令和の始めに

関口 宏
『令和』がスタートしました。と言って何かが急に変化するというものでもないのでしょう。徐々に徐々に新元号に馴染みながら、いつかしっくりする時が来るものと思われます。
 
 『平成』もそうだったような気がします。新しく即位された天皇陛下が、『昭和』が残した課題に、ひとつひとつ丁寧に取り組まれ、その度ごとに『平成』が意識されていったと感じています。
 
 『昭和』は正に激動の時代でした。この小さな国が戦争に突き進み、大敗して国は廃墟と化しました。そしてゼロからスタートした復興。そのためには経済最優先。その結果わずか30年ほどで、世界から「ジャパン・アズ・No. 1」と称されるほどに奇跡的な復活を遂げました。しかしその経済最優先は止まることを知らず、遂には虚構のバブルに突っ走り、『平成』へとバトンタッチされました。
 
 『平成』はこのバブルの精算から始まりました。失われた10年とも20年とも言われますが、実はまだ終わっていないのではないかと思われます。つまりその精算を引きずるまま『令和』に入ったような気がするのです。
 
 また失われた10年・20年のツケは想像以上の影響をもたらしています。いっとき世界の経済界をリードした日本企業の名前が、世界有名企業の上位から姿を消し、政治家や官僚、企業経営者の不祥事が相次ぎ、さらには学力・研究分野でも質の低下が不安視されるようになりました。つまり、総合的な国力が落ち込んでしまったかのように見えるのです。
 
 一方では、アメリカ発のグローバル経済に取り込まれ、日本型経営、日本型社会が崩れ、豊かな四季の中で育まれた日本人の感性も失われつつあるようです。それに拍車をかけたのがIT革命でもあったのでしょう。『平成』の始めには、パソコンも携帯もポピュラーなものではありませんでした。このITの進化が私達を、せわしない日常へと追い込んで行ったと思われます。勿論、その恩恵にあずかった面もあることは間違いないのですが、「日本人らしさ」とか「日本の良さ」を失わずに『令和』を生きてゆくことができるか、この度の改元と共に、私達日本人全体に問われているような気がします。
 
 退位された陛下が『平成』を振り返られ、日本が戦争をしなかった『平成』
という時代に安堵した、と述べられました。『令和』も是非、安心して過ごせる日々の中で花咲く時代であってほしいと思います。

H.Sekiguchi


テレビ屋  関口 宏