先日見た「We Love Television?」という映画で、萩本欽一さんが「作り手側だけが、どんどん優秀になって、見る人を置いてっちゃう」と言っていました。これって、テレビだけでなく、世間のいたるところに当てはまると思います。
しかも「ついて来れないのは、あなたの努力不足でしょう」という風潮がいつの間にか蔓延している。政策、言論、日常の会話まで、そんな無責任なリーダー論が、知らず知らずのうちに入り込んでいます。
ついて来れないのが上司だけなら、そうした主張も、ある種若者の反抗としてよくある話です。しかし、ネット出現から、もう20年も時間が経っている。その間に、ついて来れない人たちは、上司だけでなく、自分の同僚や年下の子たちのなかにも増えているでしょう。いまや、ついてきてない人のほうが多く、さらについて行かなくてもいいと思っている人も多いのかもしれません。
ついて来れない人たちが、たくさんいることにいち早く気づいたのは、トランプ大統領陣営でしょう。また、ドイツでも、この9月に行われた連邦選挙で右派政党が第3党になりました。彼らは、言論など、個人の自由を制限し、国家を優先する全体主義的な政策を掲げます。こうした政策への支持というか、反対ではない言葉が、身の回りの会話でもタマに出ることがあります。
そんな内向きな考え方が、広まっている理由の一つは、自由市場で果実を得た人のやりすぎ感にあるのではないでしょうか。そして、問題は、自由市場で成功したそんな人たちのなかにも、自由は制限されてもいいと考えてしまっている人がいる。おそらく彼らには自由の制限は及ばないと考えているでしょう。ある種の特権階級のように。
栄枯盛衰ではないですが、世間の空気は振り子のように変わります。行き過ぎた自由は失敗だった。ある程度のルールは必要である。ただし、国家より個人は優先されるべきである、という線をなるべく守っていくにはどうしたらいいか。
ということを考えていたら、小池百合子さんが希望の党の綱領を発表していました。しがらみ政治からの脱却、ワイズスペンディングといった言葉が謳われています。自分は、なんとなく古いなと感じました。
新しい技術やサービスを海外から持ってきて「改革」や「しがらみをなくす」と現状を否定し煽る手法は、マンション広告のような高揚したスローガン=「ポエム」に聞こえます。「改革」した結果、格差が広がり、ついていけない人が増えているのに「まだ改革するというのか」。そんな風に取る人もいるでしょう。
90年代以降の規制緩和、新自由主義で、競争を強いられ、富は勝者に集約されました。これからは、振り子の揺り戻す時期です。しがらみは無くすのではなく、むしろしがらみを作り、社会に繋がりを持たせる方策を提示するのが、次の10年の仕事ではないでしょうか。
ということで、昔好きだった曲を。