショップにひたすら参加して、マメな人々はソーシャルメディアで何やら感想をシェアしたり写真をアップしている。夜は連日「セレモニー&飲み!」というのは以前もいまも変わらないが、年々パーティは質素化(ホテル飲みなど)の傾向にあるようだ。
セミナーのメイントピックもインターネットの使い方である。特にここ数年はソーシャルメディアがアツい。TwitterやFacebook等を用いて企業やブランドの認知を高め、商品をカスタマーの手へと届ける魔法をみんな知りたがっている。日本でも似た状況はあるし語られつくされた感もあるが、現場に行くと「世界中でこれほどまで熱心に取り組んでいるのか」ということがカラダでわかる。みなさん“マジ”である。
セミナーには、マクドナルドやP&Gといったグローバルブランドのマーケティング責任者から、TwitterやFacebookといったプラットフォーマーの幹部やCEO、はてはAppleのデザインを統括するジョナサン・アイヴ、U2のBonoのような人気アーティスト、サラ・ジェシカパーカーといったセレブまで多彩&多才な顔ぶれが招かれる。彼らがカンヌのセミナーで何をするか? もちろん「デジタル時代の広告表現とビジネス」について語るのだ。
コマ数にして約200に及ぶセミナーでここ数年、執拗に語られ続けるキーワードが2つある。「①ストーリーテリング」と「②テクノロジー」である。簡潔に言うと前者は、「一方通行の語りかけが機能しにくいいま、インタラクティブなスタイルを取り入れつつ、ブランドの物語をどう伝えれば人々に共感してもらえるか?」という表現の方法論で、後者はその目的を達成するために「いかなるテック、プラットフォームとの組み合わせが適しているのか?」というデジタルの技術論である。
あとひとつ「③ソーシャルグッド」というのも流行語だ。これも日本語にするのが難しいというか、いわゆる「社会貢献」とはちょっと違う気もするのだが、ひとまずは「企業が社会をよりよい場所にすべく努力する(ユーザーコミュニティに還元する)」くらいの意味合いで解釈しておこう。これは新しいスタイルの広告が世の中に受け入れられる土壌を作るための社会論であり、いまはキャンペーンのどこかにその要素がないと、カンヌでは評価されにくいと言っていいほどのトレンドとなっている。
いわばこのフェスティバルでは、「表現・技術・社会」の三方向から、広告産業が生まれ変わるための環境デザインをしている。セミナーで行われるのはディスカッションやプレゼンテーション、ようはトークショーなのだが、何年も見ていてスゴいと思うのは、年をへるごとに、前年そこで議論されていたことに対して、次の年あたりに実際の広告キャンペーンの実施例としてアンサーが出ることである。
カンヌは欧米主導のイベントだが、そこがアチラの社会の底力というものかもしれない。現在のこのメディア・カオスな状況に対して解決へのロジックを積み上げ、どこかの段階で次の時代の表現としてジャンプさせるところがある。毎年取材していると、このフェスティバルには政治的・経済的な意味での極めて人間臭い側面もありつつ、「こうやって世界動いていくのか~」の一例として単純に関心させられる。世界的に広告産業はシュリンクの傾向にあると言われながらも、フェスティバルを実施することで次のステージをクリエイトしようとしているのだ。
広告は「企業や社会のお悩みを解決してなんぼ」のフェーズに
今年現地で話題になったキャンペーンをひとつ紹介しよう。私が「ここまでやるか!」と衝撃を受けた受賞作に、“Sweetie”というオランダの事例があった。世界ではいまウェブカムを経由して貧困国の児童に性的行為を強いる者が激増しているそうだ。デジタル時代のSex Tourlismとして、これは今後よりシリアスな問題に発展する可能性がある。
その実態を世界に知らしめるため、オランダのある人権団体は東南アジア系の10歳の女の子をイメージしたアバターを制作した。このアバターが“彼女”を求めて訪問した男たちとインターネットで接触し、彼らの身元を割り出して各国の警察に通報、逮捕者も出たという。いわばロボットを用いた自主的おとり捜査型キャンペーンである。通報された者は2ヶ月で約1000人。国境を超えて世界中のニュースメディアがこのキャンペーンを紹介することとなり、インターネットを経由した犯罪行為の卑劣さ醜さが多くの人々に知れ渡った。
ご興味ある方は以下リンクの動画をぜひご覧いただきたい(→ http://vimeo.com/86895084 )。
“Sweetie”は通報(→逮捕)という方法での問題解決もしている。そこがいまの広告っぽいところだ。そういった行為を働いていた者、今後働くかもしれない予備軍への抑止効果としてこれは大きく、キャンペーンが話題になることで各国の政府も動かざるをえない。つまり、このキャンペーンはジャーナリスティックでありつつ、一歩先の機能を持っている。
先ほど、衣装コーディネーションのたとえを使ったが、その意味ではいまは企業の装いだけでなく、ふるまいやそれに対する人々のリアクションをもキャンペーンに組み込むことが広告になってきている。「カンバセーション」というキーワードもよく語られる。現代広告のメソッドをモダンジャズの即興演奏にたとえる人もいた。
こんな調子で説明して行くとキリがないが、“Sweetie”以外にも、今年のカンヌには世界のメディアの現状を考える上で参考になる受賞作がたくさんあった。各国の文化やいまどんな企業がコミュニケーションに力を入れているか、水問題、ジェンダー、家族、ヘルスケア、地域活性化、高齢化、Big Data活用etc――どういうことが世界の話題になっているかが如実にわかり、広告関係の方でなくても十分面白い。たとえば「自撮り」や「やってみた」は世界的に流行してるんだなとか、こんなスマホの使い方があるのかとか。
受賞作品は現代を活写するドキュメンタリーとしても見応えがある。重いテーマのものだけではない。笑えるもの、感動するもの、色々だが、いつの時代も優れた表現コミュニケーションは人間的かつ機能的であることが見て取れる。今回は日本からも2つのグランプリが出た。この記事では触れないが快挙である。
今回、1000以上ある日本と海外の全受賞作から100本を絞ってYoutubeのプレイリストに編集した。つい7年前なら海外からわざわざビデオを取り寄せたりして大変な作業だったが、いまはそんなに時間も金もかからない。ソーシャルメディア経由で自主的に手伝ってくれる人もいる。
快適に視聴できるようになっているので、ご興味のある方はぜひご活用いただきたい。さらに詳細を知りたいというご要望があれば、お声がけいただければ解説にも赴きたい。活字で伝えられることには限界もあり、幅広い領域のジャーナリズムやメディアビジネスにもある種の“現代広告スタイル”を導入したいというのが、いまの私の活動だからだ。