6年目に入りました

M.Kimiwada

6年目に入りました
 
 「独立メディア塾」は6年目に入ることができました。既存のメディアではカバーできない分野に目を向けてきたつもりです。とりわけ次世代を担う若い人たちには、文章などを通じて自分の意見を表明する場を提供し、新しいメディアの開拓につなげて欲しいと思ってきました。
毎年1月に感謝のパーティーを開いてきましたが、今年も1月24日に百数十人に皆様にお集まりいただきました。5年間、原稿の面、映像の面でサイトに登場していただいた方々、そして助言などの協力をしてくださった方々、ありがとうございました。

 パーティーでは昨年一年間の優秀賞と奨励賞を表彰させていただきました。授賞された方は次の通りです。
 
 
 
 
<優秀賞>

T.Shida

・5月号「オープントーク」
「『東海道五十七次』を葬り続けて良いのか」
(志田威さん=JR東海専務などを経て、東海道町民生活歴史館の館主兼館長)
 
 
 
 
 
 

Zac Ikuma

・6月号「登竜門」
「プロ野球から学ぶ『外国人枠』と『移民』」
(ザック生馬さん=東京生まれ。ペンシルベニア大学卒業後、スポーツジャーナリスト)
 
 
 
 
 
 
<奨励賞>

M.Uchiyama

・11月号「オープントーク」
「『偏見』が『支援』を生みだすのか」
(内山みどりさん=お茶の水女子大人間文化創成科学研究科ジェンダー社会科学専攻)
 
 
 
 
 
 
皆様の投稿をお待ちしております。よろしくお願いいたします。
 
 
信用されない統計は統計か
 
 今年は厚生労働省の杜撰な統計処理を引きずったまま、幕を開けました。騒ぎを見ていると、統計が意図的に使われていることを強く感じます。
 私たちは日常的に統計に接しているはずです。ところが人生で最初に出会った統計は何だろうか、と考えても思い出せません。記憶に残っているのは、高校か大学時代に教えられた「食料自給率」と「エンゲル係数」でした。昔の懐かしい統計で、最近はあまり聞かれなくなりました。半世紀前は食料事情が悪かったため、教えられたのでしょう。
 自給率の説明を受けた時、教師がこんな事を言ったのを覚えています。「自給率を上げろ、と言うけれど、発展途上国を見てみろ。人口は増えるのに食料は足りない。輸入しようとしても金がない。こういう国の自給率は100%近くになるんだ」
 確かに日本の自給率も1960年代にはカロリー計算で80%近くあったのですが、食糧難を脱した今は半減して38%(2017年度)まで落ち込んでいます。先進国ではカナダの264%を筆頭に、オーストラリア223%、アメリカ130%(いずれも2013年)といった具合ですから、先進国ではダントツのビリです。(農水省「食料需給表」)
 
 
 そこで日本は今でも自給率を上げることを国の目標にしています。自給率の計算には二種類あります。生産額によるものと熱量(カロリー)換算したものです。2025年にカロリーベースで45%にする、と閣議決定しています。それまで50%だった目標を引き下げたのです。
 素人が考えてもヘンですよね。人口が減っている、とくに地方の人口が減って、就農人口は高齢化するばかり。耕作地も減り地方の自治体には存亡の危機に直面しているところも増えているというのに、どのように自給率を上げるつもりなんでしょうか。努力目標に終わるのでしょうか。
 そのような疑問が湧いてくるのは、人口問題に何の対策も打たれてこなかったからです。ここへきて急に外国人労働者に頼ることを決めました。本来、人口は数ある統計の中で最も信頼性の高い統計の一つです。短期も長期も見通せる統計です。それなのに、政治は対応策を怠ってきた。有効に使うべき統計を放置し「少子高齢化だ」「介護破綻だ」と叫んでいただけなのです。
 
 
 「一事が万事」とは言いませんが、統計が政策に生かされていないことを強く感じます。それだけでなく、政府の都合に合わせて使われている、としか思えません。メディアが行っている最近の世論調査を見ると、統計に対する国民の不信感は強まるばかりです。
 終戦直後、吉田茂(元首相)がマッカーサー元帥に言ったという統計にまつわる話が残されています。「前坂俊之オフィシャルウェブサイト」からの引用です。前坂氏は歴史研究者、ジャーナリストとして幅広く活動中です。
 「450万トンの食糧輸入がないと、餓死者が出る」と、農林省の統計に基づいて陳情したが、実際は70万トンで何とかやっていけた。マッカーサーが日本の統計のいい加減さをなじったところ、吉田は次のように答えたといいます。
 「戦前にわが国の統計が完備していたら、あんな無謀な戦争はやらなかったろうし、もし完備していたら勝っていたかもしれない」
 
 
 後半部分はともかく、統計無視、軽視は戦前からの日本伝統だった、ということでしょう。