国費を切られて考えた

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 この何年間か、地域で根付く人々の生活が面白いな、と思うようになりました。時にゆったりした時間を送り、時に厳しい環境と闘い、笑顔も涙も汗もある生活です。そう思うようになったきっかけはテレビ朝日時代に民間放送教育協会という公益法人(現在は公益財団法人)の理事長を仰せつかったことでした。

 理事長時代の2005年に「事件」がありました。民主党政権下で「事業仕分け」が行われ、文部科学省から出ていた番組制作の委託費、約1億2000万円がカットされてしまったのです。私もネットで放送された仕分けの場に出て、協会の意義などについて説明しました。

 この時、メディアについていくつかの事を考えました。一つはメディアと公的資金の関係です。公益財団法人といえども、政府のお金を使わない方が、メディアの在り様としてはいいのではないか、と前向きに受け止めることにしました。どうせ委託費が復活することはあり得ないのですから。そこで公益的な仕事に対して支援してくれる新たなスポンサーを探したり、加盟社に寄付をお願いしたりしましたが、2008年のリーマンショックで、スポンサー探しは難航しました。この状態は今も続いているはずです。

 

地域発の情報は面白い

 

 二つ目に考えたことは、スポンサー探しで感じたことです。私たちが考える「いい番組」には、なかなかスポンサーがつかないという現実です。やはり視聴率なのです。仕分けの場でも週一回放送の番組の視聴率についてだいぶ、議論がありました。当時の視聴率は2.6%だったのですが、そんな低視聴率の番組に国費を投入する必要があるのか、という意見も出ました。仕分け人のレベルでも視聴率は一つの物差しになっている、と感じたものです。

 もう一点は、地方発の情報を東京などの大都市圏に届ける術がどんどん減ってしまっていることです。政治、経済の一極集中はたびたび議論されますが、情報まで一極集中になっていいのか、という懸念が急速に広がりました。仕分け人の中には地方出身の議員もおりましたが、「地方の情報を全国に」という視点が感じられなかったのは残念でした。

 「独立メディア塾」の考え方の一つに「地域情報の発掘」を入れたのは、そのためです。大都会では分からない生き生きした人たちの生活が、大変魅力的なのです。今のメディアでカバーしきれない分野の一つが、この地域情報です。今月の「ドキュメンタリー」は福井放送制作の「土からのごほうび」です。町村合併を断り、独自の道を選択した福井県・池田町の生き方です。また「登竜門」は大学生の秋山さんが漁業の現場に飛び込んだ体験記です。東京の食料自給率が1%という数字は衝撃的です。

 

日ごろの競争を超えて

 

 とここまで書いてきましたが、「民間放送教育協会って何?」と思われた方が多いと思います。簡単にご紹介します。この協会はテレビを通じて学校教育や生涯教育を支援することを目標にして1967年にスタートしたものです。大きな特徴が二つあります。

 一つはいわゆるキー局を中心としたネットワークの枠を超えた組織であることです。ネットワークは東京のキー局と各地域の系列局で作られています。東京放送(TBS)、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日は24,5局から30局のネットワークを形成しています。テレビ東京は6局です。

 通常はこのネットワークを超えて番組が放送されることはありません。各局は激しい視聴率競争をしている仲ですから、テレ朝系列の局で日本テレビの番組を楽しむ、なんていうことは絶対と言っていいくらいあり得ないのです。例外的に複数のキー局と契約している「クロス局」では複数のキー局の番組が見られることもありますし、テレビ東京の局がない地域では、テレビ東京の人気番組(例えば「なんでも鑑定団」)を買って放送する、というケースもあります。

 ところが民間放送教育協会は、TBS系列が16局、日本テレビ系列が12局、フジテレビ系列が2局、テレビ朝日系列がテレ朝を含め3局、そしてラジオ局が1局、計34局が加盟して全国ネットを張っている惟一の組織です。

民間放送教育協会の13年度全国大会(山形)=同協会提供

民間放送教育協会の13年度全国大会(山形)=同協会提供

 

「地域が見えると、日本が見える」

 

 混成部隊であることが二つ目の特徴に繋がっていきます。民教協は年間テーマを決めて加盟社が30分番組を作るのですが、その番組はどの系列の局が作ろうとも、全加盟社が放送しなければならないのです。例えば鹿児島の南日本放送(TBS系列)が作った番組は、高知放送(日本テレビ系列)も福島テレビ(フジ系列)も、そしてテレ朝も放送します。だから鹿児島の話を全国どこでも見ることができるのです。現在「日本!食紀行」というテーマで、各局の番組が見られます。

 仕分けの前段では「なんでテレ朝に国費を出すのか」という意見もあったと聞いています。この誤解は民教協の成り立ちと関係しているようです。テレ朝が「日本教育テレビ」として開局したのが1957年です。当時から「テレビは子どもに悪い影響を与える」という意見があって、新しい局は教育専門局にすることになりました。したがって免許状には「教育53%、教養30%、報道・広告若干」とありましたので、ビジネスとして成り立たない制約を抱えることになりました。しかも後発局なので全国ネットも持たない、そこで先行していたTBS、日テレの系列局に放送してもらうことによって、全国放送が可能になった、これが民教協の前身になりました。

 どこかの局で次のようなキャッチコピーを見たことがあります。

 「地域が見えると日本が見える」