君和田 正夫
今年もいろいろなニュースが飛び交いました。その中でニュース自体が「恥ずかし」「格好悪し」というものもあれば、メディアがそれに拍車をかけているケースも目立ちました。私が選んだ「ワースト10」をお届けします。
① 米大統領選でトランプ勝利とメディアの完敗(11月8日)
米国の大統領選挙はトランプ氏の勝利で終わりました。米国の有力新聞100紙のうち、ヒラリー候補を支持したのが57紙、トランプ支持はわずか2紙だったそうです。結果はニューヨークタイムズに代表されるヒラリー支持派の完敗でした。世論調査による勝敗の予想も外れました。
米国の第三代大統領、トーマス・ジェファーソンの有名な言葉を思い出します。
「新聞なき政府か、あるいは政府なき新聞か、いずれを持つべきか迫られたら、私は一瞬のためらいもなく後者を選ぶだろう」
同じ19世紀初頭の有名人、ナポレオン・ボナパルトは次のように言ったそうです。
「敵意ある3つの新聞は1000の銃剣より恐ろしい」
ジェファーソンが今回の選挙を見たら「ためらわずに新聞なき政府を選ぶだろう」と言うかもしれません。ナポレオンも「敵意ある新聞は57あろうがいくつあろうが、なにも怖くない」とうそぶくかもしれません。
2016年11月8日は、メディア、とくに新聞が敗北した日として歴史に刻まれるでしょう。「権力の監視役」どころか、気が付いたら自分たちも既成勢力側にいた事が白日のもとに晒されました。民主主義社会で新聞は不可欠、と信ずる人たちにとっても「格好悪い」をはるかに超えて絶望的と言える現実です。私たち「独立メディア塾」のような超弱小メディアを含めて、この衝撃をバネに、新たな「ジャーナリズム像」構築に向けた第一歩を踏み出さなければなりません。11月8日はその記念すべき日にしたいものです。
②「核兵器禁止条約」の交渉入りに日本が反対。(10月27日)
国連総会の第一委員会(軍縮)で、核兵器廃絶を目指し「禁止条約」の制定に向けた交渉を来年から始める、という決議に日本政府は「反対」の一票を投じました。「まさか」の一票でした。賛成123カ国、反対38カ国、棄権6カ国だったそうです。
岸田外相は「核保有国と非保有国の対立を一層助長し、亀裂を深めるものだから」と反対票の理由を説明しました(29日付朝日新聞朝刊)。そうした弁明に関わらず、国内はもちろん非核保有国からも批判が出たようです。
10月30日の読売新聞朝刊は「非保有国の亀裂拡大は残念だ」と題する社説で「北朝鮮は核・ミサイル開発を加速させている。日本や韓国の安全保障にとって、米国の核抑止力の役割は依然大きい」として「反対は『本意』でなく現実的な選択」だと、政府の方針を支持しました。
しかし、ここは「本意」を主張すべきだったと思います。日本が提案した「核兵器の全面的廃絶に向けた決議」案は同じ国連総会第一委員会で、米国を含む110カ国が共同提案国になって採択されました。片方では反対国になり、片方では提案国になる、矛盾に満ちた核政策です。外交通、政治通といわれる人が「日本が禁止条約に反対したから、日本提案の全面廃絶決議に米国を止まらせることができた」と解説しているという話を聞きました。その手の解説は必要なのでしょうか。
今回の条約はもともと実効性が薄い、と言われてきました。決議は「交渉に入る」という段階のもので、来春から始まる予定の交渉を拒否することも可能です。拘束力がない決議ということは、現実より理念を重視したものと言えます。「唯一の被爆国」は理念を訴え続けることが責務です。
今年5月27日、オバマ米大統領は戦後71年目で大統領として初めて広島を訪問しました。「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死が降って来て世界は一変しました」という言葉で始まった大統領の演説は日本中に感動を与えました。あの感動は何だったのでしょう。
③「パリ協定」への乗り遅れ(11月4日)
11月4日に「パリ協定」が発効しました。温暖化を抑えるために、今世紀後半に温室効果ガスを実質ゼロにすることを目標にした協定です。発効の条件である、総排出量の55%以上、55カ国以上の締結が10月に満たされたためです。現在は途上国を含め100カ国以上が締結しました。最終的に国連に加盟する197カ国・地域すべてが参加することになっています。
これに対して日本はどうか、11月4日発効の時点で、日本は国会の承認も得ていませんでした。11月8日に批准し、閣議決定しましたが、7日からモロッコのマラケシュで開かれた国連気候変動枠組み条約の第22回締結国会議(COP22)の第一回締結国会議にはオブザーバーとしてしか参加できませんでした。
今年5月に伊勢・志摩で開かれたサミットでは、ホスト国の安倍首相が音頭を取って「パリ協定の年内発効を目指す」ことで合意しました。それにもかかわらず日本はその努力を怠ったのです。
この会議では協定の詳細なルール作りの議論が始まりました。日本は世界で5番目の温暖化ガスの排出国だそうです。重要なルール作りに最初から参加できないとは、日本の存在感がここでも薄くなってしまったのです。
④ 東京都知事選挙
国際面、外交面に続いて、国内も大混乱でした。
都知事選は数々の恥ずかしい場面を世界に晒しました。舛添前知事の身の処し方は、無残でした。公費を巡る様々な疑問に対して、いまだに説明責任を果たしていません。
選挙の最中、石原慎太郎元知事も醜態をさらしました。「厚化粧の大年増」
発言で自分の支援する候補を、逆に不利な立場に追い込みました。その後に起きた築地市場の移転問題では「記憶にない」「忘れた」などを連発し、自ら老人ぶりを演じて見せました。
鳥越俊太郎氏を無理やり擁立した野党も恥ずかしい限りでした。
⑤ 築地移転問題
小池知事が誕生していなかったら、11月に予定通り、豊洲に移転していたのでしょう。豊洲は安全なのか、それが基本です。
都知事選、築地移転問題で恥ずかしい思いをしているのは、都庁の記者クラブでしょう。選挙の引き金になったのは舛添前知事の金銭問題でした。週刊誌に指摘されて、やっと公の場で議論されるようになりました。都庁に常駐している記者クラブの皆さんは、小池知事が登場するまで何をしていたのでしょうか。
舛添氏が第三者として調査を依頼した弁護士の記者会見では、弁護士側から「第三者委員会というものを皆さん(記者)は御存じない」「事実認定を皆さんは御存じない」と一方的に言われるだけで、反論する記者がいませんでした。さびしい限りです。
⑥ 東京五輪問題
国立総合競技場の設計、エンブレムのコピー問題から始まりました。サッカー、水泳、ボートの3競技場の問題、どれも根底には当初案より大幅に膨れ上がった予算の問題があります。鹿島、大成、清水の大手ゼネコンの応札率は99%以上。コストがかかり過ぎるという批判が出ると、100億、200億円の単位で見積もりが下がるのはどうしたことでしょう。
都知事選、豊洲移転、東京五輪と首都がらみで様々な問題点が浮き彫りにされたのは、舛添前知事のおかげです。舛添氏に感謝しなければなりません。
⑦ 「保育園落ちた日本死ね!!!」(2月15日)
< 下線部文章引用元:はてな匿名ダイアリー 「保育園落ちた日本死ね!!!」より >
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。
いささか品がない感じもしますが、御本人も承知の上でしょう。このくらいの言葉で言わないと、政治が動かないことを証明しました。ネットからの引用です。3月になって政府は待機児童問題で緊急対策を発表しましたが、根本解決にははるかに及ばない対策でした。投稿について様々な意見が飛び交いましたが、「女性が活躍できる社会づくり」そして「少子化対策」があまりにおざなりなことを、投稿は浮き彫りにしました。
⑧消費税増税の再見送り(6月1日)
安倍首相は来年4月に予定していた消費税の再引き上げを、2019年10月まで2年半延期することを記者会見で発表しました。「世界経済は予想以上のスピードで変化し、不透明感を増している。内需を腰折れさせかねない増税は出来ない」ということです。8%を10%に上げる予定でした。
二年半の延期ということは東京五輪・パラリンピックの前年に引き上げることになります。本当にできるのでしょうか。19年は統一地方選(4月)、参院選(夏)が予定されています。なによりも任期満了を18年12月に迎える衆議院はいつ解散があるか分かりません。これだけ選挙を控えているのだから、増税は出来ない、ということでしょう。
五輪による経済効果で増税の影響を緩和できる、と読んだのだとすれば、「運任せ」と言わざるを得ません。2014年11月18日、一回目の増税延期の記者会見で首相は次のように言いました。
「再び延期することはない。断言する。平成29年(19年)の引き上げについては景気判断条項を付すことなく実施する。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずその(引き上げの)経済状況をつくり出すことができる」
つまり二度目の延期はその状況を作り出せなかった、「アベノミクス」が失敗したことを認めたことになります。再延期の時「公約違反」を安倍首相自身が認めましたが、一回目の延期とほとんど同じ言い訳に聞こえました。消費税引き上げは賛否両論ありますが、社会保障の充実、財政再建といった重要課題が待ち構えているからこそ選挙に問うべきテーマです。
前にも書きましたが、2%引き上げの対象から新聞を外してくれ、つまり軽減税率を適用してくれという新聞界の要求は見苦しいものでした。実際、適用外になったのですが、消費税引き上げ、再延期に対する論調が弱々しく見えました。
⑨自民党の憲法改正草案棚上げ(10月18日)
自民党憲法改正推進本部の保岡興治本部長が2012年の憲法改正草案について「そのまま憲法審査会に提案することはない」という趣旨の説明をしました。天皇の元首化や緊急事態条項などを盛り込んだ改正草案は、野党の反発が強いだけでなく、昔に戻ったような内容が批判されました。この草案を棚上げにはするけれど「党の歴史の中で発表された公文書」ということで、撤回はしませんでした。
復古主義的な草案は誰がつくったのでしょう。草案は12年4月27日決定、とあります。前年の12年12月20日現在の推進本部長は保利耕輔氏で、最高顧問に麻生太郎、安部晋三、福田康夫、森喜朗各氏の名前があります。起草委員会の委員長は中谷元氏です。この錚々たるメンバーは「棚上げ」をどう受け止めたのでしょうか。憲法の改正と言えば、国の在り様を変えることです。復古主義は間違っていたと考え直したのか、復古主義で行きたいのが本音か、大事な点に口をつぐんでいることは政治家として恥ずかしいことです。
⑩ マイナス金利導入(1月29日)
日本銀行は金融政策決定会合で、マイナス金利の導入を決めました。銀行が日銀に預ける当座預金の金利が翌2月からマイナス0.1%に引き下げられました。預金しておくと目減りしてしまうわけですから、銀行は日銀に預けずに、融資などにおカネを回します。市中に出回るお金がジャブジャブになれば物価が上がる、という狙いです。
日銀は13年1月に「物価安定の目標」として毎年2%の消費者物価上昇を目指すことを発表しました。黒田総裁は翌年3月に日本商工会議所での講演で「14年終わりから15年度にかけて実現の可能性が高い」と自信の見通しを述べました。ところが目標になかなか近づけないため、時期の先送りを繰り返して来ました。
マイナス金利は初めての経験ということもあって、議論を難しくしました。金融政策決定会合でも賛成5対反対4というきわどい決まり方でした。
それに引きずられるように、マイナス金利に代表される金融政策に、メディアの対応は隔靴掻痒に見えました。マイナス金利をどう評価していいのか分からないのです。私が日銀の記者クラブにいた昔は公定歩合が、ほとんど唯一の金融調節手段でした。預金金利などが連動していたため公定歩合が動くと他の金利も狭い範囲で変更されたため「四畳半金利」などと言われたものです。公定歩合の上げ下げの時期と幅に注目して取材している時代でしたが、94年に金利自由化が完了し、金利が市場に委ねられるようになって公定歩合の時代は終わりました。
自由化が進むと様々な新しい商品が開発されます。IT技術を駆使した金融商品が生まれ、担当者はより専門的な知識、経験が求められるようになりました。加えて、金融を含む経済政策の特徴は「再実験出来ない」ということです。マイナス金利を導入しなかったらどうなっていたか。消費税を引き上げていたらどうなっていたか。誰も明快な答えを出せないのです。
及び腰の経済ジャーナリズムの中で、際立っていたのが、11月15日の日経朝刊の「経済観測」でした。「アベノミクス4年」と題してアベノミクスを理論的に支える浜田宏一内閣官房参与(エール大名誉教授)のインタビュー記事を掲載しました。記者は浜田氏から次のような答えを引き出しました。一部を引用します。
質問 日銀は国債の買い入れを年40兆円増やしましたが、4年たっても物価は目標とする2%に達していません。
答 国民にとって一番大事なのは物価ではなく雇用や生産、消費だ。最初の1,2年はうまく働いた。しかし、原油価格の下落や消費税率の5%から8%への引き上げに加え、外国為替市場での投機的な円買いも障害になった。
質問 デフレ脱却に金融政策だけでは不十分だったということですか。
答 私がかつて「デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ」と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない。
驚くべき答えです。市中にお金をばらまくことで消費者物価を上げることができる、というのは誤りだった、と認めているのです。加えて「2%の目標」が達成できないのは、原油価格の下落や消費税の引き上げや消費税引き上げが障害になったからだ、と他の要因に責任を押し付けていることです。
インタビュ―では米国の大学教授の論文を紹介されて目からウロコが落ちた、とまで言っています。「金利がゼロに近くては量的緩和は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる」というのです。もしこの答えが米国の論文から教えられたものとすれば、それは随分昔から言われていたことではなかったでしょうか。渡辺努・東大大学院教授は「物価上昇2%が達成できない理由」と題して次のような論文を書いています。(中央公論16年1月号)
「日銀の一部には市中で流通しているおカネの量を増やせば物価は上がるというナイーブな見方があった。しかしこの分野における内外の専門家の多くはそうした効果には当初から懐疑的だった。クルーグマン教授や筆者らが2000年代初頭に発表したいくつかの論文により金利がゼロに達してしまっている状況では、さらにおカネの量を増やしても物価は上がらないことが既に知られていたからだ」
「2000年代初頭」に知られていたことを、今になって教えられた、というのでしょうか。日本の金融政策のかじ取りは今、極めて危うい局面を迎えています。