関口 宏
「早いなぁー」と、これまで何回言ったでしょうか。
年を重ねるごとに多くなるのがこの台詞ですが、今年もはや3月が去り、一年の1/4が終わってしまいました。
そして今月4月が終われば残りは2/3。「そろそろ年賀状を書かねば・・・」
なんて冗談も出そうです。
しかし、今年はいつもの年とどこか違うと感じておられる方も多いのではないでしょうか。
トランプ現象で先行き不透明な年明けで始まった2017年。
その影響はいまだに世界を混沌とさせていますし、その中で蠢くロシア、イスラエル、シリア、トルコ、IS・・・・・。
アジアに目を向ければ、北朝鮮の在日米軍への挑発、不可解な殺人事件。
お隣の韓国では大統領の弾劾・罷免。その先行きは不透明です。
国内にしても、国有地をめぐる学園と政治の問題。そこに見え隠れする、ひと昔前の教育方針の是非。
さらには百条委員会にまで及んだ豊洲市場問題。
そしてあれほど拘っていた南スーダンからの自衛隊の突然の撤収。
たった3ヶ月の間に、次から次に起こる大きな出来事に我々は振り回されています。
ここから先も、ヨーロッパの大きな選挙が続きますし、世界はどこへ向かおうとしているのか、先が読めない不安と苛立ちが世界を覆っているようです。
そんな中、一本のドキュメンタリー映画を観ました。
日本初の女性報道写真家・笹本恒子さんと、以前この欄でご紹介した「新聞はあの戦争を止められなかった」との悔いから大手新聞社を辞し、自費で新聞を発行し続けた、むの・たけじさんの百歳を越えられた晩年を追った作品です。
とくに何かを声高に主張するでもなく、お二人の日々の生き様を淡々と繋いだドキュメンタリーなのですが、観ている者が多くを感じとらざるをえなくなるような不思議を感じました。
お二人とも戦前・戦後、おそらく我々には想像もつかないような大変な時代を生き抜かれたのでしょうが、だからと言うか、それでもと言うか、101歳の笑顔には、ここでは表現し難い奥深さ、爽快感のようなものが漂っていました。
それは何がそうさせるのか。
私なんぞがもの言う資格はないかもしれませんが、あえてお許しいただけるなら、お二人には、「貫き続けた何か」があったと思われるのです。
激動する世界、地球上を飛び交う情報の山。
それらに振り回されない方がおかしいくらい複雑化し続ける現代社会。
そんな時代に生きながら、はたして「貫き続ける何か」を持ち続けられることが出来るのか、そして、100歳までと言わずとも、あのお二人のような笑顔を保ち続ける事が出来るのか、我々は問われているのかもしれません。
テレビ屋 関口 宏