「監視」から「介入へ」−21世紀の新しい政治行政との関わり方

S. Eguchi

S. Eguchi

江口 晋太朗

誰もが政治行政に対して無関心となった時代 

 古代アテネにおいて、市民が集まる場所として「アゴラ」と呼ばれる場所があった。アゴラは、市民が集まる会合の開催場所として使われ、いまでいう議会のような機能を果たしていた。いわゆる、直接民主主義をもとに地域のあり方をみんなで決める場であった。

 時代が移り変わり、人口規模が大きくなった現代の国家や地方自治体においては、物理的な制約から代表民主制、いわゆる代議制をもとにした自治を行うようになっていった。それにともない、私たちは普段から政治や行政に意識を向けずに、経済活動や余暇を楽しむことができるようになり、技術的革新などを通じて身近な生活を変化させてきた。

 それにともない、現代の私たちは普段当たり前のように使っているものが、どこからきてどのような仕組みで構築されて動いているのかを意識しなくなった。24時間動いているコンビニストアやワンクリックで一日以内に配送してくれるAmazonのような民間サービスだけにとどまらず、蛇口をひねるとでてくる水道水や、日本ではほとんど止まることがない電気やガスといった社会インフラ。ほかにも、交通網やインターネットなどの発達によって、私たちはいつでもどこでも連絡できたり、どこにでも気軽にすぐに移動したりできるような時代になっており、それらが当たり前のものだという意識の中でサービスを享受してきた。

 

photo by RinzeWind on Flickr

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 原発問題や直下型地震の可能性、雨や雪などの気象による脆弱性をみせた交通網やライフラインを身近に感じさせられたこの数年で、実は私たちが普段何気なく使っているものが、何かが起きた時にいままでと違った姿を見せるということに気付かされるようになった。私たちの生活の基盤を支えているものがどのようになっているのか、いま改めて見つめなおさなければいけない時代になっているのかもしれない。

 価値観やライフスタイル、グローバル化によるワークスタイルの多様化などが生まれてくるようになり、改めて自分自身の生き方や働き方といったものを見つめる動きもでてきた。価値観の多様化は地域コミュニティを変化させ、趣味の合う人同士や同じ業界などに所属している人以外とのコミュニケーションが生まれづらくなった。こうした変化は地域や自分たちの暮らしをどのようにしていくかといった足元の関係性に対して、意識を向けづらくなるが、いざ震災などが起きた際に、頼るべきは隣にいる人だったり、近所に住んでいる自分とは価値観の違う他者といかに共存していくか、という関係性を作ることが大切だったりすることに、目を向けるべきではないだろうか。

 こうした、普段なにげなく使っている社会インフラと、その上で生活している私たち自身の働き方や生き方などの未来のあり方という二つの課題をどのように考えていくか、自分たちの地域や社会、その足元にある自分たちの暮らしや生活をどのようにするかを、改めて見なおさなければいけない時代に私たちは生きているのだ。

 

市民ができないことを行政にやらせることが、市民社会の本来の意味

 

 地域を考える上で、「市民社会」という言葉がある。ではこれはどういった意味なのか。よく言われるのは、行政ができないことを市民や民間の手でやっていこうという考え方で、NPOや社会起業という考え方も誕生し、民間主導で社会に対してアプローチしていくということだ。もちろん、こうした考え方は私は大いに賛成する。民間企業でまかなえるものは民間で作っていくことで、よりよいサービスが誕生することは大いにあるだろう。

 しかし、本来の地域社会を考える意味において、市民社会における自治とは、行政ができないことを市民がやるのではなく、「市民ができないことを行政にやらせる」のが本来の意味だ。これは、かつて直接民主主義から間接民主主義へと移行したことにも分かるように、もともとはその地域やコミュニティに所属している者たちで決定しようとしていたものが、決定コストを市民全体が負担するにはあまりに大きいからこそ、間接民主制をもとに議会を作り、行政執行を通じて行わせようという考え方からきている。

 行政が提供しているサービスや道路もすべて、私たちの税金によって賄われていることでもわかるように、行政とは私たち市民の拡張されたものであり、私たち市民が持っている権利を一部移譲させているものだと言える。これこそ、間接民主主義における行政府の役割なのだ。つまり、ガバメントという言葉の中には、「セルフガバメント」という言葉が内包されているのだ。これを再認識することで、近年言われている「オープンガバメント」という考え方がより理解することができる。

 

「監視」から「介入」へのマインドシフト

 

photo by orangeacid on Flickr

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 オープンガバメントとは、「オープン」という言葉の定義から「公開」という意味がそこには含まれる。では「公開」とは何を指すのか。これは、アメリカでは1960年代から始まっている行政府が持っている情報を市民に「情報公開」する機能だ。行政府の情報を透明化することで、政府に対する不信感をなくすと同時に、不正や腐敗に陥ることへの「監視」を行なうことだ。

 こうした情報公開に対する意識は、いわば20世紀的なものでもある。21世紀における「オープン」とは、そこから更に踏み込んだ「開放」という意味がそこには備わるようになってくる。情報を公開するだけにとどまらず、その情報を利活用しようとする動きだ。本来、行政府の情報はもとをたどれば私たち市民の情報であり、政府がもつ各種データの権利というには、誰もが自由にアクセスし、活用する権利を保有しているはずである。事実、海外の一部の国においては、政府が公開した情報は著作権のないパブリックドメイン、もしくは、クレジットのみの記載で改変や営利・非営利活動への利用が可能で、独自のライセンスをもとに行政府の情報を「開放」する動きが起きているのだ。

 こうした動きは、ウェブの誕生が大きなきっかけだ。インターネットを通じ、それまで情報が一方通行だと思われていたものが双方向のコミュニケーションを生み出し、人も情報をやりとりできる環境となり、これまでにないイノベーションを生み出すようになってきた。新聞やラジオといったマスメディアから、SNSなどに代表されるソーシャルメディアが誕生し、いまやテレビやラジオ時代が「ソーシャル化」し、視聴者とのインタラクティブなものへと移行するようになってきたのもまさにその一つだ。

 

photo by Jason A. Howie on Flickr

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 スマートフォンの誕生は、それまで決められたサービスを使うという発想から、自分たちでアプリを選択することで、誰一人として違ったスマートフォンを持つようになった。誰もが情報を発信できる時代においては、一人のパッションが社会を動かすまでになってきた。アプリ開発も個人で行えたり、ネットインフラの整備などによってITを活用して低予算で起業できる時代になり、日々新しいサービスが生み出されビジネスやコミュニケーションにおけるイノベーションが起きる環境が整ってきたりした。いわば、インターネットの登場によって民間のサービスや技術、身の回りの生活品にイノベーションが起きるようになったのだ。

 行政府が持っている情報というは、いまだ誰もが利活用できていない大きな資産だが、すでに公的データを活用した新しいサービスが次々と生み出されている。例えば気象データや土壌データ、農作物の収穫高のデータををもとにした農家向け保険サービスが作られたり、地域の病院のデータと自身の子育て記録をもとに、適切なタイミングで子どもに対して予防接種の受診を促すアプリが作られたりしている。地域が抱えるゴミ問題や、震災などの災害が起きた際の緊急避難場所の地図がスマートフォンで確認できたり、地域で落書きなどがされている場所を写真付きで投稿することで、地図上に情報をマッピングすることで、行政サービスの効率化が図れるなど、さまざまなものに利用され始めている。

 こうした動きは、行政主導ではなく個人の課題意識から生まれたサービスや、民間主導で行っているものが多い。これらのサービスが、既存の行政府がまかなっているサービスを補完すると同時に、これまで意識することがなかった行政サービスに対してイノベーションを創発する動きにもつながっていく。

 これまでの行政府は、かつてのマスメディア的な一方向による情報発信だけであり、市民とのコミュニケーションを通じて地域の課題を解決しようとする仕組みが生まれていなかった。しかし、SNSなどを通じて政治家や行政に対していつでもどこでもコミュニケーションができるようになったことで、双方向のコミュニケーションを行うことができる環境となった。地域の課題をリスト化し、そのリストに対して解決策を広く募集し、市民全体でブラッシュアップしてできたアイデアを行政が実行を宣言し、宣言通りに実行されたことを市民が見届けることで、市民と行政とのこれまでの不透明な関係性から、強固な関係へと構築され、より市民が当事者意識を持って地域に対してアクションをおこなうようになる。

 つまり、これまで情報公開によって不正や腐敗を「監視」してきた私たちが、行政府に対して「介入」してサービスを補完したり一緒になって新しいサービスを作り上げることができる時代なのだ。このマインドシフトを持つことが、大きな社会イノベーションを生み出していく。

 

オープンガバメントによるオープンイノベーションの促進

 

photo by opensorce.com on Flickr

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 これから日本は、少子高齢化の時代にも突入していくことは免れない。今後のゆるやかな人口減少の中で住みやすい地域として暮らしていくためには、改めて私たち市民が地域をどのようにするのかを考え、社会のあり方に対して当事者意識を持って取り組まなければいけない時代になっている。もはや、政治家や行政だけがすべてを担うことは不可能だ。選挙で投票したらあとは政治家や行政を批判するのではなく、本来の市民社会としての意味を再認識し、私たち自身が地域に対して何をすべきかを考え、私たちだけではできないことをいかに行政に対して行ってもらうか、というマインドシフトをおこなさなければいけない。

 「ともに考え、ともにつくる社会へ」−−これからの社会に対して、誰もが当事者意識をもつ時代がきている。地域は誰のものでもなく私たちのものであり、地域をどう作り上げていくかを考え、行動していかなければいけない。それぞれが持っている得意分野やスキルをいかし、持っているスキルの一部を地域に還元することは、巡り巡って自分自身の暮らし方や生き方を支える環境を作り上げることができる。

 これを支えるための根本的な考え方として、「オープンガバメント」があるのだ。「監視」から「介入」へとシフトしたように、「オープンガバメント」という考え方は、情報を公開し透明性を高めるというだけではなく、誰もが自由に利活用できる環境を作り上げ、多様な人たちとのコミュニケーションを通じて社会全体に対する「オープンイノベーション」を促進し、新しい価値を生み出していくという、二つの意味を持っているのだ。

 

新しい直接的な社会との関わり方を模索する

 

 技術革新の進歩によって、民間のサービスや身の回りの生活におけるイノベーションはこれまで多くのものを生み出してきた。しかし、公共サービスだけはいまだイノベーションが起きていない、まさに「聖域」とも呼べる場所だ。21世紀の時代は、この公共サービスのイノベーションを起こしながら、社会との関わり方がシフトする時代になることが、大きなトピックとなるだろう。

 間接的な社会との関わりから新しい直接的な社会とのあり方へ。誰もが日々の行動、日々のコミニュケーションを通じて、簡単に手軽に地域を良くしたり社会を良くしたりするようなアクションを起こせる環境が少しづつだが生まれ始めている。大それたことをする必要性はない。みんなの1%のちょっとした意識の転換と普段の行動が集積し、それが全体総意として社会が良い方向へと自走していくのだ。

 オープンガバメントという考え方は、社会に新しいイノベーション起こす一助になると、私は考えている。