種子(タネ)の世界

「シード〜生命の糧〜」
配給:ユナイテッドピープル
全国順次ロードショー

関口 宏

 アメリカのドキュメンタリー映画「SEED」を観ました。「SEED」つまり「種子(タネ)」のことです。「種子」無くしてはどんな作物も出来ません。私達が生きていく上でなくてはならないもの、私達の生命の素です。

 その生命の素、「種子」が今激減している。気候変動が原因とされるものもありますが、もっと深刻なのは世界の種子市場を、大資本の多国籍企業が独占するようになった結果だと「SEED」は訴えています。それは勘ぐれば、大企業による農作物の世界制覇であり、その企業を通さなければ、誰も何も作れない危険な世界が広がることになるのです。更には新しい農薬の開発や、GMOと呼ばれる遺伝子組み換え技術も進められていて、私達の生命の素・自然の恵みの姿が、今大きく変わろうとしていると警鐘を鳴らしているのです。

 「SEED」は、その危険を察知した人々が、本来の農法を守り抜こうとするささやかな抵抗運動も取材していますが、さて我が日本の現状はどうなのか。それでなくても食料自給率が40パーセントにも満たないと言われて久しい日本なのですが・・・・・・

 しかし、種子・タネというものは実に不思議なものですね。あの小さな一粒の中に、その後の設計図が全てつめ込まれている。根を張り茎を伸ばし、葉を茂らせ花を咲かせて実を結ぶ。その一粒のタネの一生がすでに予定されていて、そこにそのタネに適した土壌・水・日照時間・温度などが揃えば、タネはきちんと自らの使命を果たす仕組みになっているのです。ただその良き条件から外れると、使命を果たすことが出来ずに終わってしまうのが、この世の過酷な自然界でもあるのでしょう。

 

映画「シード~生命の糧~」
©︎Collective Eye Films

 それを考えると、我々人間もそうなっているのではないかと思えて来ます。ひとり一人、それぞれの使命が詰め込まれたタネを抱いてこの世に生まれ、何かを果たすべく人生を歩んでゆく。与えられた条件は、生まれた地域、家族、そして時代です。その条件を背負いつつ、様々な出来事に遭遇するたび何かを学び、様々な人と出会いながら自らの目的を探して歩み続ける。

 ただ我々の心の中には、自然が促す方向に素直に進めない何かがあって、自らの目的が掴めなくなってしまう傾きがあるようです。それを昔から「自我」とか「邪念」と言っているのでしょうが、私なんぞもこの「邪念」が多すぎるのか、この歳になってもまだまだ右往左往する日々が続いています。自然に素直に生きて、たわわに実る稲穂のようにはなれない自分を、情けなく思うことしばしばです。

 さて時代は大きく変わろうとしています。ビッグデータは、A Iを人々の生活や仕事を脅かしかねないほどに急激に進化させ、情報ツールは真偽混ぜこぜにして世界を引っ掻き回しています。そんな中、「○○ファースト」と叫んで自国エゴイズムに走る国々が増えて来ました。そして自国を守るために高価な武器の開発に血眼になっています。

 でも待って下さい。いくらコンピュータが進化しようとも、いくら武器を買い集めても、いくら金儲けが上手くなっても、人間は何かを食べなければ生きては行けないのです。人間のそもそもは、食べることができてこその人生なのです。

 世界の人口はまだまだ増え続けているそうです。「食べ物」だけではありません。「水」も心配されるところです。人間が生きていく上で絶対必要な「食料」そして「水」。その奪い合いが大きな戦争を引き起こさなければいいが・・・・と「SEED」を観ながら考えていました。

テレビ屋 関口 宏