無力で孤独な労働者

M.Kimiwada

君和田 正夫

 安倍首相が掲げる「働き方改革」が厚生労働省のデータを巡ってもめています。「こんなにずさんなデータを基に法律を作ろうとしているのかしら」と感じた人が多いと思います。最近は政治家も、経営者も役人も「働く」ことの意義を重視しなくなっているように思えます。「働く」とは「社会人になる」ことです。非正規社員の増加に代表されるように、「労働観の喪失」は社会全体を揺るがせる大きな要因です。

 私は労働問題の専門家ではありませんが、素人が見ても労働環境の悪化は目をみはるばかりです。引き合いに出される指標や要因などを紹介しましょう。

 

 

非正規社員の増加、組合の組織率は低化

 第一は組合の組織率です。厚労省の調査によると、平成29年(2017年)の推定組織率は17.1%でした。昔を知っている人間から見れば「わずか17%」ということになります。雇用者数5848万人に対して組合員数は998万1000人。従業員6人のうち1人しか組合員ではない、という低い率です。組合員数は前年より4万1000人増えているのに、組織率は0.2ポイント下がっています。組合員の増加を上回って、非組合員が増えているということです。

 過去の推定組織率は厚労省の統計によると、昭和24年(1949年)の55.8%がピークです。それからは下がり続け、昭和35年(1960年)には32.2%、58年(1983年)には29.7%と30%を切りました。平成15年(2003年)は19.6%と、ついに20%を切りました。正規労働者の減少と非正規労働者の増加がダブルで効いている、ということになります。組織率の低下は賃上げ交渉力の低下に直結しますので「春闘やストライキなんて死語になった」というのもよくわかります。労働者が「労働の価値」主張する場、機会が無くなって来ているのです。

 と思っていたら、JR東日本の労組が3月2日以降にストライキを行う、というニュースが流れ、驚かされました。要求内容は、組合員一律のベースアップです。昔、ストで電車が止まった経験のある人には懐かしささえ感じるニュースですが、電車の運行には影響しないスト、と聞くと、幾分はぐらかされた気分もします。この原稿が出て間もなく、ストの結果が分かるでしょう。

 第二は非正規社員の増加です。「非正規」にはパート、アルバイト、契約社員、嘱託、派遣社員が含まれます。厚労省の統計によると、平成元年(1989年)に817万人だったのが、28年(2016年)には2023万人に膨れ上がりました。労働者に占める割合も元年の19.1%から28年の37.5%へ2.5倍になったのです。非正規社員の問題点は、これまでに何度も指摘されてきました。低賃金、昇給なし、不安定な雇用などなどです。コスト削減など経営の安全弁になっているのです。

 私の周りにいる大学生や若者には「結婚したくない」「子どもを生みたくない」という人が増えています。「したくない」と言うより「できない」という方が現実に近いでしょう。その理由は雇用形態の不安定さや低賃金です。仕事を選ばなければ正社員の道もあるのですが、したい仕事は非正規社員でしか採用しない、と悩んでいる大学生もいます。いきなり「起業」を目指す若者が増えているのも、いくら働いても明日につながらない企業社会への失望からです。

 

将来像を示せない経済界リーダーたち

 それなのに、ということで第三の要因は「財界」の変貌、劣化です。これも「昔は」という愚痴めいたことになりますが、経済界は日本の国際化に向けて様々な提言や要求を出してきました。しかし、少子高齢化という重大な変化の時代に、財界からの発言が聞こえて来ません。「人に代わってIT(人口頭脳)が働いてくれる」「IOT(モノのインターネット)でビジネスモデルが変わる」という経営者は、そうなった時の労働者像、国民生活の変貌ぶりを描いて見せる義務があると思います。仕事はITに任せて人間は働かないで食っていけるようになるのでしょうか。あり得ないことです。働き方改革問題でも経営者たちは沈黙するばかりです。

 経団連会長と言えばかつて「財界総理」という別名を与えられていた時代がありました。「民間」を代表する経済界のリーダーということでしょう。そこには政治とは一定の距離を取ろうという姿勢がうかがえたものです。第二次世界大戦で戦争に協力した責任を取る形で財閥が解体された、ということが影響していたのかもしれませんが、経団連会長は旧財閥系からは選ばないということが慣習になっていました。

 2010年に米倉弘昌・住友化学会長が日本経団連会長に就任したころから変わり始めました。住友化学は当然、住友グループです。旧財閥とは三井、三菱、住友の3財閥に安田財閥を加えることもあります。それまでは東芝、トヨタ、新日鉄、東電などの非財閥系のトップが会長に就任していました。米倉氏の時代は民進党政権と重なっています。そのため経団連が政治献金に関与することを中止しましたが、後を継いだ榊原定征氏(東レ最高経営責任者)は就任するとすぐ、経団連加盟社による政治献金の再開を要請しました。

 

経済政策にも沈黙する財界

 政治との距離が縮まり、政権による賃上げ要請など経営への政府の関与が強まりました。昔の人間の嘆きはこの辺に集中します。「石坂(泰三)、土光(敏夫)、豊田(章一郎)などの時代は政権にモノ申した」「今は会長が小粒になった」…。「経済同友会はどうしているのだろう」という声もきかれます。同友会は企業経営者が個人の資格で参加します。国内外の経済問題について自分の企業や業界の利害と関係なく自由に議論・提言する団体として存在感を示した時代があります。

 経済界はアベノミクスに注文・批判はないのでしょうか。働き方改革に提言はないのでしょうか。「裁量労働」や「非正規社員」は企業にとって好都合なので、発言しないのでしょうか。政府からの賃上げ要請は、経営者として恥ずかしくないのでしょうか。様々な疑問が湧いてきます。

 モノづくりの企業、つまりメーカーから会長を出すことが慣習になっている経団連では、現在の経済に対応できないという意見も強くなりました。2010年に「新経済連盟」が発足しました。楽天の創業者、三木谷浩史氏が代表理事を務め、ITビジネスなど新しい産業を推進する団体です。こうした団体が次々生まれて、経済界の刷新が進み、激しい議論が生まれることを期待したいものです。

 第四の変化は、連合(日本労働組合総連合)のナショナルセンターとしての影響力が落ちてしまったことです。組合組織率の低下、経済界の力の低下、自民党一極政治とそれに伴う野党の分裂などが、組合の劣化につながっています。

 連合は本来、強力な組織であるはずでした。1989年に結成された時、集結したのは総評(日本労働組合総評議会=社会党系)、同盟(全日本労働総同盟=民社党系)、中立労連(中立労働組合連絡会議)、新産別(全国産業別労働組合連合)という日本を代表する四つの団体だったのです。

 連合のホームページによると、加盟組合員は686万人だそうです。「『働く』に関する不安や悩み、連合が解決します」と謳って、「不当解雇」「賃金不払い」「長時間労働」「パワハラ」「セクハラ」を挙げています。最初に書いたとおり、組合の組織率17%の人たちを代弁するだけでなく、全労働者を代表する心意気で取り組んでもらいたいものです。

 

「希望を配る人」は誰なのか

 コスト調整の安全弁として非正規社員を使う経営者、組合員を相手にするのがやっとの連合、それでは誰が働く人の味方になってくれるのでしょう。最終的には法律がその役割を果たすべきですが、国会で議論中の「働き方改革関連法案」を見ても、法案を通すことばかりに熱心で、労働者を守る、という熱意を感じることができません。

 法律に関わる問題として、2018年問題が指摘されてきました。2013年に施行された改正「労働契約法」では、有期労働契約が通算5年を超えたときは、労働者が申し込めば期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できることになり、企業に義務づけられました。18年は5年目に当たるので、「非正規労働者」が正社員になれるのではないか、と期待を膨らませた人も多かったはずです。しかし、企業は甘くありません。

 有期契約が5年を超えないように契約を打ち切る「雇い止め」という妙な対応策や給与などの条件を変えずに無期契約にするなどの対応が検討されているようです。

 もう一つ18年問題があります。「労働者派遣法」が改正され、15年に施行されました。派遣労働者の直接雇用を増やすためだそうですが、派遣期間を一律3年に限定しました。このため18年に企業による「派遣切り」が行われるだろうといわれています。「雇い止め」だの「派遣切り」だの、嫌な言葉です。「労働契約法」や「労働者派遣法」など様々な法律で労働者は守られているように見えますが、法律にはいつも抜け道が用意されている、と思えてなりません。

 政治家、経営者、役人、組合、法律などの状況を重ねてみると、労働者一人ひとりがどれほど孤独で無力な存在か思い知らされます。

 「リーダーとは『希望を配る人』の事だ」といったのは、たしかナポレオンでした。今、失望を配っているのはどなたでしょう。

 

投稿の三作品に優秀賞(2017年)

 2017年の一年間に投稿された作品の中から、スタッフの投票で三作品に優秀賞を差し上げました。三作品は下記の通りです。「独立メディア塾」は今年18年で5年目に入りました。昨年以上に、多くの方々の投稿をお待ちいたします。

 優秀作品
  <オープントーク>
  ネットメディアの危機」( 6月上  )
  ネットメディアの危機」(  7月下 )
  北元 均氏

 <登竜門>
  メディアは科学に何を問い、科学はメディアに何を答えるか」(10月)
  久野 美菜子氏

  あなたは誰のためにワクチン接種をしますか」(4月)
  進谷 憲亮氏