なぜ義務教育で「医療」を教えないのか

K.Shintani

進谷 憲亮

 救急車をタクシー代わりに呼ぶ人がいる――そんな話を聞いても、最近ではあまり驚かなくなりました。しかし、「包丁で指を少し切った」「足が痛む」くらいで救急車を呼んだり、「ゴキブリを見て不安になった」「話し相手がほしかった」などに至っては、もはや空いた口が塞がりません。

 東京消防庁の報告では、救急出場件数は毎年増加傾向にあり、平成28年も過去最多(777,427件)。またその半分以上(54.9%)が軽症患者さんです。救急外来も同様で、受診する患者さんの多くが軽症です。本来、救急外来とは「休日夜間に通常の対応では間に合わない病態の患者さんに対応するための外来」です。しかし、多くの軽症の方への対応に追われ、本当に緊急対応が必要な重症患者さんへの治療が間に合わなくなったり、いわゆる“救急車の盥回し”にあったりする例が少なからずあるのが実情です。

 近頃のお年寄りは困ったものだ、と思われるかもしれませんが、問題なのは高齢者ではなくむしろ若者(15歳から64歳)の方だと、私は考えています。と言うのも、軽症で夜間や休日に救急外来を受診しているのは、高齢者だけではなく、比較的元気な若い世代の方々にも多くいるからです。

 そして、そういった方々の中には、受診理由が「平日は仕事を休めないから」「明日から出かける予定があるため、何とかして欲しい」など、身体的な問題ではなく、自身の社会的な都合のために救急医療提供を希望される方がいます。

 日本において「救急医療の役割」について理解できている人は少ないです。私はこうしたことを義務教育で教えるべきだと思っています。医療技術が発達し、また情報社会と呼ばれる様になった現代だからこそ、医療の分野には、誰もが理解しておくべき常識的な知識がたくさんあります。「救急医療の役割」については、あくまでその1例に過ぎません。

 

広がる「間違った医療知識」

 

 「医療」についてもっと義務教育で教えるべきではないか。私がこのように考えるようになったのは、医師として現場の医療に関わってきた体験からです。

 医師として現場で従事しているうちに、重要なことに気づきました。それは、「自分の身体や健康、医療に関する、一般の方の知識の乏しさ」です。

 びっくりするのは、比較的知的レベルが高い人もほとんど例外なく健康や医療に関して間違った知識や認識を持っている人が多いということです。そして、間違った内容であっても正しいかのごとく人は話します。知識人であればある程、聞き手には説得力ありますので、間違った内容が広がります。そして、医療が他の分野と違うのは、間違った情報がその人の人生に直結してしまうということです。しかし、色んな情報が気軽に手に入る様になった反面、間違った情報も正しいかの如く広まり、情報の正誤がよくわからない現代では仕方がないことだとも思っています。

 では、それをどう解決すべきかを考えた時に一番に思ったことは、「自分の身体というとても重要なことを、そして、それを取り巻く医療に関して、なぜ義務教育で教えないのか」ということでした。もちろん、専門的なことまで教える必要はありません。

 しかし、「最低限の衛生教育」(性についてだけではなく、熱や咳といった身体の生理的な反応などについて)や、「医療制度に関する教育」(なぜ国民皆保険制度が素晴らしいのか。目の前で苦しんでいる人がいても、お金がなく保険に加入していないために、治療ができない国も海外にはたくさんあります)、そして、「医療の本質」(検査や治療に100%・絶対はないこと、治療には医療技術だけではなく、患者さん自身の免疫力、本人・家族等の身の回りの人の協力が重要であること)などを義務教育で教える、または社会でもっと学ぶ機会を提供することが、今の日本では必要だと感じました。

 

「国民皆保険の崩壊」が待っている 

 

 また、こういった医療教育には今の日本の社会問題を解決する可能性も秘めていると感じています。「医療費高騰」とよく耳にする様に、日本の医療費は今や40兆円を超えています。日本人の平均寿命が伸びる一方で、医療費の増大ばかりではなく、「医療者不足」(2014年の時点で人口1000人当たりの医師の数は2.4人で、OECD加盟国36か国の中で下から6番目)「病院経営の悪化」「医療に対する患者さんの不満」など様々な問題が持ち上げっています。

 このままでは世界に誇るべき日本の医療を今後も維持し続けることは難しく、今後待っているのは国民皆保険の崩壊、そして、海外同様に誰もが平等に医療を受けることが難しい社会です。そして、その被害を受けるのは今を生きる私たちではありません。私たちの子供、そして孫といった後世の世代です。自分達がよければそれでいいのでしょうか。今の素晴らしい日本の医療を、私たちの子供達にも残したくありませんか。

 では、どうしたらこの現状を改善することができるのでしょうか。その鍵はやはり「医療教育」にあるのではないでしょうか。

 冒頭で軽症患者さんが救急車を呼ぶ話を書きましたが、その軽症患者さんばかりを責めることはできません。なぜなら今の日本の教育では、軽症かどうかを自分で判断することは実際には難しいです。それによる不安が、救急車を呼んだり、休日夜間に救急外来を受診してしまう原因となっている側面もあるからです。

 そして、救急車利用の自己負担が多くの場合無料であり、また医療費自体の自己負担額が1割から3割といった現状が、更にそのハードルを下げています。それらは本来「社会的背景に関係なく皆平等に医療を受ける事が出来る様に」という想いの下に生まれた素晴らしい仕組みのはずです。しかし、その本質をみんなが理解し、使い方を考えなければ継続が難しいのが実際の所なのです。教育を通して、医療との関わり方をもっと考える機会の提供。これが日本の直面している社会問題解決の糸口になると考えています。

 もちろん「医療」について義務教育で教えることが、すぐに実現するとは思っていません。しかし、その実現のために、まずは私たち医療者が「皆さんに医療にもっと興味を持ってもらう。もっと身近に感じてもらう。」ことを目標に活動を続け、その重要性を国に訴えかけていくしかないと思っています。

 

まず「医療者」が病院の外に出ることから

 

 この課題に対して自分なりにアプローチするために、友人と一緒に地域医療連繋団体.NeedsというNPO法人を設立し、今、現役の医療者が学校や教育の場を訪問し、「医療」に触れてもらう機会を提供する活動を行っています。

 

 例えば、「道に倒れている人を見つけたらどう対応するか」(救急領域)、「ワクチン接種の実際の役割(ワクチン接種は誰のために打つのか)」、「病院で処方される薬や、薬局で購入できる薬についての説明」などの話もします。

 今年1月には沖縄の「興南学園」を訪問し、医師・看護師・薬剤師・理学療法士・管理栄養士がそれぞれブースを設けて中学生に医療の仕事を身近に体験してもらう医療セミナーを行いました。地域の保育施設に働きかけることが、子供からその家族、施設従業員、そして、その地域に暮らす人々に医療を身近に感じてもらうきっかけになると考えています。また、学童期に医療教育を行うことで、早い段階で医療に興味をもってもらうことができ、未来の医療者を増やすことにも繋がります。

 他にも、「医療をもっと身近に感じてもらう」ことを1つの目的に、人が集まって医療や様々なテーマについて考える会を定期的に開催したり(Joy’N US ~ Community×Medicine ~)、「地域医療を行う上で、その地域で暮らす人達の顔が見える化を図る事が最も重要である」という考えのもと、映画鑑賞を通じて「人が集まる場」の提供を行ったり(三宅島ふれあい映画鑑賞会)といった活動も行っています。

 

 

 病院でしか会うことがない医療者が病院の外に出て、より対等な立場で人と関わる事。それが医療教育の第一歩だと考えています。

 この課題は医療従事者だけでは解決できません。より多くの方が関心を持ち、問題解決に取り組んでいくことが重要となります。そのためにも、まずは医療者である私自身が、皆さんにもっともっと寄り添っていきたいと思っています。

 私たちは今、「世界に誇れる日本の医療を後生にまで残す」という大きな課題に直面しているのですから。