ベーシックインカムの可能性

ベーシックインカムとはまとめ

志村一隆

 ベーシックインカム=「人々が無条件で現金を受け取る仕組み」。子供を含め、家族全員の口座に一人毎月10万円が振り込まれると聞いたら、誰もがビックリするでしょう。しかし、この仕組み、身近にも結構あります。自分の口座にも、千葉市から4ヶ月に1回子供手当が振り込まれます。敬老の日にはウチの爺さんに1万円が届いていました。

 1960年代には、アメリカでニクソン政権が、低収入の家庭に現金支給をする試みを提案しています。この提案は結局議会で否決されてしまったようですが、国が貧困層の救済のため、その家庭の収入を補填するという考えは昔からあるようです。

 「現金を直接支給する」と聞くと、「無駄に使って終わりじゃないか」と多くの人が思うでしょう。しかし、過去の社会実験の結果を見ると、そうでもないようです。ホームレスや貧困者の多くが、支給された現金(と、その安心感)で自信を取り戻し、社会復帰をしているそうです。また、教育、出生率の向上、健康などいろいろな面でポイジティブな結果が出ています。

 最近は、政府だけでなく、IT企業もこのベーシックインカムに関心を寄せています。Googleやベンチャーキャピタルは、アフリカの人々などに現金支給するNPO団体「GiveDirectly」に寄付をしています。彼らは、今年の11月以降ケニアで200余りの村に住む人を対象に、12年間月額12ユーロを支給します。

 また、貧困層の多い国だけでなく、アメリカ国内でも「Y Combinator」というシリコンバレーの企業は、低所得者層3,000人に月額1,000ドルを3-5年間支給する実験を始めます。GiveDirectlyもY Combinatorも、こうした社会実験を通じ「誰にでも支給した方が良いのか?支給するのに、資格審査が必要か」とか「支給したあとなにに使うのか」といったベーシックインカムにまつわる疑問について、調べようとしています。

 国家的な実験も始まっています。フィンランドでは、2017年1月から2年間2,000人に月額560ユーロが支給されます。彼らはこの社会実験の目的として、新しい働き方に応じた社会保障やシンプルな福祉を目指すとしています。役所が支給資格は審査することなく、現金を無条件に国民に直接支給すれば、行政の無駄がなくなるのではないかという考えです。貧困層だけでなく、国民全員に対象を広げると、ベーシックインカムで行政の無駄を省くという視点が出てきます。

 さらに、子供も含め国民全員に現金支給することが提案されたスイスでは「ベーシックインカムを受け取るのは国民の権利である」という議論がされています。

 この議論のポイントは2つあります。一つめは、民主主義は国民主権であるから、一部のエリートが税金の使い道を決めるのでなく、現金を国民に渡して、一人一人が必要な使い方をすべきである、という考えです。いまの日本は選挙に勝てば、政府は自分の考えを推し進めて良いという考えが目立ちます。反対に、スイスの議論は、国民目線から、税金の使い方を考えていこうというものです。

 2つめは、これから多くの生産活動をロボットが行うだろう、そんな時代の社会運営をどうしたらいいのかという点です。人間でないロボットは、いくら働いても収入がありません。そこで、困るのが、いくら働いてもロボットには所得税がかけられない点です。ロボット主体の社会では、所得税のような直接税でない税制を考えた方がいい。スイスの人たちは、それは消費税であろうとしています。

 ロボットが生産主体となれば、人間はヒマになる。さらに、労働の対価としてお金をもらうのもおかしなことになる。労働と所得を切り離す、つまりお金をもらうのに働なくても良い、それは権利なのだといった意見です。

 こうしたテクノロジーの進化と民主主義を掛け合わせたスイスの議論は、ずいぶん未来を先取りしています。先取りしすぎていて、2016年6月に行われた国民投票では、その実施は否決されました。インターネットやデジタル技術のおかげで、個人はより賢くなっています。民主主義的なモノの考え方は、政治の世界だけでなく、こうしたより賢くなった個人が行うビジネスや普段の生活にまで浸透しています。

 自分の日常を振り返れば、インターネット上には、家具やバッグや服などを個人が作って売るサイトがたくさんあります。企業や国家といった資本を集約させて生産を行う仕組みの役割は、これから小さくなっていくでしょう。その流れは、いずれ社会の意思決定は、国民が直接投票する直接民主制がいいのではないかというところに行き着くでしょう。国会議員も官僚もいまほど必要なくなるのです。

 このように、ベーシックインカムは、貧困層を救う施策から始まり、スイスのように国民の権利にまで進化させたものまであります。いずれにしても、既得権者から反発がありそうな仕組みですが、それに対して、とりあえず実験をしてみて、その解決策を見出しながら進めているようです。

 希望の党の公約にベーシックインカムが入っていました。低所得層の可処分所得を増やすという目的が追記されています。それに対して、財源がないという反論をする人がいます。しかし、これまでみてきたように、ベーシックインカムはターゲットやエリアを絞って始めてもいいのです。そうすれば、いままでの税制や福祉制度と調整しながら財源を見つけることができるでしょう。

 日本のロボット産業は世界でも競争力を持っています。ロボットの技術的な進化だけでなく、ロボットがいる社会について、その不安や可能性をもっと探る議論が出てきてもいいはずです。ベーシックインカムは、ポジティブな可能性の一つでしょう。まずは、少しずつでも社会実験をしてみることが大事ではないでしょうか。

ベーシックインカム実施事例

(参考)

  1. ニクソン政権のベーシックインカム政策について。Mike AlbertKevin C. Brown, “Guaranteed Income Moment in the Sun”, Remapping Debate
  2. ベーシックインカムの様々な事例を紹介した本のまとめ。Armando Barrientos and David Hulme, “Just Give Away to Poors”, University of Manchester
  3. GiveDirectlyの実証実験の結果について。Austin Douillard, “US/KENYA: New study published on results of basic income pilot in Kenya”, Basicincome.org
  4. Y Combinator “Overview of comments and views”
  5. フィンランドでは、2016年3月に事前調査レポートが政府に提出されている。そのレポートには、ベーシックインカムは、官僚主義は効率化するが、税制・社会保障を同時に見直さなければ、全てを解決できない。社会保障のレベルを下げるのは一案だが、それは貧困層の拡大につながることが述べられている。
  6. スイスのベーシックインカム提案について。Unconditional Basic Income, 2016/05/28
  7. スイスのベーシックインカム導入に関する国民投票は、2016年6月に実施。賛成23%で否決された。スイスでは10万人分の署名を集めると国民投票に掛けてもいいという制度がある。主催者は、一度否決されたら終わりというわけではなく、将来導入されるべき仕組みを国民にアピールできただけで良いと話している。スイスの女性参政権は1971年に認められたが、最初の国民投票から約10年後のことであった。
  8. ベーシックインカムについての説明映画
  9. ルトガー・ブレグマン氏のTED。ルトガー・ブレグマン氏の著書「隷属なき道(原題:Utopia for Realists)」もオススメ。
  10. アラスカ州は1983年から住民に年間1,000ドル程度を支給している。”Executive Summary of Findings from a Survey of Alaska Voters on the PFD
  11. Michelle Chen, “Could a Universal Basic Income Work in the US?”, The Nation, 2017/08/15
  12. Michael Hiltzik, “Conservatives, liberals, techies, and social activists all love universal basic income: Has its time come?”, The Los Angels Times, 2017/06/22
  13. Economic Security Project:Facebook共同創業者のChris Hughes氏がチェアマンを務めるベーシックインカムのNPO団体。