キリシタンの島


関口宏

 梅雨入り前に長崎の「五島」へ行って来ました。潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に認定されたことがきっかけでしたが、私の「五島」に対する印象がガラリと変わりました。それまで私の中では「長崎沖に浮かぶキリシタンが隠れ住んだ小さな島」程度のイメージしかなかったのですが、先ずはその遠さ。長崎市内の港から高速船で有川港まで一時間半。大小の波に揺られながら、キリシタン達はどうやってこの大海原を、身を隠しながら渡ったのか思いを馳せました。

 
 「五島」は、大小140ほどの島が連なる列島。そのいくつかの島に、ぽつんぽつんと文化遺産の教会堂が点在しているのですが、中でも大きな島が、北部・上五島の中通島、南部・下五島の福江島。その大きさにも認識不足を感じながら、長崎学アドバイザーの本馬貞夫氏からいろいろな事を教えていただきました。

 

 

 ここが南方系植物の北限であり、北方系植物の南限でもあることも「五島」の特徴の一つ。確かに日本で最後に作られた城(ということは、一番新しい城ということになりますが)石田城の庭園には、南方系・北方系の樹々が混在していました。そんな多様性を活かして、今の時代は食材も豊富、五島牛は一流ブランドになりましたし、海の幸にも恵まれた「良か所」と本馬氏は胸を張りました。

 

 しかし身を潜めながら暮らしたキリシタン達の時代には、それを堪能できたわけではないでしょう。火を炊いた煙から隠れ場所が見つかってしまい、処刑された話も伝わっていて、急斜面の波打ち際に、白い十字架とキリスト像がひっそり建てられていました。

 

 今回、数カ所の教会堂を見て回りましたが、それが全て世界文化遺産に認定されたわけではないことを知り、複雑な想いになりました。つまり「かくれキリシタン」と言っていたものを「潜伏キリシタン」と呼ぶようになったことからも推察できるのですが、「かくれキリシタン」による信仰は、時代と共に変形して行った一方、「潜伏キリシタン」の信仰は原型を保っていたことも、認定基準のひとつになったようです。

 

 

 どの教会堂にも人々が大切に、しかも密かに受け継いで来た想いが込められていて、今でも数世帯で維持している綺麗な教会堂や、建築技術が貴重な教会堂もあり、全てを文化遺産に認定すれば良いのではないかという残念な想いが残りました。

 

 そして季節も良かったのでしょう。新緑をくぐり抜ける薫風を浴びながら、時代が変わり、辛い歴史から解き放たれた「五島」を満喫しました。本馬氏お進めの五島牛もいただいてみました。脂身の少ない柔らかな炭火焼は絶品でした。

 

 帰りは福江空港から小型機に乗り、上空から「五島」に別れを告げました。
眼下に広がるあの島々で、迫害、拷問、処刑の恐怖の中、信仰を貫き通したキリシタン達の敬虔な生き方に、胸の詰まる想いが込み上げて来ました。果たして、そんな気魄が私の中にもあるのかどうか。
 「・・・・・自信はないな」と心が呟いていました。

尚、大桃美代子さんとご一緒したこの旅の一部が7月14日、NIB・長崎国際テレビで放送予定です

     テレビ屋  関口 宏