新しい元号と将来の時代区分

M.Kimiwada

君和田 正夫
 この原稿が皆様の目に留まるころには新しい元号が発表されています。3月27日付の日本経済新聞は社説で元号問題を取り上げました。一般紙ならともかく、日経が書いたことに若干の驚きがありましたので、一部を引用させてもらいます。

 「新天皇の即位に伴い、政府は今年秋に恩赦を実施する方針だ。(略)司法の場で決まった刑罰を行政の一存で変更するからには、大多数の国民が納得できる説明が必要である」
 その通りですね。
「現憲法下での恩赦は昭和天皇が亡くなった際などにあった。直近は皇太子さまが結婚した1993年。『恩赦は時代遅れ』との声が当時はかなりあり、政府は一律に刑罰を軽減する政令恩赦は見送った。だが、一定の基準に沿って個別に判断する特別基準恩赦の形を取りつつ、結局は救済者の4分の3が公職選挙法違反者だった」
 選挙違反者がそれほど恩赦を受けているとは驚きです。

 皇太子さまが結婚された時の恩赦は1277人だったそうです。その4分の3と言えば1000人近い人数です。日経でなくても怒りたくなります。昭和天皇が亡くなられた時は減刑142人、刑の執行停止56人、復権1014万人などの恩赦が行われました。「復権」というのは公民権や選挙権などを失った人の資格を回復することです。選挙がらみが多いのでしょう。
 恩赦自体に大きな問題がありますが、統一地方選を控える折から、選挙違反は恩赦の対象から外してほしいものです。

 
248番目の元号
 

 犯罪者を許す力のある元号の改定。その第一号は「大化」(645年)とされています。以来、千数百年。南北朝時代の扱いによって元号の数は変わるらしいのですが、新元号は南北あわせて248番目になるそうです。
 元号制について不思議に思えることが多々あります。
 最大の疑問は時代区分と年号の違いです。学校で習った昔の時代区分を並べてみましょう。
 旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代(戦国時代)、安土桃山時代、江戸時代…。

 

 江戸以降は明治、大正、昭和、平成です。古墳時代などを除くと、政治の中心地の地名で時代区分がされています。この中に天皇や元号は一つも出てきません。この点が明治以降との大きな違いです。
 奈良時代を見ると、元正天皇から桓武天皇まで7人の天皇が在位しました。元号は霊亀(れいき)から天平(てんぴょう)などを経て延暦(えんりゃく)まで12の元号がありました。
 大江健三郎の「万延元年のフットボール」の「万延」(1860年)は、1年も続きませんでした。すぐ文久、元治、慶応と続いて明治(1868年)に入っていきます。

 
時代区分は後世の人が決める
 

 過去の時代区分が決められたのは、明治になってからだそうです。奈良時代の人たちが「私たちは奈良時代に生きている」なんて思わなかったでしょうからね。
 中国を見習った「一世一元の制」は明治に導入されました。ということは明治からは、元号と時代区分が一体化した、ということになります。しかし後世の人は細かい順番を覚えたりしないでしょう。
元号とは別の時代区分をするようになるのではないでしょうか。どのような分け方か、想像してみたくなります。

 
「戦争時代」「平和時代」「高度成長時代」…
 

 明治(1868年~1912年)は戦争の時代でした。日清戦争(明治27年~28年)、日露戦争(明治37年~38年)。そして昭和16年から20年までの太平洋戦争へと続き、まさに戦争に明け暮れた時代でした。「軍国時代」「帝国時代」「富国強兵時代」「戦争時代」とでも付けるのでしょうか。西洋の文化・制度を取り入れたので「文明開化時代」「脱亜入欧時代」でしょうか。

 戦後になると明らかに戦前とは異なった時代に入りました。新憲法が施行され、民主主義社会が制度化されました。天皇は象徴に位置付けられました。経済復興、高度成長により、生活水準は急速に上昇し、国際社会の仲間入りが実現しました。「平和時代」と言ってもいいのかもしれません。天皇在位30周年の記念式典(2月24日)で平成天皇は「近現代で初めて戦争を経験せぬ時代を持った」ことを強調されました。
 そして今。20世紀末から日本経済は成長力を失いました。色々な分野で世界ランキングを落としていますが、まだ高度成長時代の残り香があります。「高度成長時代」「民主主義時代」などと付くようなことがあるのでしょうか。

 時代区分が付けられる時まで生きていることはありませんが、国家は恩赦の対象にはなりません。独裁的な政治、戦争のにおいが世界を覆い始めているようで気がかりです。