リベラル退潮にダメを押すのか

M. Kimiwada

M. Kimiwada

君和田 正夫

 朝日新聞が誤報問題などで苦しんでいる惨状は、42年間、働いた私にとって、また編集の責任者だった私にとって、身を切られるように辛く、悲しいことです。従軍慰安婦問題で吉田清治氏の証言取消、池上彰氏のコラムの不掲載問題そして福島第一原発の吉田調書の誤報、いずれも朝日新聞の歴史の中で最大級の痛恨事です。それだけでなく、日本のメディア史上でも、メディアへの信頼を裏切った事件として、永久に語り継がれるはずです。どうしてそんな事件が起きてしまったのか、事実から目をそらすことなく、また幕引きを急ぐことなく、徹底した調査を、朝日の読者だけでなく、多くの人が求めているでしょう。すべてはその問いに応えることから始まります。

 

リベラル退潮にダメを押すのか?

リベラル退潮にダメを押すのか?

 

 今回の一連の出来事は、退潮著しい「リベラル」の一角を朝日新聞が自らの手で潰してしまいました。「リベラルとはいったい何か」「朝日新聞はリベラルと思っているのか」など様々な疑問や批判が返ってくることでしょうが、朝日新聞の読者と社員のかなりの人たちが、朝日新聞の寄って立つ基盤はリベラルだ、と思ってきたはずです。私もその一人です。最近でも特定秘密保護法案や集団的自衛権に関する報道では反対の立場を鮮明にしてきました。賛成・反対の立場を超えて、異なる意見を戦わせることの重要性は、いつの時代でも変わりませんが、とりわけ現在の社会に求められていることです。

 日本の政治状況は、リベラルとか中道左派と呼ばれる勢力が力を失って久しくなります。かろうじて公明党が「平和の党」を自任していますが、それも憲法の解釈や集団的自衛権では、自民党に大幅な譲歩をしてしまいました。つまり今は保守一色になって、リベラル派に求められてきたチェック機能すら、果しにくい状態になってしまったと言っていいでしょう。それなのに、大事な時期に自らの誤りで、日本のリベラル全体に大きな打撃を与えてしまった朝日新聞の責任は大きいと思います。しかも、従軍慰安婦報道は「リベラル」な紙面・記事のイメージ形成に一役かっていたと思われるだけに、罪の大きさは測り知れないものです。

 

歴史に向き合う緊張感

 

 その結果、メディア自身の使命と責任に重大な疑義を投げかけることになってしまいました。朝日の木村伊量社長の会見を受けて、毎日新聞の小川一編成編集局長が9月12日の紙面で、「メディア史の分水嶺」と位置付けました。「世界が瞬時に情報で結ばれる時代、誤報はいち早く拡散し、発信者が想定していなかった影響を生みだす…朝日はその理解が足りなかった」と。

 メディア、特に新聞の使命と責任はメディア史の中で、何度も問われてきました。とりわけ第二次大戦まで突き進んでしまった戦争責任は、最大のものだろうと思います。その間に治安維持法や国家総動員法が成立し、言論の自由は封殺されましたが、新聞は逆に戦争を煽る道を選びました。その結果、戦争のたびに、部数を増やしたのです。

 その反省は戦後長い間、生きていたはずです。時がたつにつれて、次第に風化していったのかもしれません。従軍慰安婦問題の吉田清治氏の証言に対する疑義は90年代に、すでに出されていました。それが四半世紀も放置され、訂正されなかったことは、新聞社報道に誤りはない、という読者不在の無謬主義が根底にあったからだと思います。また、日々の取材・報道を重視する当座主義に陥り、歴史に向き合う緊張を緩めてしまった、と考えるしかありません。実際、問題が起きる度に、検証し、訂正し、反省し、再発防止策を講じる、という作業が繰り返されてきました。その作業は確かに「メディアの良心」を示すものだったでしょうし、今後も必要だと思います。しかし、何度も繰り返されると、むしろ最初から「間違えるのがメディア」ということを前提にした対応策が必要に思えます。その方が、よほど良心的だし、現実的で、そうすることによって、誤報が長い間、放置されることもなくなるでしょう。

 

メディアの責任の取り方

 

 「間違えるのがメディア」とした場合、では間違いを犯したとき、どのように責任を取るのか、が問われることになります。日本に新聞が生まれてから百五十年以上の歴史は経ちますが、第二次世界大戦の後、戦争責任は誤報とは違いますが、誤報よりもっと深刻な結果を招いた、ということで、新聞界を中心にその責任が厳しく問われました。昭和20年11月5日、朝日新聞は社長をはじめ全役員、編輯総長、論説主幹らが総退陣しました(朝日新聞社史)。また毎日新聞も終戦から10日後の株主総会で社長が退陣、続いて編集最高幹部が自発的に総退陣しました(毎日の3世紀)。読売は社員から退陣要求が出て、争議になりました。

リベラル退潮にダメを押すのか?

リベラル退潮にダメを押すのか?

 木村社長は「吉田調書」の誤りを認めた記者会見で退任を示唆しました。「再生に向けておおよその道筋をつけた上ですみやかに進退について決断します」。この言葉の意味は、極めて重いと考えます。木村社長の責任は、「誰かが、いずれ処理しなければいけなかった従軍慰安婦報道問題」を、自分の時代に決着しようとした、ということだと理解しています。時代がそれを求めた、とも言えるかもしれません。解決すべき問題が持ち越されてきた、ということは、その間に、多くの関係者の責任が累積されて来た、ということです。木村社長は過去のすべての責任(私の責任も含めて)を背負い込むことになります。組織の責任はそんな形でしかありえないのかと思います。

 

「言論の自由」の首を絞める

 

 従軍慰安婦問題に関連して、池上彰さんの論文を一時的とはいえ不掲載と決めたことは、私はメディアの自殺行為だと考えています。冒頭の議論に戻りますが、朝日新聞がリベラルを謳ってきたのも、根本には「言論の自由」「報道の自由」を死守しなければいけない、という使命感があったからです。片方で「言論の府」を標榜しながら、片方で朝日にとって都合の悪い言論を封じる、これは「リベラル」と「言論の自由」両方の首を絞めることになりかねません。朝日新聞の犯した罪は限りなく大きい、と言わざるを得ないのです。

 

「吉田調書」の謎

 

 福島原発の「吉田調書」の報道について、9月11日、朝日新聞の木村社長は記者会見で「吉田元所長の待機命令に違反し撤退」という記事が誤報であったことを認めました。

 最初、週刊誌などに「誤報」と書かれたとき、「調書」そのものを入手して書いたのだから誤りがあるはずがない、と、私は思いました。それが間違っていた、とういうことになると、朝日新聞が入手した「調書」自体が偽物だったのか、と一瞬思ったものです。ところが朝日新聞の検証記事によると、調書は本物なのだけれど、限られた人数で取材したため、チェック機能が働かなかった、という。「えっ、本当、どんな読み方をしたの?」と言うのが正直な気持ちでした。

 「吉田調書」のような記録や様々な草案など機密性の高い文書を入手することを、新聞社では「ペーパーを取る」といういい方をします。多くが特ダネになります。

 私も経済記者としてささやかな特ダネを書いた経験がありますが、心配しながら書くという特ダネもありました。新聞に出た後、相手が否定することはないだろうか、とか、間違った数字を聞きこんできたのではないだろうか、などです。ところが「ペーパーを取った」場合は、そのような心配は、まずいりません。原案、草案、最終文案、議事録、発言録など形は様々ですが、入手した後は、本物の文書であることを確認するだけです。

 だから「吉田調書」報道が誤りだった、ということが信じられないのです。いろいろな想像が可能です。思いこみ、先入観があった、では、なぜ思いこんだのか、その先入観は、どのようにして形成されたのか。「吉田調書」を入手するときの経緯に、何かあったのではないか、「特ダネ」を盛り上げるために粉飾したのではないか、などなど、読者の間でも意見が交わされているようです。

 そうした一般読者の考えを代弁するかのように、朝日新聞の声欄にあった17歳の高校生の批判が、誠に的を射ています。
 「最初から『相手を批判し、揚げ足を取ってやろう』という目的ありきで書いたのではないかと疑わざるをえない」(9月14日)

 朝日新聞は自分の主張に都合のいいように恣意的に情報を扱っていた、ということになると、社説が言うとおり何を書いても「お前にそれを言う資格があるのか」になってしまいます。

 特ダネには注意しなければいけない点があります。情報源です。この情報を誰から聞いたか、このペーパーを誰から取ったか、について、記者の多くは、明らかにしないでしょう。私も話さなかった一人です。その場合、原稿をチェックするデスクは悩みます。原稿の信頼性について、日常の取材活動から「この記者なら信頼できる」「信頼できない」と判断せざるを得ない局面が発生します。信頼できる記者は、おおむねしっかりしたデータを持っているのですが、信頼関係が築けない記者の場合は、追加取材を命じたり、他の記者を動員して細く取材させたりすることになります。

 今回の記事はどうだったのでしょう。従軍慰安婦報道、池上論文の不掲載問題と比べて、この吉田調書事件から、なにを教訓としたらいいのか、と悩むのです。おそらく有能な記者たちによる原稿だったのではないか、と推測します。ですから「悪意があった」「功名心から」という単純なレベルの話なのか、と疑問に思うのです。それならば、かつての「伊藤律架空記者会見」(注1)や「サンゴ事件」(注2)の大型版ということになります。朝日新聞はこうした疑問にこたえるため、誤報の経緯を詳細に検証し、公表することが責任だと思います。

 朝日新聞は9月25日の取締役会で二つの委員会の設置を決めました。一つは「第三者委員会」で、弁護士、歴史学者、ジャーナリストなどの外部有識者による調査委員会です。もう一つは「信頼回復と再生のための委員会」です。形は整いました。あとはすべてまっさらな気持ちで事実と向き合うところからスタートしてください。

「そして立ち上がれ、朝日新聞」