“建築家魂”と東京五輪の迷走

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 子供のころから新聞記者か弁護士になりたいと希望していたのですが、我が家の家業が大工の棟梁だったので「建築関係の仕事を継がなければ親不孝と言われるかな」と思ったこともありました。幸いというのでしょうか、理数系が全く苦手であったために、この選択は早々と消えてしまいました。

 建築にまつわる三題話です。『摩天楼』(1949年、原題The Fountainhead=水源、根源)というモノカラ―の米国映画を、中学か高校のころに見て大変感動した記憶があります。1949年制作とあります。ゲーリー・クーパーが主役の建築家です。この映画をきっかけにクーパーフアンになったのですが、たまたま『つばさ』という無声映画の上演会があり、デビュー間もないクーパーがちらっと出ているのに驚きました。活動弁士は「独立メディア塾」の創刊号で「登竜門」に「無声映画に惹かれて」を書いた斎藤裕子さんでした。

 

無断の設計変更でビル爆破

 

 『摩天楼』の粗筋を申し上げますと、
 斬新な設計で知られる理想主義の建築家が設計の変更を求められた。彼は変更を拒んだために失職し、石切り場の職工として働いていた。ある時、友人の頼みで設計を請け負ったが、無断で設計を変更されたことを怒り、ビルを爆破してしまう。ジャーナリズムの間でも賛否が割れ、裁判で結局、無罪を勝ち取る。

 DVDであらためて見て、感動を新たにしました。その後、インターネットで竹内壽一氏(たけうち・ひさいち=竹内建築総合研究所)が書いた「映画『摩天楼』にみる建築家の生きざまを考える」という文章にめぐり会いました。10年以上前になりますが、2001年にJIA(公益法人日本建築家協会)の建築セミナーで話されたものです。竹内氏は「ゲーリー・クーパーの格好良さで多くの若者を建築家志望にしたという伝説の名画」と評しています。

 

「建築家になってがっかりした」

 

 二つ目の話です。坂茂(ばん・しげる)氏によって建築家について漠然と考えていたことが完全にひっくり返されました。そのうえ坂氏の考え・行動に痛く感動させられました。坂氏は2014年の朝日賞受賞者です。表彰式で次のように話されました。

  「建築家になってみて、実はこの仕事に随分がっかりしました。建築家というのはもっと一般社会の役立っていると思っていましたが、特権階級の方々のために仕事をすることが多い。立派な建築をつくり、目に見えない権力や財力を世間に知らしめるわけです。医者や弁護士と違い、お客さんがハッピーなときにお付き合いし、好きなものをつくらせてもらう恵まれた仕事でもあります」(朝日賞ホームページから)

 「この仕事にがっかりした」激しい言葉です。「目に見えない権力や財力を世間に知らしめる建築」これ以上の批判、告発はないと思えます。穏やかな語り口が信念の強さを浮き彫りにしているように思えました。

 坂氏は1994年にウガンダ内戦、95年に阪神大震災で紙を材料にした仮設住宅や集会所を作り、災害復興に建築家として加わったのです。災害、戦争などで苦しむ人々のために世界各地を飛び回る活動は多くの人がご存じだと思います。2014年に、建築界で最も権威があると言われる米国のブリツカ―賞を受賞しました。

 

ザハ・ハディッドの無念

 

 そして三番目の話は、言わずもがなですが、新国立競技場です。最初に内定した案の建築家はイラク出身のザハ・ハディッド氏でした。坂氏より早く、2004年に女性として初めてブリツカ―賞を受賞しています。

 新国立競技場の審査委員長は安藤忠雄氏でしたが、建築費がかかり過ぎるということで、ハディッド氏の案は内定が取り消されてしまいました。次に決まったのは隈研吾氏チームの案でした。この案も聖火台の位置が決まっていなかったということで、競技場問題の混迷に拍車をかけることになりました。

 多くの建築家が登場しました。その中で、私が一番関心を持ったのはザハ・ハディド氏でした。内定を取り消されてどれほど悔しかっただろうと思うからです。彼女は2016年3月31日にマイアミで心臓発作のため亡くなりました。『摩天楼』で描かれた建築家は、自分の作品に対して限りない愛情と自信を持っているように見えます。ハディド氏の心中を考えざるを得ません。

 

「ロンドン五輪の聖火台はいまどこに」

 

 最近出版された『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方』(KADOKAWA)という本を読みました。著者は建築家の山嵜一也(やまざき・かずや)氏です。「ロンドン五輪の聖火台がいまどこにあるか、御存じですか?」と問いかけます。

 山嵜氏はロンドン五輪招致の段階で模型製作や五輪終了後のメーンパーク活用法を考える「レガシー・マスタープラン」に関わっていたそうです。最初、ロンドン五輪のメーン競技場や他の競技場を見て「貧相な造り」と思いましたが、それが意図して造られたことを後で知った、と記しています。

 氏は新国立競技場の議論で使われる「レガシー」を「遺産」と訳すのではなく、「次世代へのタスキ」と解釈すべきだ、と述べて日本で行われた議論の「昭和のオヤジ感覚」ぶりを批判しています。では英国はどのような聖火台を作ったのでしょうか。驚きのアイディアが書かれています。参加国と同じ204片の花びらが入場行進とともに運ばれ、聖火台となりました。推理小説の結論を書いてしまうような後ろめたさがあるのですが、五輪終了後は解体され、もうロンドンにはないのです。そう、皆さんの想像される通り、いま日本にもあるのです。

 新国立競技場に建築の哲学はあるのか、と考えると『摩天楼』とも坂氏の哲学とも山嵜氏の「レガシー」とも大きな違いがあるように思えてなりません。責任を取ろうとしない老政治家らが頑張り、「誰のための建築」「何のための建築」という根本が見えてこないのです。