究極の「金」と親からの「金」

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 リオ五輪が終わりました。「金12、銀8、銅21」計41個。史上最多のメダル獲得で日本中が盛り上がりました。東京へ向けていいスタートを切ったということでしょうか。

 「金、銀、銅」は、いろいろなことを連想させてくれますが、ある「神話」を紹介いたします。

 「この国のすべての人は兄弟同士なのだが、神は支配者として統治する能力のある者には、誕生に当たって金を混ぜ与えた。ついでこの支配者を補助する人には銀を混ぜ、農夫やその他の職人たちには鉄と銅を混ぜ与えた。鉄や銅の人間が一国の守護者となるときはその国は滅びる」

 

国をまとめるための「高貴な嘘」

 

 「神話」を作ったのが、あの古代ギリシャの哲学者プラトンと聞くと驚きます。『国家』(岩波文庫、藤沢令夫訳)の中で、プラトンは言います。

 国をまとめていくためには、大衆が信じられる嘘が必要だ。「気高い性格の作り話」「適切に用いられる嘘」を考えよう。

 そこで生まれたのが、支配者を金とする身分神話です。この「神話」はいつの時代にも通じる二つのテーマを提示していたために、紀元前の時代で終わるどころか、現代にまで生き続けてきたのです。

 一つは国を治めるための「気高い嘘」や「適切に用いられる嘘」は、悪いことどころか「高貴な嘘」(noble lie)と位置付けられた、ことです。

 古代ギリシャに限らず「高貴な嘘」は国が危機的状態になると使われる常套手段です。国内に憂いがある時は外敵を作れ、というのは今も行われている手法でしょう。近いところでは、米国のジョージ・ブッシュ43代大統領時代の「ネオコン」と呼ばれる人たちの手法に、この「高貴な嘘」の影響を指摘する人たちもいます。確かにサダム・フセインのイラクに大量破壊兵器は見つからなかったことを思い出します。その情報で日本も英国も軍事協力したのですから。

 

政治家は親からの「金」

 

 もう一つの提示は「嘘」の中身です。人間を「みな兄弟」と言いつつ「金・銀・銅・鉄」で区分けしたことです。これも人間をランク付けする思想、選別する思想として現代社会に脈々と生き続けています。

 分かりやすい例を政治家で見てみましょう。このごろ世襲議員から首相が生まれ、しかもその首相の父親や祖父も首相だった、というケースが目につくようになりました。平成に入ってからの日本で顕著です。米国でも同じケース(注1)がありますが、日本ほどではありません。

 安倍首相の祖父は岸信介56代首相です。佐藤栄作61代首相ともつながっています。麻生太郎元首相はさらに華麗です。48代首相として占領下の日本の再建に当たった吉田茂の孫であり、奥様は鈴木善幸70代首相の娘です。さらに言えば、麻生氏の妹は三笠宮寛仁親王と結婚しており、皇室とも関係を持っています。

 第一次安倍政権の後に首相になった福田康夫氏は福田赳夫67代首相の長男。鳩山由紀夫氏は、鳩山一郎52代首相の孫。小泉純一郎氏は首相ではありませんが大臣経験者の息子です。

 国を治める人に必要な「金」は、現代ではDNAと言うことでしょうが、世襲政治家には政治家向きのDNAが蓄積されている、とでも言うのでしょうか。世襲議員の血に「金」を混ぜたのは神ではなく、親であることを国民は分かっているのですが、それでも有権者は神に代わって投票してしまうのです。私は「親の七光り」は極力排除すべきだと考えますが、有権者はどうしてそんなに「血」に弱いのでしょう。

 

「象徴」に形を与えた天皇

 

 まがい物の「金」議論を吹き飛ばす究極の「金」は天皇です。「生前退位」についてのテレビメッセージは大変分かりやすいものでした。国民の胸に沁み通ったと思います。「象徴」の役割について、各地への旅が重要な要素として位置付けられていることが印象的でした。政治家や学者からは生まれにくい象徴像です。自ら考えられ、実践されて、そして「象徴」に形を与えてこられたことがよくわかりました。

 「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」「ほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもって成し得たことは、幸せなことでした」

 天皇のメッセージ全文を新聞で読みながら、井上ひさし原作の芝居『紙屋町さくらホテル』の一シーンを思い浮かべました。第二次大戦時、公安や特高に弾圧される新劇活動を描いたものです。

 プロレタリア女優を見張る特高の刑事が、役者たちに言い放ちます。

 「役者なんてものに米がつくれるか。魚が捕れるか、服がつくれるか。おう、貴様に山から木が伐りだせるか、その木で家が建てられるか。(略)役者なんてものは、世の中の役に立つモノをなに一つつくり出せない怠け者じゃないか」「真っ当に働いている世間様のお情けにすがって生きている人間の屑だ」。

 これに対して実在した俳優「丸山定夫」(注1)が反論します。

 「俳優は百姓になる、漁師になる、仕立て屋になる、キコリになる、大工になる。鉄道員にも商人にも軍人にも巡査にもなる。俳優はこの世に生をうけたありとあらゆる人間を創り出すことができるんです」「人間の屑にそんな神様のようなことができますか」(「井上ひさし最新戯曲集」=小学館から)

 井上ひさしは天皇制に批判的な文化人でしたが、この役者論は天皇の象徴についてのお考えと、どこかでつながっているように思えてなりません。もちろんこの劇の中でも井上ひさしは戦争終結のタイミングについて「あれほど遅れて、なにが御聖断か」と、昭和天皇批判を言わせています。しかし平成天皇になって天皇論議に変化が出始めたように思えます。通常国会の開会式に天皇が臨席することは「憲法違反だ」として欠席してきた共産党が、今年1月の通常国会には初めて出席したことは、その一例です。「象徴」のあり方を中心に、あらためて天皇制論議が行われる時代に入ったと実感します。

 都知事交代のきっかけにもなったリオ五輪は、いろいろなことを考えさせてくれました。想像を絶するアスリートたちの努力、その証としての金銀銅メダル、その結果としての国威、国威のためのドーピング、五輪の後にいつも控える米国の大統領選…。東京五輪はどんなことを連想させてくれるのでしょうか。

 (注1) 米国でも親子の大統領は41代、43代のブッシュ親子が有名だが、2代目と6代目のアダムズ大統領も親子。祖父と孫が大統領になっているケースもある。夫婦で大統領というのは今回が初めてのケースになりそう。

 (注2) 丸山定夫は大正・昭和の俳優。築地小劇場のメンバーとして新劇の発展に貢献した。第二次大戦中、大政翼賛の一環として演劇も移動演劇隊を組んで各地を慰問したが、「さくら隊」の隊長として広島滞在中に、原爆投下に遭い、数日後に死亡した。44歳だった。