関口 宏
ワイドショー、情報番組の定番、「こちらをご覧下さい」と言って出てくる「フリップ」。
図や文字が書かれた、体裁の良い段ボール板のような物(最近は発泡スチロール系の薄い板のような物になりましたが)、問題の要点を要領よくまとめ、それで全体の構成も分かるし、途中参加の視聴者にも、今何が話し合われているのかが見当がつく点で、実に便利な演出法として廃れることがありません。
中には、人の背丈を越すバカでかいものまで登場し、「カクシ」を剥がしたり、「上張り」を貼り付けたりして、視聴者の目を引くことに余念がないのですが、時には、その剝がしたり、貼り付けたりする度に、“ジャーン”とか“シャキーン”とかの効果音を入れる番組もあって、何度も何度も聞かされると「うるせーなー!」、てなことにもなるのですが。
それにしましても、そのフリップ、何時の間にか、国会の場でも使われるようになり、テレビを見ている有権者を意識した戦術が当たり前になって、何を論じ合っているのかは、フリップのおかげで、多少分かりやすくなったように思われます。 (これはテレビ発のアイディアと、テレビ屋は自負しています。)
それほど便利なフリップ・・・・・
しかし、海外に目を向けてみますと、それほど多用されている気配はありません。
アメリカなどは、ほとんどがCG処理、つまり何もない空間に、機械的に別の画面が入り込んでくる手法がとられており、あの段ボール板のようなフリップには、あまりお目にかかることがありません。
それは何故なのか・・・・・
前々から不思議に思っていたのですが、どうやらそれは・・・・・「日本語」。
それも『漢字』にヒントがあるように思えてくるのです。
想像してみて下さい・・・・・「アルファベット」だらけテロップ。
一見しただけでは、すぐには理解し難い感じがしませんか。
AとかBとかCとかいう文字自体には、特別な意味がないのにくらべ、象形文字「漢字」には、その一文字だけで、意味するところがあるからでしょうか。
だから、「漢字」を二つ三つ確認すれば、何を意味しているのか、日本人なら何となく見当がつくのでしょう。
でも、「漢字」だらけの羅列ならどうか。
中国の人ならまだしも、日本人には、ただ、こんがらかるだけで、読む気さえ起きないのではないかと思われます。
そこで、それを上手くフォローしているのが「ひらがな」なのでしょうが、その「ひらがな」だらけでもまた、読む気を削がれる事でしょう。
つまりは、「漢字」と「ひらがな」の絶妙なバランス、これが、日本のフリップ文化に花を咲かせたのかなーっと、勝手に想い込んでおります。
しかし、しかし一方でフリップ文化は、『時代遅れ』の産物なのかもしれません。
コンピュータ時代においては、「デジタル」が主流。CG処理するアメリカの方が正解なのでしょう。
確かにデジタルの方が、キレイで便利ではあるのですが、でもなにか・・・・・なにか・・・・・・物足りなさを感じるのは私だけでしょうか。
その感覚は、CDよりも、ピックアップで聞くレコードに「深み」を感じたり、メールの文章よりも、手書きの手紙に「有り難さ」を感じることにも似ています。
残念ながらそんな事も、やがて時代の波に押し流されて行くのかもしれませんが、まだ、テレビでフリップが重用されているということは、実は、日本人のどこかに、アナログ文化を大切にしている一面があるのではないかと、思われるのです。
今や、ロボット作りに世界が躍起になっていますが、その先端をゆく日本の技術も、元を辿れば、「からくり」に由来するという説もあります。
江戸時代につくられていた「茶運び人形」とか「弓曵き童子」の技術たるや、感動を通り越して、涙なくしては見られません。
あの「からくり人形」は、正真正銘、アナログ技術。電気も電池も使っていないのです。
少し、力が入り過ぎました。
要は、アナログにはアナログの良さがあり、テレビのフリップも、是非大切に扱って欲しいと思うのです。
ちなみに40年間、愛用し続けている私の腕時計は、「手巻き」です。
一日3分ほど遅れるのですが、この時計をしていないと落ち着かない私がいるのです。